第9話 生きるために
芦原理巧の剣閃が、その身を着実に引き裂くようになったからだ。
先までは掠り傷程度しか与えられなかった少年の謎の攻撃が、怪物の頑強な肉体を断つ。腕や脚を落とされた回数はすでに十を超え、そちらの再生を優先しているがために胴に刻まれた傷を回復する暇がない。
厄介なのは、これらが斬撃による傷ではないことだ。引きちぎられるような負傷は、鋭利な刃で斬られたり貫かれるよりも遥かに痛い。その苦痛が怪物の思考を鈍らせる。
少年も息が上がり、動きに雑さが現れている。決して消耗がないわけではない。
だがそれでも、著しい攻撃力の増強は戦況を優位に導く。肉体の欠損さえ元通りにできる
「ふっ――!」
『ヴォオオオオオオォォォ――!!』
懐に潜り込んだ芦原の一刀が、
腕一本と引き換えに胴体を守った怪物は、蹄の足を少年へ振り下ろす。食らえばタダでは済まない一撃を前にして、彼は回避に動かざるを得ない。
ここで
それは苦肉の策としか思えない愚行だ。確かに正面からの攻撃なら一度か二度は耐えられるかもしれないが、避けられて無防備な側面か背面にでも回られれば、致命の隙を晒すことになる。
だから当然、芦原も
――けれどそれこそが、
「――――ぁ」
横に跳んだ少年は、すれ違いざまに目撃する。
今の今まで使われなかった長大な尻尾が、鞭のようにしなる様を。
これが
だから、待ったのだ。確実に、相手の意識に僅かな空隙を生むことができるその瞬間を。反撃はないと確信した相手が無防備を晒すその一瞬を。
よって、芦原にこれを防げる道理はない。
――それでも、ある程度なら威力を殺すことはできる。
「が、ふっ……!?」
『グルウウウウウウゥゥゥ!!』
彼が咄嗟に放った迎撃の一刀が、怪物の尾を根元から断っていたために、力が十全に伝わらなかったのだ。彼が対応できずに尾を振り抜かれていれば、即死とは言わずとも致命傷は避けられなかっただろう。
それでも傷を負ったことに変わりはない。そして芦原の身体が只人より優れた自己治癒力を備えているとはいえ、対峙している怪物のように即座に肉体を復元することは不可能だ。
追撃する
跳躍した怪物が両拳を振り上げる。全体重を乗せた一撃で肉の一片に至るまで粉砕せんとする怪物の口元は、愉悦の笑みで吊り上がっている。忌々しい相手を打ち倒す、その快感に昂りを抑えられずにいた。
『グルアアアアアアアアアアアアァァァァァァ――――――――――!!!!』
過剰な幸福は脳を侵し、正常な判断能力を奪う。
――あるいは
「……ごめん」
少年の呟きは、怪物の咆哮に掻き消される。
けれど、そこに宿る思いが消えたりはしない。
「僕はまだ、死ぬわけにはいかないんだ」
そしてその思いが、爆発的な力を生む。
比喩や精神論などではない、精神力が正真正銘の動力源となる――彼が扱っているのはそういう術技なのだ。
落下する
少年の瞳――恐怖も、赫怒も、敵意さえ、何一つ感情の窺えなかった両眼に、初めて人間らしい色が宿る。それは決意と、そして僅かばかりの憐憫で、
「――【一太刀の
それは、先まで芦原が行使していた攻撃術と何も変わらない。
あらゆるものを裂いて開くだけの力に過ぎない。
――ただ、
壁に背を預けたまま、無造作に振るった一刀。
生存本能によって
『――――――――……………………ァ』
断末魔を上げる間もなく怪物の身体は二つに分かたれ、空中で血飛沫を撒き散らした。
数秒間だけ降り注いだ紫のシャワーを浴びて、芦原は嘆息する。
「……やっちゃったなあ」
その言葉に、生を拾ったことへの喜びや安堵はない。
自らへの嫌悪感と、そして誰かに対する罪悪感を吐き出して、彼は目の前の光景を注視する。
――
この世界では理外とも言える傷跡を、芦原は戒めとして自らの心に刻むのだった。
主たる魔物が人間に倒された場合、
洞窟は元の広さとなるが、そこに収まりきらない数の魔物――特に深層の強大な魔物が未だ
だが、芦原の一撃が
ねじれ、広がり、折り畳まれた空間に境がなくなったことで、最奥にあるべきものが引きずり出されてしまった。……要は、文字通りの
そうなれば、魔物たちによる
制御権を手に入れたそばから集中的に狙われ、負傷を再生するもいずれは数の暴力に蹂躙される。それが延々と繰り返されれば、後に残るのは疲弊しきった僅かな数の魔物と、枯れ果てた
そうした闘争を尻目に、芦原はさっさと
空間が歪んだことで、出口まで大幅なショートカットができたのが幸いした。道中、少なくない数の魔物とすれ違ったり追い抜かれたりするも、自らを襲う個体だけを両断してそれ以外は
周囲に魔物の影がなくなってしばらく経った後、ようやく木漏れ日が覗く出口に辿り着き、外に出た少年は大きく背伸びする。
閉塞した空間の淀んだ空気とは違う、木々や土の香りが混ざる清々しい風を胸いっぱいに吸い込んだ――
「――――動くな」
「……うん?」
――直後、取り囲まれた。
鎧を纏い剣を構える七人の騎士。
その一人、銀髪を揺らす美麗な女騎士――サーシャ・クレスタンが、刃と共に険しい視線と、そして殺意を向けていた。
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