第10話 剣を向ける

「サーシャ」

「……ウォルフォードさん?」


 先輩騎士のいつになく真剣な声に、私は怪訝な反応を返す。

 親衛隊でも有数の実力者でありながら、それを隠して飄々としているのが常の灰髪の男性は、けれど今まで見たことのない表情を浮かべていて。


「最終確認だが、俺と部下二人で勇者たちを連れて王城に戻り、お前は残りの騎士と芦原理巧リコー・アシハラの死亡を確認する――で、いいんだな?」

「え、ええ。どうせ死体は残らないでしょうし、せいぜい一日ほど出入口を見張るだけになると思いますが……当初の予定通りでは?」


 それは、事前の話し合いミーティングですでに決められていたこと。

 魔素溜まりダンジョン内で起きたことについて協力者ユーヤから顛末は聞いたが、事故とはいえ犠牲者が出たことに変わりはない。


 牛頭ゴーシールシャ――この魔窟の主に襲われて生還するなど万に一つもないが、その万が一の希望を勇者たちに与えてはいけない。

 仲間が死んだという事実を、一切疑う余地なく突きつけること。それこそがティア様――いや、アルティエラ殿下のお望みだ。それを完遂することだけが、騎士わたしに与えられた使命だ。


 野営地は速やかに撤収し、すでに勇者たちは山の麓まで降りて輸送車に乗り込んでいる。ここに来てウォルフォードさんが躊躇うような何かがあるのだろうか。


「……お前、アシハラをどう見る?」

「どう、と言われましても……戦場には不要な人物、としか」

「俺もそう思っていたよ。――けど、


 不明瞭を断じてみせる彼の表情には、僅かに恐怖の感情が滲んでいて。


「おかしい、とは?」

「魔法を使わずに、俺たちと変わらない速度で走ってみせた。それに、オオカワラの『怪腕スキル』をモロに食らったのにほとんど負傷もない」

「……は? いや、そんな馬鹿な……」

「俺だって目を疑ったよ。それでも、紛うことなき事実だ」


 彼らの生まれた異世界において、魔法の類は神話や伝説、物語の中のものでしかないと聞いている。

 自然界の現象や法則を利用する科学技術とやらで繁栄を遂げた世界では、個人の強さに差が生じにくいために、より強力な武器や兵器が戦いの勝敗を分けるという。よって個人の肉体を劇的に強化する手段は未だ存在していないと、勇者の一人が殿下に話していたのを覚えている。


 故に殿、勇者たちの戦う術は魔法とスキルしかないはず。

 リコーは魔法を使えず、そして彼のスキルは『魔力貯蔵』だ。人間ひとりが持てるスキルは一つだけであり、その一つが役に立たない以上、彼は何の力もない只人であるのは間違いない。


 ……けれど、常識それだけでウォルフォードさんの言葉を否定する気にはなれなかった。彼は決して真面目な人ではないが、いい加減な仕事をする人でもない。

 何より、異世界人に勇者召喚という不確定要素イレギュラーの多い儀式に手を出したのだから、常識外の事態が起きていたとておかしくないだろう。それこそ、スキルを二つ待っている可能性だってある。


「……何か異常事態が起きたら、命令に背いて逃げ出すことも考えておいてくれ。俺や他の連中と違って、誰よりも古くから姫様に仕えてきたお前の存在は替えが利かない」

「そう、でしょうか……」


 彼の懸念は理解したが、その言葉には頷けなかった。

 配下の中で、殿下と最も付き合いが長いのは確かに私だ。けれどあの方は、で手心を加えてくださるような方じゃない。私とて、結局はの一つなのではないだろうか――


「……俺たちはもう行く。お前らと違って、俺は任務に命を懸けるほど勤勉じゃないからな」

「わかりました。……お気をつけて」

「バカ、そりゃこっちのセリフだ」


 私の背中を叩いた後、ひらひらと手を振ってウォルフォードさんは輸送車に乗り込む。

 三台の輸送車が出発して間もなく、魔素溜まりダンジョンの監視をしていた騎士の一人が山から降りてきて、


「どうした」

「は――十三号魔素溜まりダンジョンから魔物が逃げ出しています」

「……なに?」

「深層の個体も少数ですが確認しました。魔素溜まりダンジョンの崩壊時と状況は似ていますが、出てくる魔物の数が少ないのと、それに――」

「――主を倒す人間が中にいるはずない、か」


 ……どうやら早速、彼が懸念した通りの異常事態が起きているらしい。


 急いで魔素溜まりダンジョンの入口に戻ると、他の騎士たちが魔物を相手に奮戦している。

 有象無象を剣の一振り、魔法の一発で薙ぎ払いながら、一人では敵わない深層の魔物には複数で当たる。騎士として恥じない実力を有する彼らにとっては、決して対処の難しい状況じゃない。


