第13話 穴と歪み

 勇者様方が魔素溜まりダンジョンの遠征から帰ってきた翌日。


「…………………………………………、死んだ?」


 その報は、突然に告げられた。

 ティーカップをそっとソーサーに置き、口元を拭う。そして傅くウォルフォードに目を向けて、


「サーシャが? 本当に?」

「はい。埋葬されていた遺体も回収しましたが――ご確認なさいますか」

「後でね。……それより、ってことは」

「遺体が埋められていた現場――十三号魔素溜まりダンジョンの入口付近には戦闘の痕跡がありました。何者かと戦い、そして敗れたのではないかと」

「ふうん……」


 非力なわたくしには戦いのことはよくわからないけれど、サーシャがそれなりに強いらしいってことは知識として知っている。

 彼女の他にも複数人の騎士がその場にいたと聞いている。さらに十三号魔素溜まりダンジョンの主まで討たれたというのだから、全く何が何だかわからない。


「ウォルフォード、あなたの見解は」

芦原理巧リコー・アシハラ――あの男が関わっているのではないかと」


 リコー様――他の勇者様と同様にお話の席を設けたけど、あまり印象はない。自分から何かを積極的に話したがることもないし、こちらの言葉にも反応が薄いようだった。

 ただ、勇者の中で最も『甘言』が効いていないのは彼に見えた。会う度に初対面のような顔をされ、長期的にも短期的にもわたくしに好意を抱いているようには見えなかった。だからリコー様との会話に意味はないと判断して、ユーヤ様の提案通りに冷遇することにした。


 彼のことはよくわからない。

 サーシャを殺したと言われたところで、疑問ばかりが先行して何の感情も湧いてこない。


「突飛だね。妄想の域を出ない」

「現実的に考えても、突然現れた強者がサーシャらを殺し、その後魔素溜まりダンジョンの主を殺した、という推測しか立てられませんが」

「わかってる、さっきのは褒め言葉だよ。あなたならきっと、その妄想に最低限の根拠を添えてくれるでしょ」


 王国ウチの騎士団は優秀だ。彼らが検分してなおわからないと言うなら、原因は二種類に分けられる。下手人がよほど巧妙か、それとも珍妙か、だ。


「現場の魔力の残滓ですが、魔物の痕跡も多く断定はできませんが、人間の魔力は七人分しかなかったと見られています」

「味方側の魔力だけ、ってこと?」

「はい。自身は一切魔法を使うことなく、魔法を行使する騎士七名を殺害する――よほど強力なスキルの保有者か、あるいは」

「魔法でもスキルでもない、の使い手――ね。だから、昨日あなたが言っていたリコー様が怪しい、と」


 確証はない。あるはずがない。今の話だって、普通に考えれば野良の強者の方がまだ可能性が高い。

 けれどそう言えないのは、わたくしたちが抱える不確定要素ブラックボックス――勇者の存在が大きすぎるから。彼らにわたくしたちの知らない『何か』などないと、そう断言することなどできるはずがない。


「……うん、考えるだけ無駄だね。何もわかってないから憶測でしか物を言えない」

「調査は継続いたします。今回の件、勇者への報告はどのように――」

「わたくしが直接する。……犯人はリコー様ってことでいいかな。本当にわたくしたちの知らない能力ちからがあるかどうか、揺さぶって様子を見るのも面白そうだし」


 そうと決まれば話は早い。ウォルフォードに命じて、勇者様方を広間に集めてもらう。

 臣下の背を見送った後、ほう、と息が漏れた。一人になって、ようやく彼女の死に思いを馳せる。


「サーシャ……」


 初めて会ったのは三歳の頃だったから、もう十三年も前になる。

 彼女が王立学院に通うまでの三年間、幼いわたくしの侍女として遊び相手になってくれて――ああ、あの不味いお茶ももう飲めないんだ。


 ……サーシャは優しすぎた。勇者だけじゃない、いろんな相手に情を移し、わたくしの命令にも乗り気じゃないことが多かった。それならそうと言えばいいのに、よくもまあ我慢してついて来てくれたと思う。

 そう考えると、ここで死ねたのは幸せだったかもしれない。わたくしが望む混沌を前に、彼女の心が壊れない保証はない。わたくしにとって全ての命は等価値で、それはサーシャも変わらないけれど、臣下の中では一番の古株なのもあって個人的に想う気持ちはある。


 ――なんて冷静に考えている時点で、わたくしの本心は明白なのだけれど。


「……あなたが死んだら、もっと悲しいと思ったのに」


 紅茶を一口。

 とても、美味しかった。











「――嘘だ」


 その言葉を口にしたのが、誰かはわからない。

 男か女か、それすらも――あるいは、他ならぬ俺自身が発したものかもしれない。


「いいえ……これは事実です」


 グラグラと揺れるような、足元が覚束なくなる感覚の中、アルティエラはハッキリと断言する。

 瞳には涙を湛え、小さな両拳はドレスの裾をキュッと掴み、震える声で言葉を紡ぐ。


「サーシャは、殺されたんです。――リコー様に」


 そんなはず、ない。

 サーシャさんが、芦原に殺されるはずが、ない。

 ――


「嘘です!! 芦原君が、そんなことするはずありません!!」


 声を荒げたのは海藤だった。

 信じたくない一心から発した言葉であるのは明白で、


「……そう断言できるほど、リコー様のことをご存知なのですか?」

「それはっ……違います、けど……」


 アルティエラが問うと、すぐに語気が弱まる。

 海藤は芦原を気にかけていたが、決して仲がよかったわけじゃない。奴が何を考え、何を好み、何を望むのか――それを知る者が、勇者クラスメイトの中にいるとは思えない。


「わたくしとて信じられません。ですが、これは事実なのです」

「だって、その……無理でしょう!? 芦原君には、魔法が使えないんですから! 彼がどうやってサーシャさんを殺すんですか!?」


 それは当然の疑問だった――一昨日までの俺なら賛同するくらいには。

 だが、奴の異常な言動の数々を目にした今、そんな常識が通用するとは思えなかった。


「――魔法やスキル以外の能力ちからがあるとしたら?」

「え……?」

「みなさまの世界――『地球チキュー』には秘された異能があり、彼はそれを知る者ではないかと、わたくしは考えています」


 アルティエラの言葉に、戸惑いを隠せない勇者たちがざわつく。

 ……ただしその反応は冷ややかというか、懐疑的なものだった。そりゃこいつらにしてみれば、自分たちの知らない地球由来の異能があると異世界人に言われれば、鼻で笑うのも仕方ない。


