第56話 報いに応える

「――――ん…………ぁ」

「お、起きたか」


 魔素溜まりダンジョンの攻略を終えてから、十時間弱。

 目を覚ました師匠は身を起こし、あまり頭が回っていない様子で周囲を見回した後、小さく呟いた。


「……死後の世界?」

「おい、私を勝手に殺すな」


 盛大な勘違いにヴィスペルさんが半眼でツッコむ――けど、師匠がそう思った理由の多くは彼女にあると思う。

 なぜなら師匠が横になり、そしてわたしたちが腰掛けている大きなベッド――それは現在進行形で。家具屋で売っていた何の変哲もないベッドが上空を高速で移動しているのは、当然ヴィスペルさんによるもので、


「えぇ……これ、どういう状況?」

「依頼の報告はとっくに済ませた。今は実家ウチに向かっているところだ」

「……ウチ?」

「ヴィステリエム侯爵家」


 師匠が説明を求めるようにこちらに顔を向けるけれど、残念ながらわたしに答えられることなんて一つもない。彼女に振り回されるのは初めてじゃないし、何ならちょっと慣れてきたまである。


 はあ、と息を吐いた師匠も、どうやら常識的な価値観から事態を把握するのを諦めたようだ。

 代わりにいつになく真面目な様子で、


「ヴィスペル」

「あん?」

「僕を、殺さなくていいの?」

「なんだよ、殺してほしいのか?」

「まさか。その理由を知りたいだけだ」

「ハ――なら、弟子に感謝するんだな。今は停戦中だ」

「そうなんだ。――ありがとう、マリア」

「どういたしまして」


 ……状況を把握してないのに人に言われてノータイムで感謝するのは、逆に謝意がないんじゃないかと思う。

 まあ、あの時の話は後ですればいい。それより今訊ねるべきは、師匠も気になっている、


「それでヴィスペルさん、師匠が起きたら話を聞かせてくれるって言ってましたけど」

「急かしやがって」


 フン、と鼻を鳴らした彼女は師匠に視線を向ける。

 彼が神妙な面持ちで頷くのを見た後、実につまらなそうに重い口を開いた。


「さて、何から話してやるかね」

「師匠を狙った理由から述べるのが筋では?」

「そういう気分じゃねンだよ。……ああ、じゃあ最初の嘘から訂正しておくか」

「……嘘?」

「魔法で他人のスキルを知ることができるって話」


 やっぱり、と師匠は頷いた。そういえば師匠は最初から懐疑的だったっけ。わたしとしても、そこまで大きな驚きはない。

 ――ただ、だとすると疑問も残る。


「それなら、どうしてわたしたちのスキルを言い当てられたんですか?」

「そりゃお前、世の中の人間の九割はスキルを持っていないからな。とりあえず『スキルなし』って言っておくのは賭けとしちゃ悪くないだろ」

「えぇ……」


 言わんとしていることはわかるけど、思いの外博打だったことに戸惑いを隠せない。これでもし、わたしが何らかのスキルを持っていたら――いやでも、そんなハッタリをかます度胸があるなら、その場合でも上手いこと捌きそうな気はする。


「……わたしに関してはそうですけど、師匠の方は? 『魔力貯蔵』をピンポイントで当てるなんて――」

「わざわざ説明してやらなきゃわからないか?」

「――……知っていた、んですか? 師匠のスキルを」

「そういうことだ」


 ヴィスペルさんの狙いは初めから師匠だった。なら、最初に師匠を知ったきっかけは? その時にスキルまで一緒に知ったのだとしたら、情報源として考えられるのは――


「だからマリアはともかく、リコーが謎の能力ちからを持っているのは最初からわかっていた。拡大魔物ラージスケールとの関与を疑っていたのも嘘――いや、二割くらいは本当だな」

