第8話 魔の物、魔の術

 少年の手に、力が顕現する。

 それは確かな形を伴い、彼の右手に握られた。


 材質は鋼に見えるが、その形状は異形だった。剣を思わせる得物でありながら、刀身から枝のようにさらに小さな刀身が六本伸びている。どう見ても実用性があるとは思えない武器だった。

 ――それが『七支刀』と呼ばれる異世界の剣であることを、牛頭ゴーシールシャは知らない。無論、本来なら武器として使用するものでは断じてないことも。


 怪物が慄く。刀から感じられる、芦原が放つそれとはまた別の濃密な気配が、巨躯を震え上がらせた。

 殺気でもなければ邪気でもない、いいやその逆――聖気や神気とでも呼ぶべき、清廉なる力を帯びていた。それは決して優しく温かなものではなく、むしろ全てを焼き尽くす陽光のような暴力的な純白を思わせるもので。


 柄のない、剥き出しのなかごを掴み、調子を確かめるように軽く振るう。

 そして小さく頷いた、


「――うん」


 直後、一息で距離を詰めてきた。


『グオオ……!?』


 それは人間の出す速度としてはかなりのものだが、牛頭ゴーシールシャを凌駕するほどではない。足を狙った刀の一撃は、回避するなど造作もなかった。

 バックステップで一歩分の距離を稼ぐ。それは怪物にとっては至近である一方、少年にとっては得物の間合いの外となり、一手分の差を生んだ。


 そこに反撃の拳を叩き込むのは、決して間違った手ではない。

 ――相手にものでなければ、の話だが。


「っし……!」


 芦原はそれを、先の怪物と同様に、何の苦もなく回避した。

 その最中、迫る相手の腕に返しの一太刀を浴びせた。浅く入ったそれは深手にはなり得ないものの、その傷口の異常性に牛頭ゴーシールシャはすぐさま気づいた。


 刀が触れていないにもかかわらず――そもそも彼の操る七支刀には刃がない――皮膚が破られ、肉が開かれる。その傷は切創の類ではなく、引き裂かれたかのような荒々しい裂傷で。

 不気味さを感じながらも、しかし怪物は怯まない。カウンターを狙ったのは、正面からの力比べに自信がないためだと判断し、むしろ攻勢を強めていく。


 牛頭ゴーシールシャの攻撃は殴る蹴るといったシンプルなもので、肉体の可動域も人間と大差ない。対人戦闘、それも肉弾戦に慣れた者であれば動きを予測することは難しくないだろう。

 しかしそれは、対処が簡単であることとイコールではない。巨体が生み出す重量と速度は、生半可な技術を容易く粉砕する。無双の怪力か、堅牢な防御か、熟達した技量がなければ掠っただけで致命傷になりかねない。


 芦原もまた、牛頭ゴーシールシャの攻撃を回避しながら反撃で刀を振るう手際は見事なものだが、攻撃を受け止める、あるいは受け流す素振りは一度も見せていない。最初、怪物の猛攻を何らかの方法で受け続けたにもかかわらず、だ。

 あれだけ強固な防護があるなら、もっと深く切り込める機会などいくらでもあったはずだ。それをしないということは、気軽に使えない理由があると怪物は判断する。


『ヴォアアアアアアァァァ――――!!』


 傷を負うのは牛頭ゴーシールシャばかりだが、戦況的に優位に立っているのはそちらだ。お互いに決め手がない現状、戦いは持久戦の様相を呈しており、であれば魔素溜まりダンジョンが内包する膨大な魔素マナを体力源とできる怪物が有利なのは明白だった。

 加えて先のような迷いもなく、怪物は攻めの手を緩めない。退けば相手に好機チャンスを与えるだけだと学んだから、リスクを負ってでも肉薄する。


 そうしている内に、互いが互いの動きを覚えるようになる。腕の軌道、足運び、腰の捻り、体重移動――それらに適応することで、戦闘はより効率的に、そして高速化していく。

 であればやはり、モノを言うのは体力スタミナだ。集中力も判断力も反射神経も反応速度も、優劣はあるが決定的な差が生じるほどではない――疲労で崩れない限りは、の話だが。


