第2章 魔術師の弟子

第14話 売れ残りの少女

 ――今日もわたしは、床を磨く。


 奴隷わたしを取り扱う商館の、大して使われない倉庫。初めは埃を被っていたこの場所も、今ではだいぶ綺麗になったと思う。

 一人で掃除するには広すぎるけど、時間はあるから大丈夫――どうせ、わたしが売れることなんてないんだから。……ああでも、いつまでも売れ残っていたらいずれ処分されるかも。


 売れない理由は一つじゃないだろうけど、一番の理由はわかっている。

 右手に右腕、上半身の右側と顔の右半分――三年前、事故で暖炉に突っ込んだ時にできたひどい火傷の痕。身体機能に支障はないけれど、見ていて気持ちのいいものではないし、後遺症がないかどうか疑いを持たれたりもする。粗悪な安物を買うくらいなら、普通の値段で普通の奴隷を買いたがるのが普通の人の気持ちだ。


 売れないこと、それ自体は構わない。けれど商品価値を上げるために奴隷わたしに教育を施してくれている、商会長オーナーさんに申し訳が立たない。

 当たり前だけど奴隷っていうのは人間で、維持するだけでもそれなりにお金がかかる。わたしが売れ残り続ける限り、商会の負担は増える一方だ。倉庫を掃除する程度の労働と釣り合うものじゃない。


 買ってほしいとは思わないけれど。

 わたしが売れ残ることで、周囲に迷惑がかかるのは困る。


 まあそうは言っても、わたしにできることなんてない。買い手を見つけるために街を練り歩こうものなら、あんな奴隷を扱っているのかと逆に商会の評判を落としかねない。大人しく、呼ばれた時以外は奥に引っ込んでるのが一番だ。


「――マリア、いる?」


 と、倉庫の入口からわたしの名を呼ぶ声。

 掃除を中断して急いでそちらに向かうと、商会長オーナーの秘書のフィアさんがいて、


「はい、ここに」

「お客様がお見えよ、あなたもいらっしゃい」

「わかりました」


 ここで扱う商品どれいにはランクがあって、当然わたしは一番下だ。そのランクを買い求めるお客様が来たら、わたしも顔を出す必要がある。


「今いらしてるお客様は、安価な奴隷をお買い求めのようなの。もしかしたら、マリアを買ってくださるかもしれないわ」

「それは……はい、頑張ります」

「大丈夫よ、自信持って! マリアは頭もいいし真面目だもの、きっと気に入ってもらえるわ!」


 フィアさんは笑顔でそう言ってくれるけれど、わたしにはそうは思えない。

 わたしは今いる商品どれいの中でも古株だ。大抵は一年と経たずに買われるものだけど、もう二年近く売れ残っている。今さら買い手が現れると思うほど、自分を評価できるはずがない。


 ……私を見るお客様の反応は、結構堪えるものがある。

 最初から嫌そうにするならまだいい。最初は驚いたように目を見開いて、次いで火傷の痕を事細かに観察されて、その後で小さく顔を顰められるのが一番傷つく。感情的に否定されるよりも、理性的に拒絶される方が、わたしという存在をより認めていないように感じられるからだろうか。


「――会長、マリアを連れてきました」

『入ってくれ』

「失礼します」


 応接室の扉を開き、先導するフィアさんに続いて足を踏み入れる。

 この時、お客様を注視してはいけない。わたしはあくまで商品に過ぎず、お客様が奴隷わたしを品評することはあっても、わたしが主人おきゃくさまを値踏みするなどあってはならないから。