「――ありません!!」


 海藤もそう思っているようで、強い語気で否定する。


「私たちの世界に、そんな不思議な力なんてありません!」

「であれば他の方法かもしれませんが、ともあれ現実としてサーシャは彼に殺されました。……みなさまの中に、リコー様について何か知っていらっしゃる方がいれば、どんな些細なことでもいいので情報の提供をお願いします。――すみません、わたくしはこれで」


 余裕がない様子のアルティエラは、一度も笑みを見せることなく足早に広間を離れた。……去り際、目元の涙を指で拭って。

 その後を追って集団から抜け出そうとした――その直前、


「は――はは、カハハハハハハッ!!」


 哄笑が響く。心底嬉しそうな、粗野で下品な声は当然のように周囲の耳目を集める。

 発生源である大河原は狂ったように笑った後、俺たち勇者に向けて、


「――聞いたかオマエら!! アイツは、芦原は人殺しだ!! アイツを囮にしたオレは正しかった――オレは間違ってない、悪いのはアイツなんだ!! ぐ、ギヒッ、ギャハハハハハハ――――ッ!!」


 そう一方的に怒鳴りつけ、再び狂喜した。

 わかりやすい自己正当化――それは逆に言えば、そうでもしなければ奴の精神こころが耐えられなかったことを意味している。


 元より大河原や二階、それにその取り巻き連中は、人を人とも思わない極悪非道なんかじゃない。人より少し承認欲求が強く、人より少し他人の気持ちがわからず、人より少し頭が悪いだけの、取るに足らない小悪党だ。

 そんな大河原が、間接的にだが他者の命を奪っておかしくならないはずがない。昨日の一件が二階によって勇者全員に広められ、直接追及されずとも非難の目を向けられ続けたことも、奴にはそれなりに堪えたようだ。


 そんな状況で芦原ひがいしゃに責められる点があったとわかれば、自らの行いを都合よく曲解してもおかしくない。あまりにも情けない、とは思うが。

 どうにせよ、今回の件で大河原の精神はおかしくなった。あるいは奴の悪行に拍車がかかるかもしれない。今まで以上に注意する必要があるだろう。


 ……邪魔者を排除して秩序をもたらす算段だったのに、事態は尽く悪い方向に進んでいる。

 仲間クラスメイトを排除しようとしたのが悪かったのか? 芦原に手を出したのがいけなかったのか? 自分で直接手を下さなかったのが原因なのか? どこで何が狂ったのか、ちゃんと考えなければ次には活かせない。


 広間を離れアルティエラの後を追うと、すぐにその後ろ姿が見えてきた。


「姫様――アルティエラ!」

「っ、ユーヤ様……!」


 人知れず涙を流すアルティエラの姿に、胸が締めつけられる。

 一国の王女という立場でも、彼女はまだ十六歳の少女だ。親しい人間が殺されて、悲しくないはずがない。


「どういう――どういうことなんだ!? なんで、サーシャさんが……!」

「いけません……! ここでは、その話は……!」

「あ……」


 そうだ、勇者を間引く計画は俺とアルティエラと騎士団しか知らない。誰が聞いているかわからないこんな通路で、大っぴらに喋るなど論外だ。

 ……クールダウンしたつもりの俺も、自分で思っているより動揺しているらしい。いや、動揺して当然だろう。


「先程の話が全てです。……ただ騎士団は、あの魔素溜まりダンジョンの主――ユーヤ様が会敵したという例の魔物は、リコー様に倒されたと見ています」

「なっ――!?」

「その後魔素溜まりダンジョンから脱出し、『救出』の準備をしていたサーシャ以下七名の騎士を殺害した、と。……その方法はわかりませんが、動機は明確でしょう」

「動機、だと……?」

「怨恨です」


 怨恨――ああ、そうか。

 確かに芦原は、大河原や二階にイジメられていたことを気にも留めていないようだった。だがさすがにあんな危険な目に遭わされれば恨んで当然だろう。というか、


 そのためにサーシャさんや無関係の騎士を殺したというなら、邪魔者にも容赦しないほどの怒りを抱いているか、それとも騎士団の人間も含めて復讐対象なのか。

 だが、それほど強い奴がいまさらこんなことで恨みを――いやでも、殺されるような危険に遭えば――いや待て、そもそもあの状況は奴にとって本当に危険なのか――というか、芦原に本当にそんな異能ちからがあるのか――


「……わからない。俺には――」


 考えれば考えるほど、わからないことが増えていく。

 こんな経験は初めてだ。ああ、ひょっとしてこれが、挫折というものなのだろうか――


「わたくしもです」


 そっと、手を握られる。

 小さく華奢な手に包まれて、じんわりと熱が伝わってくる。その手は小刻みに震えていて、


「ですから、一緒に考えましょう。わたくしたちが、これからどうすべきか――」


 精一杯の、強がりの笑みを浮かべた。

 ――今にも泣き出しそうな、くしゃくしゃの笑みを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る