第17話 冒険者の洗礼

 冒険者。

 ギルドに持ち込まれる大小様々な依頼を請け負う者たちの総称。その大半は、富や栄誉、平和を手にするために戦闘を生業とする勇士だ。


 ルージェス王国の守護を第一とする兵や騎士は、民衆にとって決して身近な存在じゃない。小さな村々に兵を常駐させるほどの財も人員もない以上、大を救うために小を切り捨てるのは統治機構システムとしては自然なことと言ってもいい。

 けれど、そこに住まう人々にとっては文字通りの死活問題だ。魔物や盗賊、異種族などの脅威に対し抵抗する術を持たない彼らにとっては、冒険者こそが唯一の救いの手。わたしの故郷のような依頼するお金もない貧しい村は、外敵と出遭ってしまえばあっさり滅んでしまう。


 冒険者は乱暴者だとよく言われるけれど、必ずしもそうだとは限らない。ただ、徹底した実力主義や武力が幅を利かせる風潮のために、気性が荒かったり強気に出たりする人は実際多いらしい。

 それは裏を返せば、力のない人間は軽んじられるのが常だということ。ギルドに持ち込まれる依頼は様々で、特にこのアルカロのようなある程度の規模の街になると、町民からの雑用の依頼も多い。そうした依頼を請け負う冒険者は『魔物と戦闘を恐れる腰抜け』として扱われ、格下と侮られるのが普通だという。


 ――つまり、そういう依頼は持ち込まれる数に対して担う冒険者の数が圧倒的に少ない。

 依頼主もそれをわかっているから、喫緊の案件などが依頼されることもあまりなく、出された依頼も長期間放置されていることがある。故にそういう依頼を積極的に請け負う冒険者は、同業者からはともかく依頼する側からは重宝されるらしい。


 他ならぬ、師匠がそういう冒険者だった。


「あ、リコーさん! こっちどうぞー!」


 冒険者ギルドの建物に足を踏み入れ、ジロジロと嫌な視線を向けられるわたしたちを、快活な女性の声が出迎える。

 二つ結びツインテールが目を引くその女性に呼ばれて、受付のカウンターを挟んで彼女と対面すると、


「おはようございます、クロンさん」

「どもども。その子が昨日話してた奴隷ちゃんですかー?」

「はい。冒険者登録をお願いします」

「初めまして、マリアです。本日はよろしくお願いします」

「わあ、おっとなー! ラークさんトコの奴隷は礼儀正しくていいねえ」


 にっこりと微笑んだお姉さんは、胸元の名札を手で示す。

 ローブを着込んだこちらの顔を覗き込もうとする素振りに、咄嗟にフードで右半分を覆ってしまう。すると相手は笑みのまま元の体勢に戻って、


「冒険者組合ギルドアルカロ支部、受付担当のクロンでーす。何年か前まで冒険者してて登録もまだ生きてるから、マリアちゃんの先輩でもあるよ。気になることがあったら何でも質問してね」

「……はい、ありがとうございます」

「じゃ、早速手続きしようか。まずは名前を、フルネームで教えてね」

「フルネーム、ですか?」

「名字がないなら故郷の名前でもいいよ。それで登録している人も多いし」


 故郷の名前を名字にする――それはあの村の存在が、わたしについて回るということ。

 正直、思うところがないわけじゃない。けれどまさか、師匠の名字を拝借するわけにもいかないし、


「……マリア・トーン、です」


 結局、言われるがままにしてしまった。

 後々から湧き出す後悔を尻目に、クロンさんは紙にわたしの名前を書き記して、


「おっけー。じゃあパパッとライセンスカード作っちゃうから、その間にギルドの説明しちゃうね。リコーさんから何か聞いた?」

「いえ、特に何も」

「おっけーおっけー。じゃ、まずこれが依頼書とライセンスカード――の、見本ね」


 そう言ってクロンさんが提示したのは、ギルドの壁に張り出してあるものに似た紙と、手のひら大のプレートだった。それぞれ文字や数字が書いてあって、


「こっちの依頼書には、名前の通り依頼内容が記載されていてね。何をしてほしいとか、何を集めたら依頼達成の証拠になるとか、報酬はいくらとか、そういうのが書いてあるの。ちゃんと読んでないと依頼達成の条件を満たせなかったりするし、何より死ぬこともあるから気をつけてねー」