「つまりは、ほぼこじつけってこと?」

「お前らと接触する、あるいは揺さぶるための接点になるなら何でもよかったんだよ」


 なのに、と彼女は嘆息して


「本当に謎の研究施設を見つけちまうんだからなあ……あの場でお前を殺すつもりだったのに、おかげで様子見しなきゃならなくなった」

「こじつけだったはずの疑惑が、真実味を帯びてきたから?」

「今はもう疑ってないぞ。アホ面のお人好し共に、あんな魔物モンを作る技術も知能も――そして何より理由がない」


 呆れのニュアンスを多分に含めて彼女は言う。信用されている、と思うのは自惚れだろうか。


「見極めも概ね終わって、魔素溜まりダンジョン攻略の目処も立って、憂いがなくなった。だから一番殺れる可能性が高いあのタイミングで仕掛けて――失敗した」

「そうだね、あれは君の失敗だ。上手くやれていれば、僕は手も足も出ないはずだった」

「わたしは、失敗することを無意識に願っていたからこそ、あのような行動と結果になったのだと思います」

「手心を加えたのは否定しない。……したい相手にそんな気を回すってのもおかしな話だけどな」


 ヴィスペルさんが口にした言葉に、わたしと師匠の緊張が高まる。


 復讐――彼女は確かにそう言った。狙っているのが師匠だけなら、おそらくわたしと出会う前の師匠の所業に原因があるはず。

 そう考えると、やはり師匠とヴィスペルさんを繋ぐ線として最も可能性が高いのは、


「……師匠のことは、王女様から聞いたんですか」

「なんだ、マリアにも話してたのか。は意外と口が軽いんだな」


 ――やっぱり、それが答えだったようだ。


 前王太子を討った件で、彼女には王族との繋がりがある。一般には秘されているような情報でも、共有していたとて不思議はない。面識もないのに師匠の顔やスキルを知っていたのはそういうことだ。


「言っとくが、今回の件は第三王女アルティエラに命令されたものじゃない。情報は確かにアイツからもらったものだが、お前を殺そうとしたのはあくまで私個人の判断だ。少なくとも、国に差し向けられた追っ手じゃないことは断言する」

「君にその気がなくとも、に利用されているってことは?」

「さあな。私にアイツの考えはわからん」


 ……改めて考えると、正当防衛とはいえ騎士を手にかけた師匠を国が放置しているのはおかしな話だ。それが後ろ暗いことであるならなおさら、事実を隠匿すべく当事者である師匠を追い回しそうなものだけど。


「ただまあ、侯爵家ウチに向かっているのはそれも理由の一つだ。絶対安心とまでは言わないが、アルティエラの協力者シンパが手を出しにくい場所ではあるからな」

「理由の一つ、か……つまり、他に何かメインの理由があるってこと?」

「そういうことだ」


 頷いたヴィスペルさんは師匠を真っ向から見つめ、


「――リコー、私と戦え。私が勝てばお前を殺す。お前が勝てば、私の生殺与奪をお前に預ける」


 師匠も、その真摯な申し出に正面から応える。


「君が納得できるなら、それでいいよ」

「いや全然よくないと思いますけど」

「心配すんな、もう迷いはない」

「いや心配してるのはヴィスペルさんじゃなくて師匠なんですけど」


 彼女の思いと覚悟を否定するつもりはないけれど、さすがに師匠が殺されるのを黙って見てはいられない。師匠が負けたら乱入しよう。


「ま、今すぐろうってワケじゃない。英気を養う時間はくれてやるから、その間に別れの挨拶を済ませるんだな」

「うーん、全然話を聞かない」

「無駄だよマリア、彼女の意志はもう固まっている。今さら他人の言葉で気持ちを翻すようなことはない」


 ヴィスペルさんに無用な殺しをさせまいとするわたしに対して、他人事みたいに言う師匠の態度にちょっとだけ腹が立った――けれど、


「――それだけのことを僕はしたんだ。……だろう?」

「ハッ、わかってるじゃないか」


 逆だ。

 師匠は彼女の復讐心を尊重して、それを余さず受け止めるつもりでいる。自分の命を懸けるほどに――自分の命一つで済ませようとするほどに。


「全く以てその通りだよ。お前は許せないことをした――じゃなく、をした。……だからこれは、ただの八つ当たりだ」


 その想いが伝わったのか、ヴィスペルさんはとうとう口にする。




「――サーシャ・クレスタン」




 わたしの知らない、二人の知るその名を。


「勇者の教育係をしていた女だ。覚えているか?」

は覚えてないな。……僕の記憶の中の彼女は、僕を殺そうとする姿しかない」

「そうかよ。――アレは私の友人だ、親友とさえ思っていた」


 その声は常と、今までと何も変わらない。言葉も、声も、つまらなそうなままだった。

 ――けれどそこには、確かに彼女の心が宿っていて。


「私たちの関係をお前に説くつもりはないし、お前がサーシャを殺した理由も聞くつもりはない。……どうせ襲撃はアルティエラの命令だろうし、あのバカが退き際を見誤ったのは間違いないからな。因果応報だって理解はしている」


