第16話 魔術を識る

 わたしが師匠――リコー・アシハラ様に買われた翌日。

 冒険者としての活動を終えて宿に帰ってきた師匠は、夕食を済ませた後、わたしの魔術師としての修業を開始した。


「――といっても、最初の内は大してすることもないんだけど」


 魔術については、今朝師匠に見せてもらった。

 あらゆるものを裂く力、光の帯による拘束、そして変な形の剣――少なくとも魔法でないのは魔力を感じないことからも明らかで、これほど多彩なことを可能とするスキルも知らない以上、魔術の存在を信じるには十分だ。


「まずは、魔術と呼ばれるものの本質について理解してもらう」


 その力の正体について。

 戒めるように、師匠はわたしに教え諭す。




「魔術とは、一言で表すなら――『外法』だ」




 外法。

 その表現からは、とても素晴らしいものとは思えなくて。


「世界を構成することわりの外にある力。あらゆる自然法則を無視して術者の妄念を具現化する、神羅万象への侵略行為――それが魔術だ」


 大仰なことを、とは言えなかった。

 この世界において戦う術は、魔法とスキルの二つしかない。だからわたしのような、魔法も不得意でスキルも持っていない人間は、その時点で生涯弱者であることが確定する。そこに魔術という新たな力が登場すれば、確かに世界は大きく変わりかねない。


 ……ただ、大前提の疑問として、


「異世界の術理が、現地人わたしに扱えるものなんでしょうか?」

「わからない」

「えぇ……」

「わからないから弟子を取って確かめるんだよ。……この世界の人間に使えないというなら、それに越したことはない」


 その口ぶりは、むしろそれを望んですらいるようであって。

 魔術を教えるための弟子を取りながら、その魔術が扱えないことを願う――矛盾した行動からは師匠の思いが滲み出ている。


「……師匠は、魔術が嫌いなんですか?」

「嫌いというか、存在するべきじゃないって思ってる。必要があるから習得しているだけで、魔術そのものへの思い入れはあんまりないかな」

「必要……?」

「魔術師を討つため」


 冷酷に、冷淡に、そして当然のように師匠は言い放った。


「魔術の本質が『外法』なら、魔術師の本質は『外道』だ。人は特別な力を手に入れた時、自らを特別な存在と思い、己以外の人々を見下すようになる。そして手に入れた力を我欲のために振るい、その過程で多くの人々が犠牲になる」


 語る師匠の顔が、僅かだけど曇った。

 この人が今まで何を目にして、何と対峙したのか――それをわたしが窺い知ることはできない。


「元の世界では、魔術に対抗するには魔術が最も有効だった。世を乱す魔術師を討つのは、世を正す魔術師の使命だ。……に、魔術を使うべきじゃない」


 そして今度は、自嘲するかのような口元だけの笑みを浮かべて。

 相変わらず何を思っているのかはわからないけれど、こうして見ると表情の変化が小さい師匠も、感情はちゃんとあるんだとわかる。


「……話が逸れた。ともかく、魔術っていうのは本質的に良くない行為だ。理性と良識で管理されていなければ、容易く人を傷つけてしまうほどに」

「それは――でも、魔法やスキルも同じでは?」

「違う。魔法やスキルはこの世界に確固として存在する摂理だ。ちゃんとした法則ルールの上に成り立つそれらを、荒唐無稽まじゅつなんかと一緒にしちゃいけない」


 何も持たないわたしにしてみれば、どれも一緒のように思えるけれど、どうやら違うものらしい。


「例えば……複数の人物が足の速さを競おうとして、コースの長さや地面の状態、靴や衣服、天候から健康まで、あらゆる面で公正な勝負になるよう規則を定めたとする」

「はい」

「そうしたルールを無視して、競走相手を殴って蹴って斬り伏せて、再起不能にして勝ちを手に入れるような――そういう常識外れの非道が魔術という力なんだ」

「はあ……?」

「うーん、全然伝わってない」


 いや、師匠の言いたいことはわかるつもりだ。

 けれど、実感が足りない。持たざる者わたしにしてみれば、結局魔法もスキルも強大な力という点では同じだから。魔術だけが非道だと言われたところで、どう非道なのかよくわからない。


 ――とりあえず、その認識については保留ということで。


「さっきも少し言ったけど、魔術は思いを現実に変える術だ。狂想や妄執といった、強い思念であるほど確かなものとして顕れるけれど、ただ思えばいいってものでもない。それを魔術として使うためには、具体的な『型』が必要になる」