「は、はい……」

「ただ、依頼は好きなものを好きなように受けられるわけじゃなくてね」


 クロンさんがライセンスカードを差し出す。

 名前や、最後に依頼を達成した日にちなどが記載されているそのプレートには、右上に一際大きく数字が書いてあって、


「冒険者と、冒険者が受ける依頼には、力量や難易度に応じてランクが定められていてねー。ライセンスカードのこの数字が、冒険者としてのランクを表しているの」

「数字――二つありますけど」

「上の数字が、今まで達成した依頼の中で最も高いランク。下の数字が、今まで達成したランクの合計ね。上が実力、下が実績を示したものって思えばいいかな」


 実力と実績――難しい依頼を達成させた人だけじゃなく、継続的に大量の依頼をこなした人も評価するっていうのは、なるほど確かに合理的だ。


「ただこのシステムだと、下の数字――『総達成ランク』の方は際限なく増やせちゃうからね。『達成した依頼のランクが総達成ランクの百分の一1パーセント以下の場合、総達成ランクは増加しない』って規則があるの」

「……? 際限なく増えたら何か困るんですか?」

「わかんないけど、少なくとも受付担当わたしたちは困るかなー。ベテラン冒険者のライセンスカードを毎回更新してたら、時間がいくらあっても足りないもの」

「あぁ……」


 冒険者業を生業としていれば、その内に実力は頭打ちになって、ランクは停滞する。

 そうした人たちにかかる手間を省くための制度――とは言い切れないけど、そういう側面もあるのかもしれない。


「上の『最高達成ランク』は、受けられる依頼のランクにも関係があってね。依頼ランク5までなら無条件で受けられるんだけど、それ以上は『受けられる依頼のランクは総達成ランクの二倍まで』って決められてるんだ」

「二倍って……数字が増えるほど範囲が広がりませんか?」

「高ランクの実力者なら自然と身の程も弁えるし、相性次第で通用することだってあるからねー。――まあ結局、ってことだよ」


 朗らかに物騒なことを言うクロンさんさけど、目が全く笑っていない。

 その非情さは、冒険者という生き方にとって必要なものなんだろう。自ら命を懸ける覚悟で臨んだ以上、栄光も失敗も全て自分だけのもの――そして、そこには死も含まれる。土壇場で他人に責任を押し付けたところで、誰も助けてはくれないのだから。


「マリアちゃん、何か質問ある?」

「あ、ええと……あの、髪って短くした方がいいですか?」

「髪? そりゃ邪魔になるなら切った方が――ううん、安易に切っちゃダメ! 切るのは簡単だけど、伸ばすのは時間かかるんだから! 切るならちゃんと考えてから切るんだよ、いい!?」