 ぼんやりと、風景に落とし込むようにして視界に収めたお客様は、ずいぶんと若いように見える。男性にしては背が低く、わたしと同じ黒い髪をしていた。


「こちらが私共が取り扱う最も安価な奴隷――マリアになります」

「近くで見ても?」

「どうぞ。お話しいただいても構いませんが、身体には触らないようご容赦願います」


 いつもの柔和な笑みで応対する商会長オーナーの許可を得て、お客様がわたしの前に立った。


 腰を少し落として、目線の高さをわたしに合わせる。正面から見つめ合う形になるけれど、お客様の目は一切ブレることなくわたしに向けられていて。

 感情の読めない瞳でわたしを凝視するこの人が何をしているのか、何をしたいのかはわからない。それでも、万が一にも機嫌を損ねる可能性があると思うと、視線を逸らすことはできなかった。


 そうして何秒、何分、無言で見つめ合っていたかわからない。

 やがてお客様は顔を離すと商会長オーナーに対して、


「彼女、買います」


 そう、言った。


 ……………………え? わたし、売れた?


「かしこまりました。それでは契約の手続きをいたしましょう」


 声を弾ませた商会長オーナー契約書スクロールの用意をする。

 その傍ら、フィアさんがわたしにウィンクした。祝ってくれてるのはわかったので、頭を下げる。


「ではこちら、契約内容をご確認の上、金額にご不満がなければ署名サインをお願いします」


 低い腰で提示された契約書スクロールの文面に、思わずギョッとする。

 奴隷に対する暴力や不当に危険に晒す行為、それに契約期間内での奴隷の解放の禁止といった、至って普通の契約内容、これはいい。問題はわたしの金額が、最低ランクの通常価格になってることだ。過去、その半額でだって売れなかったというのに。


 値切ることが前提の価格なのはわかるけれど、これでお客様が機嫌を悪くされて契約がふいになったらどうするのか――


「はい、どうぞ」

「おや……どうもありがとうございます」


 ――なんてわたしの懸念とは裏腹に、お客様はあっさり契約に同意した。契約書スクロールにちゃんと目を通した上で、わたしの金額に不満を持たなかった。

 ……いやでも、結構若い方のように見えるし、単純に相場を知らないだけなのでは? もちろん悪質な奴隷商じゃないから不当に値段が高いわけじゃないけど、少なくともわたしの価値に見合った額じゃない。


 その額が入っているであろう革袋を差し出し、商会長オーナーが確認を済ませる。

 ……本当に買われちゃった。なんか、現実感がない。


「それではアシハラ様。マリアにこちら――『隷従の首環』を装着させてください」


 けれど、事態はわたしの実感を置いて進んでいく。

 この魔導器マジックアイテムが首に嵌められた瞬間、わたしはこの人の奴隷となる――


「……さっきも聞きましたけど、魔法が使えなくても大丈夫なんですよね?」

「ええ。こちらの魔導器マジックアイテムは魔力に反応して作用するものなので、魔法が不得手な方でも使用に問題はありません。手で持って、装着していただくだけで機能します」


 商会長オーナーが説明すると、未だ不安げな様子ながらもお客様はわたしの首に手を回した。

 銀色の首輪がカチリと音を立てて嵌められた直後、それがほんのりと熱を帯びる。首輪の継ぎ目がなくなった時の反応で、これが起きたということはちゃんと奴隷契約は成立したということ。


 つまりわたしは、この人の奴隷となったということ。

 ……もう商会ここの人たちに迷惑をかけずに済むということ。


「――それでは今後とも、ラーク奴隷商会をご贔屓に」


 お客様――ううん、ご主人様の帰り際、商会長はいつもの文言でお見送りをした後、


「……それからマリアのこと、どうかよろしくお願いいたします――」


 その言葉で、わたしの感情は決壊した。


 ……親に疎まれて、暖炉に突き飛ばされて、身体を焼かれて、陰口を叩かれて、口減らしに売られて――幸せだったなんてとても言えない十二年間だったけど。

 ああ、それでも、わたしはこんなにも恵まれている――











「僕は魔術師だ」


 ――ただし、


「君には僕の弟子となって、魔術を習得してもらいたい」


 主に恵まれたかどうかは、まだわからない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る