 だが、と彼女は大きく息を吐いて、


「――ンな理屈はどうでもいいんだよ」

「どうでもいい、って……」

「善とか悪とか、正しいとか間違ってるとか、筋が通ってるとかそうじゃないとか、そんな道理モンに意味はない」


 星光の煌めく夜天を仰ぎ、淡々と言葉を紡ぐ。


「復讐に理性あたまを使うことは多々あるが、復讐に感情こころが伴わないことは絶対にありえない。どんな理屈よりも先に『復讐したい』って思いが存在する以上、それが果たされない限り復讐者リヴェンジャーは止まらない」

「……師匠の行動に正当性を見出しながら、それでも復讐を望むってことですか?」

「だから八つ当たりだって言ってるし、そもそもお前に散々指摘された迷いの正体がそれだよ。腹ン中は煮え滾っているのに、頭はゴチャゴチャとこんがらがって――それが面倒になったから、全部引っくるめて『勝った方が正しい』ってことにしたワケだ」

「そんな乱暴な……」

「私だって嫌いな理屈さ。――その法則ルールに従うと、この世の大抵のことは私が正しくなっちまうからな」


 絶対的な強者としての自負心を抱いて、ヴィスペルさんは言う。

 自身の感情を重視しながらも一般的な物の道理を弁える彼女は、必要以上に力で我を通すことを良しとしていないようだ。そんな彼女が力による決着を望むのは、それだけ本気だという意志の顕れか――それとも師匠の実力を認めているが故か。


「――見えてきたな」


 不意に呟いた彼女が眼下に見下ろす光景は、魔導灯の仄かな光が点在する街並み。

 その外れに、大きな屋敷が構えられているのが見えた。そこへ降りようとするかのように、三人乗りのベッドは高度を下げて――って、


「ちょっ、あの、ヴィスペルさん!? 傾いてるんですけど――!?」

「その方が飛ばすのも楽だし、速度も出るからな」

「それが怖いって言ってるんですけどおおおあああアアアアアア!?」


 獲物を狩る猛禽の如く、凄まじい速度で降下する。

 ……それを操るヴィスペルさんはともかく、掴める部分の多くないベッドに乗せられただけのわたしたちはさすがに冷静じゃいられない。あの師匠でさえ冷や汗をかいてるし、わたしなんかは傾いたベッドから落ちないようにしがみつくので必死だ。


「安心しろ、落ちても拾ってやるから」

「安心できるわけないでしょうがああああああ!?」

「あー、なんか久しぶりに恐怖を感じてる……」

「カハハッ、いい気味だ。縦回転もサービスしてやろうか?」

「ひいいいいい――あッ、ヤバ、吐く――」

「「え」」


 今までに味わったことのない、臓物が口から飛び出すかのような凄まじい浮遊感と、落下という暴力とはまた別種の本能的な恐怖。

 それを同時に浴びせられたわたしは、天高くから地上へ向けて、胃の内容物を盛大に撒き散らすのだった――











「……これはいったい、どういう状況かね?」


 未だ気持ち悪さの治まらないわたしと、疲労困憊の師匠。

 そんなわたしたちが横たわるベッドを操りながら、ヴィスペルさんが屋敷の庭に降り立つ。すると明かりの灯る建物の中から、次々と使用人が外へ出てきた。


 彼女を出迎えるように列を成す使用人たち。

 その後ろから、口髭を生やした男前ダンディな中年男性がこちらへ歩み寄ってくる。ナイトキャップまで被った寝間着姿のその男性は、ひどく困った様子でそう訊ねてきた。


 対するヴィスペルさんは意に介した様子もなく、


「ただいま、伯父上。急に帰ってきて悪いな」

「ああ、うん、おかえり……せめて一報くらいは欲しかったところだが」

「そりゃ無理だ、今日の昼前に決めたことだからな。数日邪魔するけど、いないものとして扱ってくれ。あ、でもこいつらは私の客だから飯と寝床だけは用意してくれると助かる。費用は後で迷惑料込みで払うから」

「あの……こっちの質問に答えてくれない……?」


 苦労の滲み出た、哀愁漂う表情を浮かべる家族を無視スルーして、屋敷の中に足を踏み入れた。もちろんわたしたちを乗せるベッドも一緒に。


 ……誰に対してもああいう態度なんだなあ、と。

 名も知らぬ男性に、同情を抱かずにはいられなかった。

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