「あ、え、はい……」


 商館にいた頃から、背中の辺りまで伸ばしたこの髪。

 人に言われて伸ばしただけで、師匠や冒険者の先輩が切れと言うなら従うつもりでいたけれど、誰もそうは言わなかった。


 ……いや、それはただの甘えだ。

 自分が気になっていることを、自分じゃ決められないから、他人の意見に身を委ねようとしただけ。自分でも惜しいと思っているからこそ、切る理由を外に求めたんだ。


「他に訊きたいことは?」

「いえ、ありません」

「そっか。じゃあこれ――はい、ライセンスカード」

「あ、ありがとうございます」

「まだランクの記載されてない仮発行だけどね。これから依頼を達成して、それで初めて冒険者として登録されるから」


 冒険者になるために依頼を達成する――というのは、何だか昨日の魔術師の修業に似ている気がする。だからどうということは特にないんだけど。


「――それじゃリコーさん、依頼は決まりましたー?」

「はい、これでお願いします」


 と、後ろにいた師匠が依頼書を手渡した。わたしが説明を受けている間に依頼を見繕っていたらしい。

 二人がいろいろと話している間、ふと受け取ったライセンスカードに視線を向ける。


「マリアちゃんと一緒に受けるんですよね。パーティ登録はどうします?」

「あれって、ランクに開きがある団体が使う制度ですよね? 僕たちにはいらないと思いますけど」

「一応、所属とかを明確にする意味もあるんですけど――まあ、奴隷ならその必要もないか」


 ……なんか、不思議な気分だ。

 こんな小さな――名前が書いてあるだけのプレート一枚で、自分が何者かになったような気分になる。わたしという存在が、世に認められたように思ってしまう。


「このくらいの依頼ならいつもは複数こなすのに、今日は一件だけなんですねー」

「マリアは初めて依頼なので。……当然でしょう?」

「いやいやたまにいるんですよー、契約違反にならないスレスレで奴隷を酷使する人! ま、そういう人が大成するところなんか見たことないんですけどね」


 ――いや、違う。

 ここに数字が刻まれることで、わたしという人間が示される。何一つ成していない、中身ランクが伴っていない今のわたしは名前だけの存在でしかない。


 そして、こうも思う。

 依頼を達成して、ライセンスカードの数字が増えていって――けれどそれは、本当に『わたし』なのだろうか? そうして目に見えるものだけが、わたしの価値なのだろうか?


 わたしは――そんなものを求めているのだろうか?


「マリア、行くよ」

「――っ、あ、はい!」


 考え事に耽っていたところに、声をかけられる。

 ……そうだ、今は自分のことは後回しだ。師匠の世界の『働かざる者食うべからず』という言葉に倣って、わたしも自分でお金を稼ぐためにここに来ているのだから。ランクだの何だのを気にしている暇なんてない。


 受付を離れようとする師匠の後を追う――




「ハッ――今日も雑用で忙しそうだな、腰抜け野郎ォ!」




 ――と、いきなり師匠に嘲笑の声が浴びせられた。


 振り向いた先には、冒険者と思しき少年が五人。年齢はわたしと師匠の中間くらいだろうか、その体格は師匠よりもやや小さい。その筆頭と思しき、大剣を背負った少年がこちらに近づいてきて、


「ああいや、おまえはしかできないんだったなァ!? いやあ同情しちまうよ、弱いってのは大変だなオイ!」


 煽り、嘲り、仲間と思しき人たちと一緒に笑う大剣の少年。

 対する師匠は不思議そうに首を傾げているだけで、特段怒りも悔しさも見えない。表情に出ていないのではなく、本当に何も感じていないように見える。


「あーあー、またやってる……」


 受付のクロンさんが呆れと苛立ちを滲ませて呟いた。


「『また』って、よくあることなんですか?」

「あー、うん。あいつら、リコーさんによく絡んできてね。まあ当人は気にしてないというか、忘れちゃってるみたいだけど」

「忘れる……? 頻繁に因縁をつけられているのに、ですか?」

「彼、ちょっと普通の人と違う感じがあるからねー。リコーさんを下に見る冒険者は多いけど、あいつらみたいに突っかからないのは、それがわかってるからなのかも」


 言われて周囲を見ると、確かに師匠には他の冒険者からも蔑みの視線が向けられている。当然、その連れでもあるわたしにも注がれていて。

 嫌な雰囲気の場所だと改めて思いながら、眉を顰めながら正面の喧噪に視線を戻した――


「――え」


 ――直後、わたしの顔に伸ばされる五指と、その奥の少年のニヤニヤとした下品な笑みが目に入って。

 ローブを掴まれる、フードを脱がされる、顔が顕わになる――そう思った瞬間、


「ちょっと」


 パシィッ! と甲高い音が響いた。

 横から割り込んできた師匠の手が、少年の腕を弾いた音だ。


「失礼だよ、君」

「ははっ! なんだおまえ、そのチビにずいぶんご執心みたいだなァ!? おれたちが可愛がってやろうか!?」


 彼らが、師匠の連れであるわたしにちょっかいを出そうとして――

 ――それを、師匠が庇ってくれた……?