 目まぐるしい攻防の中で、次第に芦原の反撃の手数が減っていく。一撃でも食らえば終わりの彼にとって、最も優先すべきは確実な回避だ。そちらに意識の比重を傾ければ、攻撃が覚束なくなるのは自然なこと。

 故に、少年から疲弊が見えるようになった今、もはや彼に勝ちの目はないと誰もが思うことだろう。


『グオウウウウウウゥゥゥ!』

「――っ?」


 ――だが、牛頭ゴーシールシャは退いた。大きく後方へ、逃げるように。

 それによって、面食らった芦原が直後に振り下ろした一刀はあえなく空を切り、




 魔素溜まりダンジョンの壁に大きな亀裂が走った。




 地割れと称せるほどの断裂が、七支刀の一閃によって天井から壁、床にまで刻まれる。魔素溜まりダンジョンを構成する強固な素材を割砕する威力は、命中すれば牛頭ゴーシールシャを両断することも容易かっただろう。

 だが、反撃が絶えてから刀が嫌な気配を帯びていくのを感知していた怪物は、そちらへの注意を欠かさなかった。力の高まりが止まった直後、あえて前がかりになることでカウンターを誘ったのだ。


「あれー……? なんでバレたんだ」


 渾身の一撃を避けられた芦原が首を傾げる。少なくとも彼の知る常識において、を事前に察知する手段はない。だからこそ、大技が来るとわかっていたかのような牛頭ゴーシールシャの動きに、彼は疑問を覚えた。


『ヴォアアアアアアァァァ――――!!』


 その隙を狙って怪物が再び接近する――が、


「じゃ、こっち」

『――! ヴァウウウ……!』


 芦原が空いている左手を翳した直後、またしても牛頭ゴーシールシャは逃げようとする。

 だが、今度は間に合わない。宙に現れた十条の光帯が、怪物――ではなく、その周囲の空間を縛り上げ、その上からさらに別の光帯が巻き付いた。


『グルウウウウウウゥゥゥ――――!!』


 出来の悪い包装ラッピングのようなものに閉じ込められた牛頭ゴーシールシャは、脱出を試みて光帯に殴りかかる。

 ……が、ビクともしない。いいや、そもそも攻撃の手応えすらない。そしてこれと同じ感触を、怪物はすでに知っている。


 だ。この気持ちの悪い感触を間違えるなどあり得ない。本来はこうして、相手を閉じ込めるために技なのだと怪物は理解する。

 そして逆に言えば、この光帯に封じられている間、外の者は中の者に手出しできない。つまり怪物が少年を攻撃できないと同時に、少年もまた怪物を攻撃できないということ。


 そして牛頭ゴーシールシャは考える。自分が身動きを取れずにいる間に、魔素溜まりダンジョンの外へ逃げ出す算段なのではないかと。

 怪物がそう危惧するのに対し、しかし芦原はそのような素振りを一切見せない。今まで命懸けの戦いをしていたことなど忘れてしまったかのように、呑気に深呼吸し、刀を振るい、身体のストレッチまで始める。


 それは傍目には間違いなく意味のわからない行為であり、


「――よし」


 けれど彼には間違いなく意味のある行為だった。


 光帯が解けると同時、芦原が動く。

 防壁が消えたその瞬間を狙うのは自然な発想で、当然牛頭ゴーシールシャにも予測できていた。故に回避と防御に専念しようとして、




 直後、腹を横に裂かれた。




 半ばまで開いた腹部から、毒々しい紫色をした血と臓物が溢れ出した。

 強大な魔物とて生物である以上、器官を傷つけられれば甚大なダメージを受けるのは必然だ。魔素マナの供給により時間さえかければ致命傷すら治せるとはいえ、一時的な戦闘力低下と激しい苦痛は避けられない。


『……ヴォ、アアアアアアアアアアアアァァァァァァ――――――――!!!!』


 怪物の口から、苦悶と驚愕の咆哮が放たれた。

 長らく味わっていない深手に、牛頭ゴーシールシャの意識が明滅する。魔素溜まりダンジョンの主として格下を狩るばかりだった怪物は、ここでようやく自らの『敵』を理解する。


「ようやく、調子が戻ってきたかな」


 ――それは人の姿をしているが、紛れもなく自身と同じ怪物だった。

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