第11話 姫と騎士と
『――また、停まっちゃった』
数日前。
恒例となった勇者たちとの歓談を終えた折、第三王女殿下――アルティエラ・メルガルド・ルージェス様が不意に呟いた。
『ねえ、サーシャ』
『は――』
『あなたから見て、今の勇者様方の戦力はどのくらい?』
可愛らしい声で紡がれた言葉は、けれどそれと似つかわしくない物騒なもので。
そして私は、そんな殿下にすでに慣れてしまっているから。
『……
『騎士団で使うなら、ってこと?』
『はい。一般の兵としては大半が現状でも十分ですが、「勇者」という肩書きには相応しいものではないかと』
殿下が求めているであろう、簡素すぎず冗長でもない程度を心掛けて答える。
ふうん、という小さな相槌が恐ろしい。何か弁明が必要なのか、黙っているべきなのか、怒っているのか、喜んでいるのか、そもそもどういう意図での質問なのか――今の私には、殿下の考えはまるでわからない。
『サーシャ』
蕩けるような甘やかな声――ああ、これはダメだ。
殿下は楽しんでいる。……また、何かを企んでいる。
『最近の勇者様方、どこか気が抜けてないかな? 必死さが足りないというか、遊んでいるようにすら見えるのだけど』
『……彼らは元々、平和な
じゃあ、と殿下は続けて、
『
『――ッ!? 殿下、それは――!』
『二十八人もいるのだし、雑に半分くらい間引いてもいいと思わない? とりあえずユーヤ様は残しておいて――ううん、むしろ
年相応の乙女のように瞳を輝かせる姿は、見惚れるほどに可憐で。
けれど決して、無垢でも無邪気でもない。己がどのように他者から見られているかを理解している殿下は、それ故に他人に好かれるような言動、振る舞い、所作が染み着いている。
……だからこそ、本音を口にした時とのギャップが凄まじい。
そして、私は知っている。殿下の口にする言葉は、どれだけ荒唐無稽でも間違いなく本心だ。実行すると決めてしまえば、もはや躊躇うことなどない。
『――畏れながら!』
私には覚悟がない。
殿下を諫める覚悟も、殿下の覇道に付き従う覚悟も、ない。
『彼らは雛鳥なのです! 大空を羽ばたくにはまだ幼いというだけ――使えないと切って捨てるには早すぎます! 現に彼らは、常人より遥かに早いペースで力を得ています!』
それでも、黙って見過ごすことはできない。
殿下が戯れに潰えさせようとしているその命は、私たちが招いてしまったものなのだから。
『それに、彼らが勇者と呼ばれ、戦いに身を投じる宿命を背負ったのは我々の責任――そんな彼らを無為に消費するというのは、あまりにも……!』
勇者の中には、悪心を持つ者もいる。手に入れた
けれどユーヤやリナを始め、アヤフミ、シンゴ、サクラ、アキラ、フウカ、ハルマ、ユキノ、ジロウ、コトリ――清く正しく勇ましく、とは言えずとも懸命に努力している者たちだっているのだ。そんな彼らの努力と決意、そして悲嘆と苦悩とを踏み躙る権利がどこにあるというのか。
――雨の日でも汗を流す彼らを、
――星明かりの下で泣く彼女らを、
…………私は、もう知ってしまったから。
『――我々の責任、ねえ?』
けれど、殿下が食いついたのは私が真に訴えたいこととは別の箇所だった。
『嬉しいね。わたくしの
『それは――』
『異世界から猛者を呼び出せる勇者召喚は、儀式の過程で勇者の人数を指定できる。五人以内が理想的と伝えられているけれど、理論的には人数に上限がない』
以前、殿下から聞かされた話。
『歴代の勇者は、魔法やスキルがなくとも自前の
それらの事実から導き出した仮説――それは、
『世界と、そこに住まう人間には
……いや、殿下が仰るにはそれだけが目的じゃないのだが。
『彼らは
国王陛下が病床に臥せる今、王太子殿下を傀儡として統治の実権を握っているのはアルティエラ殿下に他ならない。
その彼女こそが、国を揺るがす混沌を望んでいる。支配者層による横行、異種族への弾圧、市井の民を苦しめる貧困――そうして腐っていく王国に、殿下は嫌気が差していた。
殿下は世界を変えることを望んでいる。けれどその過程で、
――そして当然、勇者だってそう。
『だけど時間をかけて鍛えていては、彼らは
殿下の顔から笑みが消える。
一切の感情が抜け落ちたかのような無表情は、人形と見紛うほどに生気がなく、そして美しい。これが殿下の素顔なのか、あるいは私に見せるための
やがて殿下の顔に再び笑みが咲き誇り、
『――うん、やっぱり一人くらいは死んでもらおうか。拠り所を失って立ち直れなくなると困るから、人も選んだ方がいいね』
『それは――いえ、殿下がそう仰るのであれば。……事故を装う形ですか?』
『それが自然かな。十三号
十三号
『ですがそれでも、その事故の責任を勇者から追及される恐れがありますが――』
『そうだねえ……なら、勇者様の誰かにも協力してもらおう。影響力があって、何なら自分から言い出してくれそうなユーヤ様がいいかな。責任の所在を分散して、犯人捜しを有耶無耶にできるといいけど』
困ったように言いながら、けれど口からは笑みが漏れている。
私の淹れた紅茶で唇を濡らした後、視線をこちらに向けて、
『あなたにも出張ってもらうよ、サーシャ』
『は――勇者の死亡を確実に見届けるために、ですか』
『それもあるけど……あなたは少し、彼らに情が湧きすぎているから』
にっこりと、天使のような微笑みを見せるのだった。
『早く慣れてね――
逆方向からの同時攻撃は、連携における基本にして奥義だ。