「おれは手を伸ばしただけ、それを弾いたのはおまえだ! つまり、おまえから手を出したんだ! なら何されたって文句は言えねえよなあ!?」


 そう叫んで、少年たちがこちらを取り囲む。


「マリア、こっち」


 師匠が私の身体を引き寄せて、


「あンの、ガキども……!」


 クロンさんが受付台を飛び越えて、


「やっちまえ!」


 少年たちが動き出す、




「はい、そこまで」




 それと同時に、声が投げられた。

 見れば大剣の少年の後ろに、鎧姿の青年が立っている。その人は少年の頭に手を載せていて、


「朝っぱらから、つまらないことに体力使うなよ。その元気は依頼にとっておいた方が身のためだぜ」

「なっ、『青蛙』、おまえ……!」

「これ以上やるなら、俺は彼の方につくがどうする? 一応、この辺りじゃ腕の立つ方だって自負してるんだがな」

「……くそっ、行くぞ!」


 目鼻立ちの整った、有り体に言えばカッコいい顔立ちの茶髪の青年が牙を剥く。

 その言葉に明らかに焦った様子を見せた少年たちは、逃げるようにギルドを出て行った。当然、こちらへの謝罪なんてない。


 助け舟を出してくれたその人は、フンと鼻を鳴らして、


「格上相手にビビって逃げ出す根性なしが、格下にマウント取ってはしゃいでんじゃねーよ」

「おはようございます、ブラスさん。助かりました」

「気にすんな、リコーには世話になったからな。それより連れの子をちゃんと守ろうとするなんて、お前も結構熱いじゃねーの」


 ブラスさんと呼ばれたその人は、師匠と仲良さそうに話し始める。いや、師匠の様子はいつも通りなんだけど。

 そんな中、不意に肩を掴まれて、


「マリアちゃん、大丈夫? 怖くなかった?」

「あ、クロンさん……はい、大丈夫です」

「後であいつらにはキツく言っておくから! ギルドの外でも、何かトラブルがあったら遠慮なく話してね!」


 そう言うと、クロンさんは再びカウンターを飛び越えて仕事に戻った。すごく機敏な身のこなしで、元冒険者というのも納得だ。


「――ま、世間話はまた今度にしようや。お前も依頼があるんだろ?」

「はい、それじゃまた。――マリア、行くよ」

「あ、はい。――あの、ありがとうございました」

「おう。気をつけろよ」


 わたしが頭を下げてお礼を言うと、カッコいい人とその仲間と思しき女の人たちが笑顔で手を振ってくれた。

 建物の外に出る。さっきの少年たちが待ち伏せしてる可能性も考えたけど、そういう様子はなかった。そういう執着を見せないってことは、単なる憂さ晴らしみたいな軽い感情からの行動なのだろうか。


「――ごめん」

「はい?」

「僕のせいで、トラブルに巻き込んだ」


 師匠が謝る。

 別に師匠が悪いわけじゃないのに。


 なんだろう――ちょっとだけ、ムッとする。


「平気です。わたし、には慣れてるんで」

「でも――」

「それに」


 クロンさんとか、カッコいい人とか、師匠とか。


「冒険者にも、優しい人はいましたから」


 いい人もいたし、いいこともあったのに、何もかも悪かったみたいに言われたくない。

 謝罪を封殺するべく師匠に笑顔を見せると、師匠も小さく笑った。


「それなら、よかった」




 ――ああやっぱり、わたしは恵まれている。

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