「何があった!」


 到着と同時に部下たちに問う。

 低空を飛翔する飛火竜ファイアドレイクを斬り伏せた後、這い出てきた装甲百足ハードセンチピードの巨体を風の魔法で捕らえ、その頭に仲間が剣を突き立てたところで答えが返ってきた。


「不明です! ただ事態の少し前、周辺一帯が揺れたように感じました!」

「震源は十三号魔素溜まりダンジョンか!?」

「おそらくは!」


 要は、『何かが起きた』ということ以外には何もわからない状況だ。それでも今すべきことが、この魔物たちが野に放たれることのないよう、瀬戸際で食い止めることだというのは理解できる。

 ……昨日と一昨日で、勇者たちと共に浅層の魔物を狩り尽くしたのが幸いした。私たちにとっては取るに足らない貧弱な魔物であっても、戦う術を持たない民にとっては十分な脅威となる。この状況で場を埋め尽くすほどの数が迫っていたなら、少なくない魔物を取りこぼしていたのは間違いない。


 ピークはすでに超えていたのか、現れる魔物の数は次第に減っていく。

 部下たちにも余裕が生まれ、剣を振るいながら事態の解明に頭を使う。


「魔物が逃げ出すってことは、魔素溜まりダンジョンに異常が起きたと考えるのが普通だが」

牛頭ゴーシールシャが何かしたんじゃないのか? 今日は黒満月だからな」

「だが、奴は変化を嫌う個体のはずだ。周到かつ執拗な性格のアレが、不慮の事態を引き起こすとも思えん」

「やっぱ、誰かが中の様子を確認するべきだろ。考えているだけじゃ埒が明かねえ」


 彼らの意見は、極めて自然な発想だった。

 魔素溜まりダンジョン、あるいはその主たる魔物が主原因ではないかと。消去法で考えればそうとしか考えられない以上、その前提で話を組み立てるより他にない。


 ……だから、異なる考えを持っているのは私だけだろう。芦原理巧リコー・アシハラ――あの少年が何かをしでかした、なんて荒唐無稽が頭から離れないのは。

 ……いや、この期に及んで誤魔化してはいられない。『何かをした』なんて次元の話じゃない、彼があの強大で凶悪な、幾人もの強者を屠った牛頭ゴーシールシャを――




「――誰か、魔素溜まりダンジョンから出てくる!」




「っ!?」


 と、索敵に長けた騎士が叫ぶ。

 、と彼は言った。その言葉だけの意味するところは、


「人間……?」

「いや、あり得ないないだろう! 騎士団われわれが管理している魔素溜まりダンジョンに、侵入者なんているはずない!」


 彼らの持ち得る知識では、そう反論するのも仕方ないこと。

 ――だからこそ、私は新たな可能性を彼らに提示しなくてはならない。


「――芦原理巧リコー・アシハラだ」

「え……」

「はあ……?」

「騎士団の監視の目を掻い潜って侵入するのは困難だろう。であれば、我々の目の前で――我々と共に魔素溜まりダンジョンに潜り、そして帰らなかった者だと考えるのが自然だ」


 その言葉に、部下たちが怪訝な、白けたような表情を浮かべる。

 ……実力や立場は私の方が上でも、彼らにとって歳下の小娘であることに変わりはない。普段どれだけ取り繕っていても、いざという時には本心が顕れるものだ。


「……そりゃ、いくら何でもありえないでしょう」


 嘲笑を隠さずに言うのは、リコーに魔法の指導をしていた騎士だ。

 かの少年の無能っぷりを最も近くで見続けてきたからこそ、彼は自信満々に断言する。


「アイツは演技でも何でもなく、魔法が使えない。牛頭ゴーシールシャに襲われて、生きているはずがない!」

「私だってそう思うさ。だが、彼は『勇者召喚』で呼び出した『異世界人』であり、そのどちらのことも私たちは完璧に理解できてはいない。魔法でもスキルでもない、未知の力がないとなぜ言い切れる?」


