第15話 新弟子は戸惑う

 わたしのご主人様――リコー・アシハラ様は、異世界人でした。


「自分で言うのも変だけど、僕の話を信じるの?」

「ご主人様の仰ることですから」


 否定したところで、わたしはこの人には逆らえないんだし。

 つまり彼の言い分が真実にせよ妄想にせよ、わたしは大変なことに巻き込まれたと言える。とてもじゃないけれど、安宿のベッドに腰掛けて聞くような話じゃない。


 ――今聞いた話から、これまでのご主人様の行動を整理する。


 二つ前の両満月の日――七十日ほど前に、ご主人様は勇者としてこの世界セインフォートに召喚された。


 その三十日後となる前回の黒満月の日、他の勇者たちと魔素溜まりダンジョン攻略に臨んだものの、孤立した挙句に仲間であるはずの王国騎士団に命を狙われ、これを撃退する。


 王城に戻ってもまた似たような事態になることを危惧して、離脱を決意。紆余曲折ありながらも三十日前にこのアルカロの街に辿り着き、冒険者として活動しながら奴隷を買うためのお金を貯めていた――と。


 ……うん、よくわからない。

 理屈がわからないとか、行動が理解できないとかじゃなくて、なんかこう――漠然とした疑問が付き纏う。


 ――が見えない。

 目的が、行動原理が、優先順位が、価値の基準がわからない。だから表面的な行動だけなぞったところで、その思いを窺い知ることはできない。


 わたしが普通の人間ならいろいろ質問していたかもしれない。けれど奴隷は、人間でありながら同時に道具でもある。

 道具が主に意図を訊ねるなんて許されない。道具はただ道具として、主の命令に従うのみ――


「……その『ご主人様』っての、やめない?」


 ――というわたしの覚悟を、この人はあっさり否定した。


「……やめる、とは?」

「奴隷契約は結んだけど、使用人みたいに扱うつもりはないよ。『師匠』とか『先生』とか、名前なんかで呼んでくれるとこっちもやりやすいんだけど」

「はあ……では、師匠と呼ばせていただきます」


 困惑をできるだけ隠してそう応えると、ご主人様――じゃなくて師匠は満足したように頷き、


「よし。じゃあ宿に帰って間もないけれど、また出かけよう」

「かしこまりました」

「かしこまらないでよ。敬意はありがたいけど恭順はいらない」


 ……奴隷の忠誠を迷惑がるなんて、変わった人だ。

 それとも、主従の立場を徹底させようとするわたしが変わっているんだろうか? 買われる前の奴隷は商館でいっぱい見てきたけど、買われた後の奴隷は残念ながら目にする機会がなくてわからない。


「とりあえず衣類と装備と――この世界って生理用品とかあるのかな? 商館で聞いておけばよかった……」

「生理……? あの、ひょっとして師匠って女性なんですか?」

「いや、僕は男だけど――え、マリアって男の子?」

「いえ、わたしは女ですけど?」

「え?」

「え?」


 主従揃って首を傾げる。

 ……どうやらわたしたちは、コミュニケーション能力にちょっと難があるらしい。











 話が食い違った原因は、認識のすれ違いだった。

 師匠は当然のようにわたしに私物を買い与えようとしていて、わたしにその発想は微塵もなかったというだけのこと。


 冷静に考えれば、奴隷の服装は主人が買い与えるものであり、みすぼらしい恰好をさせれば主人の度量も窺えるというもの。

 奴隷わたしを買って懐が寂しい師匠のために、できるだけ安く、それでいて粗末に見えない衣服を選んで購入する。部屋着は今着ている一張羅ワンピースがあるから、外出時に着る服だけ買えばいい。


 熟考の末、動きやすい軽装と身体を覆い隠せるフード付きのローブを購入した。ローブは無駄な出費になるとも思ったけど、師匠が「欲しいなら買えばいい」と言ったので甘えることにした。

 女性特有の必需品に関しては、そういったものを取り扱っている店の人に丸投げした。自分のお金が使われているというのに、わたしと店員さんの会話や道具の用途を聞こうとしない師匠は、思ったよりデリカシーがあるのかもしれない。


 化粧品や宝飾品については、今は買えないと前置きした上で興味の有無を訊ねられた。よくわからないけど、そういう個人の趣味嗜好が魔術とやらに関与してくるらしい。そうなると、それらに限らずあらゆるものに興味のないわたしはどうなるんだろうか。

 何か無理やりにでも関心を持つべきかと思って、街中のあらゆるものに視線を向ける。人、建物、店、食材、武具、素材、雑貨、そのどれにも興味を持てない中――ふと目が留まり、足が止まった。


「……マリア?」

「あっ、は、はい!」


 古本屋。

 本自体は決して高価じゃないけれど、寂れた村の貧乏農民に買えるようなものでもない。故郷の村では、友人の家が絵本を一冊持ってるだけだった。


 兄弟や友人たちとみんなで読んだ、あの村での数少ない娯楽が――


「気になるものがあるなら、見に行ってもいいよ」

「いえ、でも……」

「もちろん今日じゃなくても構わないけど。当分はこの街にいるつもりだし、その気になったら覗いてみるといい」


 師匠は気を遣ってそう言ってくれるけど、わたしが気になったのは別の部分だった。


って……アルカロここを離れるんですか?」

「うん? ああ、世界を見て回ろうと思って。……この世界セインフォートに、魔術師ぼくの為すべき使命があるのか見極めないと」


 世界を巡るほどの使命。

 そんなものを抱える人が、わたしを、弟子に――


「……あの、師匠」


 奴隷であれば、こんなこと問うべきじゃないんだろうけど。

 でも、わたしはどうやらこの人の弟子らしいから。


「師匠は、どうしてわたしを弟子にしたんですか?」


 わたしに何か、特別な素質でもあるのか。

 それとも単に、奴隷という存在が弟子にする上で都合がよかっただけなのか。


 自分でもよくわからない緊張に、身体が強張るのを自覚する。

 対する師匠は特に気負うことのない様子で、


「奴隷なら、契約で秘密を遵守させられるから。懐事情的にあんまり高い人は買えなくて――」


 それはつまり、誰でもよかったということ。

 ……いや、当然か。わたしじゃなきゃいけないなんて、そんなことあるはずない。


「――君を見て、と思った」

「わたしでいい、と?」

「違う。と思った。だから、

「わたしを、選んだ……」


 それは別段、熱の宿った語りではなくて。

 だからこそ、自然体で紡がれたその言葉が嘘でも大げさない、ただの事実だと感じることができた。


「……わたしの、どこがいいと?」

「具体的にどうってのはないんだけどね。まっすぐな、いい子そうだなって」

「そんなの、わからないじゃないですか……」

「わからないよ」


 師匠は断言して、


「でもきっと、いい子だと思う」


 能天気にそう言ってみせるから。

 ……なんだか、あれこれ真面目に考えているこっちが馬鹿らしくなってしまう。


「――じゃあ、いい子になるよう頑張ります」


 だからわたしも、そんな馬鹿みたいな答えを返してしまった。











「――あ、洗濯は交代でする? それか、女の子きみが一人でやりたいならお小遣いあげるけど」

「…………あのう、せめてそれくらいは奴隷わたしに任せてもらっていいですか?」

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