片方に意識を集中すればもう一方を知覚できない。かといって両方に対応しようとするのは難易度が高い。注意が散漫になる上に、ミスが生じればそこに付け込まれるのは必然だ。
連携する側にもリスクはある。息が合わなければ互いの攻撃が互いを傷つけることになる。魔法などの遠距離攻撃なら調整もしやすいが、得物を用いた近接戦闘にその手の妥協は許されない。
だからこそ、我々ルージェス王国騎士団はその鍛錬を積んできた。個人の力量差はあれど、間違いなく精鋭揃いである彼らが完璧な連携を見せたなら、大抵の者や魔物では動揺した隙に狩られるだけだ。
――故にこそ、それを凌ぐ
前後から迫る横薙ぎの剣閃に対し、リコーは後方に跳んで背後の騎士との距離を詰める。剣の間合いより内側に踏み込み、武器を取る手を掴んで捻ると、足払いで体勢を崩して前に投げ飛ばす。
「うおっ……!?」
「な――!?」
前方の騎士が攻撃を中断し、そのおかげで投げられた後方の騎士は無事着地する。
その間に逃げ出そうとするリコーを、他の騎士たちが囲んで魔法を放つ――が、
「っは……!」
リコーの右手に握られた、その辺りに転がっていた何の変哲もない木の枝。
彼がそれを掲げる度に、岩石の雨も氷山の波濤もリコーを避けるように分かたれ逸れていく。その現象からは、やはり魔力の気配を感じない。
こうした攻防を経て、彼を包囲する騎士団の勇にも疲弊が見て取れるようになってきた。
肉体的な疲労じゃない。自分たちの全力を尽く受け流されたことで、実力差を感じつつあるのだろう。心が挫ければ身体が追いつかなくなるのは当然だ。
「――あの」
こちらの攻撃の手が止まったからか、勇者が口を開いた。
その声にも口調にも敵意はない。これまでの戦いの全てを無に帰すかのように、呑気に問いかけてくる。
「どうして僕を襲うんですか? 僕はあなたたちと争う気は――」
「そちらになくともこちらにはある。貴様の存在が、我々に不利益を招くのだ」
もしも、彼に自らの力を公開する気があったなら。
もしも、彼がアルティエラ殿下をきちんと認識していたなら。
あるいは彼を連れて王城に戻る選択肢もあったかもしれない。
――そしてそのどちらでもない以上、殺すしかない。
「どうしても、ですか?」
「貴様の持つ
「それは……できません」
「ならば殿下に絶対の忠誠を誓え。殿下のためだけにその力を行使すると」
「それも、できません」
「なら交渉の余地はない。――貴様には、ここで死んでもらう」
なぜならリコーが、アルティエラ殿下に従わず敵対する可能性が高いから。
ちょうど、この十三号
――アルティエラ殿下が有するスキル『甘言』。
精神干渉系のスキルの一種で、端的に言えば『魅了』の下位に分類される。対象と会話し、相手の望む受け答えをすることで、対象に自分への行為を抱かせるというものだ。
相手を視界に収めたり、一定範囲内にいることで行使できる一般的な『魅了』スキルと違い、相手の趣味や嗜好、人間性を理解した上で会話という手順を踏む必要がある。
それでいて稼げる好意は微々たるもので、しかも永続的に作用する効果でもない。一度機嫌を損ねただけで、これまでの努力が水泡に帰すことだってある。
スキルの行使を相手に気取られにくいという利点はあるが、それ以外は決して強力な
それでも殿下はこのスキルと生まれ持った才知とで、後ろ盾のない第三王女の立場から実質的な統治者の地位にまで上り詰めた。容姿を磨き、所作を洗練させ、鑑識眼を鍛え、あらゆる人間に好かれるよう自らを変えたのだ。
当然、このスキルは勇者たちにも行使している。殿下が設ける勇者との会話の席も、目的は『甘言』で勇者たちを懐柔するため。
ユーヤは元から価値観が合うのだろうか、劇的な早さで効果が顕れた。それ以外の勇者にも大なり小なり影響が出ているのを確認している。
――そんな殿下のことを、リコーはわからない様子だった。
つまりは、『甘言』が一切効いていない。あるいはその場では効果があるのかもしれないが、わからなくなった時点で好感度は振り出しに戻ると考えるのが妥当だろう。
……リコーは大人しい。やれと命じたことは大概、拒否することなく即座にやってみせる。わざわざ殺すほどの脅威にはならないかもしれない。
だが先の会話からわかるように、己の中の意志や決まりを曲げることはないだろう。もしも殿下が彼のルールに抵触することがあれば、その瞬間に牙を剥く恐れだってある。殿下が望む混沌には相応しいかもしれないが、そのために殿下を危険に晒すわけにはいかない。
「そう、ですか……」
私の回答に、リコーはガックリと肩を落とした。
ようやく断念したのだろう。大きく息を吐き出し、悲しげに目を伏せた後、
「……でしたら」
姿が消える。
残像を目で追う。
囲いを抜けたリコーと、剣を握った片腕が宙を舞う様が視界に映り、
「ごめんなさい」
返す刀で背後を、いつの間にか手にしていた奇っ怪な形状の得物で斬りつけると同時、腕を落とされた騎士の首が飛んだ。
何が起きたのかわからない様子の、呆けた部下の顔から次第に色が失われる。地面に落ちた時にはすでに物言わぬ骸となっており、
「卑怯な手、使います」
そう宣言したリコーからは、殺人の動揺は一切見られない。
――殺しに慣れた、無機質な顔をしていた。
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