 ぐ、と相手は言葉に詰まる。言ったもの勝ちの言葉ではあるが、この異常事態では一定の説得力を有する。

 納得はしていないが一概には否定できない、といった様子で押し黙る部下たち。この場で討論に及ぶことに意味はないので、とりあえずはこれで良しとしよう。


 ともかく、今重要なのは魔素溜まりダンジョンから現れる人物だ。

 誰であろうと対処できるよう、臨戦態勢を整える。全員疲労はあるが、個人でも集団でも動きに支障をきたすほどヤワじゃない。




 そして、剣を手に待ち構える私たちの前に、

 ――芦原理巧リコー・アシハラが姿を現した。




 予想してなお、驚きを隠せない。まさか、という思いで思考が停止する。

 紫に染まるその姿は、これまで目にしたどこか抜けた様子と何ら変わらない。ともすれば、牛頭ゴーシールシャなどとは接触しておらず、単に置いてけぼりにされただけなのではと疑ってしまうほどに。


「――――動くな」

「……うん?」


 その疑念を振り払い、呑気に背伸びするリコーの前に躍り出て、眼前に剣を突きつける。

 それでもなお慌てた様子のない少年に、逆に彼が普通じゃないことを確信する。非力な人間が武器を向けられて平然としていられるはずないのだから。


「貴様、なぜこんなところにいる」

「なぜって、えーと、たしかダンジョンで実戦経験を積もうって話で――」

「ふざけるなよ――牛の頭をした魔物と接敵したはずだ、どうやって生き延びた」


 問うと、少年はわかりやすく視線を逸らした。

 そして視線を戻した時、彼は僅かに諦めを滲ませて、


「……他の魔物が襲ってきて、そっちと戦っている隙に逃げ出しました」

「散々殴られたと聞いたが?」

「あー……相手に当てる気がなかったんですよ。遊ばれてたんです」


 あからさまな嘘だ。それはリコー自身にもわかっているだろう。

 つまりは、言外に「追及するな」と言っている。……ナメられたものだ。


「……あの」


 と、リコーが何かを言おうとする。

 彼は私の身体を――否、私の纏う鎧や突きつけた剣を一瞥した後、




……?」




「…………、は?」


 おっかなびっくり、そんなことを訊ねてきた。


 ――私は、自分の容姿が他者よりも優れ、良くも悪くも人の目を惹きつけるものだと知っている。自負や誇りとしてではなく、むしろ忌むべきコンプレックスとして、その事実を正しく認識しているつもりだ。

 故に、私の顔がわからず、装備でしか人を判別できないような人間と出会うのはこれが初めてだった。加えて先の言い方だと、彼は名前すらも覚えていない可能性がある。他の勇者より頻度は少なかったが、間違いなく訓練の中で幾度も言葉を交わしたにもかかわらず、だ。


 人間社会に真っ向から反する彼に対し、恐怖すら覚える。

 共同体を作ることでより大事を成す人間という種の在り方を、他者との繋がりを断ち切ることで否定している。生来のものか、それとも何らかの理由でそうなったのかはわからないが、少なくともまともな人間の思考や精神じゃない。


 ――いや、待て。

 もしもリコーが、私以外の人間の顔や名前をも覚えていないのだとしたら――


「……言え」

「はい?」

「殿下の名前だ! ルージェス王国第三王女殿下、貴様たち勇者を召喚したあの御方の名前、容姿、交わした言葉の数々――それをここで言ってみろ!」


 震える怒声で紡いだ要求に、彼は大人しく従う。

 そして十秒、時間をかけた末にハッキリと答えた。


「――ごめんなさい。僕、人の顔と名前を覚えるの苦手で」


 その一言で、私のするべきことは定まった。

 定まって、しまった。


「……そうか」


 ――だというのに、私はこの期に及んで揺れている。

 心が定まっていない。迷いがあり、後悔があり、何より彼らに申し訳ないと思っている。私に今さら、そんな感情を抱く資格などないというのに。


 だからこそ、ここで覚悟を決めよう。

 私心を捨て、殿下のためのただ一本の剣となる。これはそのために用意された試練なのだと思え。


 そのために、私は、


「死ね」


 この怪物を、殺さなければならない。

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