「型?」

「思念を現実に出力するための物語エピソード――って言えばいいのかな」


 例えば、と師匠は言ってもらってきた果物リンゴを掲げる。

 直後、前触れもなく二つに裂けた果実の、水気が滴る半分をこちらに投げ渡して、


「僕の魔術はあらゆるものを二つに割る。けれど、この力の本質は『道を作る』ことだ。とある預言者が民を連れて新天地を目指す中、追っ手から逃げるために海を割った――っていう元の世界に存在する経典の記述に由来している」

「……結果として相手が引き裂かれるだけで、起因する思いは別ってことですか?」

「そうだね。僕は人々を魔術師の脅威から守りたかった。その情動が今の話と結びついて、一見すると無関係な形で現実に出力されたってわけ」


 師匠がリンゴをかじる。わたしもそれに倣った。


「んぐ――もちろん、カッコいい剣が好きだから神話に出てくる伝説の剣を具現化する、くらい単純シンプルな魔術師もいる。ただ、魔術に昇華できるほどの強い思いってなると、大抵はマイナスの感情であることが多いかな」

「負の感情から生み出される力……だから、魔術は良くないものなんですか?」

「そういう話でもないんだけど――まあ確かに、否定はできないかな。戦争で故郷を滅ぼされた過去から、都市を滅ぼすことに特化した魔術を使う魔術師もいたし」

「故郷……」


 ズキリ、と痛むのは胸か、それとも火傷の痕か。

 魔術の行使に趣味嗜好が関わる、と言われた意味がなんとなくわかった。そして劣等感コンプレックスを力に変えられるなら、わたしにも何とかなるかもしれない。


「……とはいえ、そういう具体的な魔術はなしは後回しだ。僕も使ってる【十戒封印】のような、汎用的というか普遍的な魔術もあるしね」

「では、わたしは何を?」

「瞑想――って言ってわかるかな。まあ、精神的な修行だよ。魔術師になるために必要な、最初の魔術を成功させるためのね」


 その魔術とは、


。矛盾しているようだけど、その壁を突破できなければ永遠に魔術は使えない」


 魔術を使うためには魔術師にならないといけないけど、魔術師になるには魔術を使わなければいけない――考えるだけで無理難題だとわかる。


「初めは小難しいことを考えなくていいよ。『自分は魔術師だ』って強く念じる――念じ続ける。そうすると、次第に課題が見えてくる」

「課題……?」

「まずはやってみるといいよ。『習うより慣れよ』って僕の故郷でも言うし」


 そう言うと、師匠は口を閉じた。もう話すことはない、ということだろうか。

 ……うん、とりあえず言われた通りにやってみよう。




 わたしは魔術師――――わたしは魔術師――――わたしは魔術師―――わたしは魔術師――――――――













「――はい、そこまで」


 その一言で、あまりにも長い虚無の時間が終了した。


「三十分くらい経ったけど、どれくらい集中できた?」

「……最初の一、二分だけ……」


 ただ一つのことを思い続けるのが、こんなに難しいとは思わなかった。

 集中力が途切れて雑念が生まれるし、余計なことを考えないようにしている時点でもう余計なことを考えてしまっているから、もうどうしようもない。頭でいくら理屈を捏ねたところで、この虚無の前では全てが無駄だとわかった。


「まあ、気長に構えよう。あまり他の人のことは知らないけれど、この最初の一歩に数年かかることもあるらしいし」

「……師匠はどうだったんですか」

「僕は初めから使えた」

「…………はい?」


 なんか今までの話と矛盾する言葉が聞こえた――と思った矢先、師匠はあの変な形の剣を生み出して、


「両親の話だと、二歳の頃にはすでに使えてたって。たまにそういう、『歪み』を持った生粋の魔術師が産まれるらしい」

「えぇ……」


 ……それってもしかして、この人からコツを教わることができない事実を意味しているのでは?


 思い至った可能性に汗を垂らす中、剣を消した師匠は呑気にベッドに横たわって、


「とにかく、今日はここまで。魔術のことは頭の隅に置いておいて、明日のためにも早く寝ておいた方がいい」

「明日――ああ、そうでした」


 昨日、師匠からすでに聞いていた通り、


「冒険者になるために、ギルドに行くんだから」

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