第5話 底辺の異常者

 魔力の源は、『魔素マナ』と呼ばれる粒子であるらしい。

 人間や魔物は空気中に漂うそれを体内に取り込み、魔力というエネルギーに変換する。魔素マナはあらゆる動植物が生命活動を行うことで肉体から排出され、魔力として消費されようともこの世界から絶えることはないという。


 魔素マナが魔力の源である以上、空気中の魔素マナの量が多い――魔素マナが濃い場所ほど生成できる魔力の量は増え、魔法のパフォーマンスは向上する。それも己の力量を錯覚してしまうほど劇的に、だ。

 故に、人も魔物もそうした場所を好むのは当然だった。特に高位の魔物は、魔素マナ魔素マナのまま操るという技術を単体で有している……それがどれほど驚異的なことなのかは、正直まだわかってないんだけどな。


 ともかく、そんな強大な魔物が潤沢な魔素を使い作り上げた住処を『魔素溜まりダンジョン』と呼ぶ。

 見た目以上の広大な空間と、魔物の活動に適した環境を内包する異界は、放置しておけば魔物の発生源と化すため早急な解体が求められる。つまりは、魔素溜まりダンジョンの主である魔物を打ち滅ぼさなければならない。




 ――その魔素溜まりダンジョンの攻略に臨んで、今日で三日目になる。




 王都から軍用輸送車――魔法を動力とする、人員や物資を運ぶための大型の荷車――で約二時間の、人里から離れた森の奥。小高い山にできた小さな洞窟こそが、俺たちが挑む魔境の入口だった。

 そこから少し離れた位置にベースキャンプを設営して、並行して野営の経験も積まされていた。いずれは指導役の騎士がいなくとも勇者たちだけで野宿ができるよう、早めに教えることにしたとサーシャさんは語っていた。


 そうして用意された魔物との実戦は、俺たち勇者にとって大きな試練となった。


 初日は順調だった。入口に近い浅層にいるのは、弱い魔物ばかり。気弱な生徒の一部はこの時点で腰を抜かしていたが、概ね問題なく初体験を済ませたと言っていいだろう。


 ――問題は、次の日だ。魔物を駆逐し終えた浅層を早々に抜けた俺たちを出迎えたのは、昨日相手した雑魚とは比べ物にならない、一定の能力や知能を有する魔物だった。深層ほど魔素マナが濃くなり魔物が強くなるという話は事前に聞いていたが、それでも多くのクラスメイトが苦戦を強いられた。

 あるいは万全なコンディションなら問題なく打ち倒せていたのかもしれないが、昨日の初めて実戦による精神への負荷と、野営という普段より質の低い休息による肉体の疲れが、奴らの動きを目に見えて悪くしていた。


 結果、八人が軽傷を、二人が重傷を負った。全員命に別状はないが、精神的に不安定になっている奴が何人かいる。二日目を終えた夜の様子を見た感じ、疲弊している奴とそうでない奴との差がかなり大きいようだった。


 そうして三日目は、重傷の二人を含めた離脱者五人をキャンプに残して再び魔素溜まりダンジョンに潜った。

 二十三人を四、五人ずつのグループに分け、監督役の騎士についてきてもらいながら内部を探索する。実戦経験ではなく、危険に対する注意力や判断力を高めるための訓練であり、この時点で魔素溜まりダンジョンの攻略というお題目はほぼ形骸化していた。


 ……けれどそれは、何も知らない連中の話。

 同行している騎士たちと、そして勇者の中で唯一俺だけが、この遠征の本当の目的を知っている。


 その一つは、犠牲者を出すことで勇者たちの危機意識を呼び起こすこと。とはいえこちらは、昨日出た負傷者の影響で半ば達成されていると言っていい。未だ能天気なのは、自らを物語フィクションの主人公と勘違いしているような馬鹿ばかりだ。

 故に、重要なのはもう一つの目的――勇者に相応しくない人間を排除すること。とはいえ当然、俺たちが直接手を下すわけじゃない。ある意味では、自殺とも言える殺し方だ。


 ――すなわち、深層の魔物に処理させる。

 全能感に支配された馬鹿は、俺が言葉で制止しようとも勝手に奥へ奥へと進んでいく。そうすればいつか自然と、今の俺たちでは敵わない強敵と出くわすことだろう。


 俺が生贄に選んだのは、同行している三人。


「ザコばっかで張り合いがねえなァ。この程度の魔物相手にドイツもコイツもビビりやがって、みっともねえ」


 鼻を膨らませて他の勇者を扱き下ろす、大河原厳一。


「しょーがないでしょ、アタシたちとアイツらとじゃ持ってるものが違うんだから。こんなザコ相手に死ぬかもしれない、弱っちい連中なんだから――キャハハハッ」


 便乗して嘲笑を浮かべる、二階春陽。


「……………………ふう」


 そしてその二人の荷物持ちをやらされている、芦原理巧。


 選定理由としては、大河原と二階は積極的に揉め事を起こす上に取り巻き共への影響力もあること。芦原の方は、戦力だけでなく人間関係の面でも、いなくなったところで全く痛手にならないこと。とりあえずは、この内の誰か一人でもくたばってくれればそれでいい。


 そのグループに俺が同行しているのは、可能な限り不測の事態を起こさないようにするため。こいつらが勝手して魔物の大群に襲われるのは勝手だが、それを他の勇者の元に引っ張ってくるようなことにならないとも限らない。

 グループ内に犠牲者が出れば少なからず俺も叩かれるだろうが、嫌われ者が死んだ程度で一気に人望を失うようなことはないはずだ。少なくとも、それだけの信頼は築いてきたと自負している。


「しっかしいつになったらボス部屋に辿り着くんだか……おい、そろそろ休憩しようぜ!」

「さんせー。アタシ足痛くなってきたんだけど――神仙、アンタ抱えてってくれなぁい?」

「ちゃんと鍛えてないからそうなる。恨み言なら訓練をサボってた自分に言うんだな」


 魔法によってスタミナも含めた身体能力が向上しているとはいえ、その身体を効率的に使う練習をしていなければパフォーマンスが落ちるのは必然だ。どれだけ強いスキルを持っていても、本人がこのザマじゃいくらでも付け入る隙はいくらでもある。


「まあまあ、実際かなりの距離を進んではいるし、ここで一息ついておくのもいいだろう。思わぬところで疲労が響けば、助かる命も助からないからな」


 同行していた騎士のウォルフォードさんが、奴らの提案を支持した。地味で覇気のない風貌だが、その実力はサーシャさんが保証する確かなものだ。

 馬鹿二人は完全に彼をナメている。彼が賛同したのも、自分たちが正しく、彼はそれに追従することしかできないからだとでも思っているのだろう。そうしてプライドばかりが肥大化していけば、望む方向に誘導コントロールするなど造作もない。


 そうして近くの岩場に腰を下ろす。正直に言えば、こんな気味の悪い場所で休息を取りたくなどなかったのだが、不気味さに慣れるためだと思って我慢する。

 十数メートルの高さとその倍以上はある横幅、そして先の見えない深奥へと続くこの一本道は、赤というか紫というかピンクというか――生物の肉や内臓を連想させる生々しい色で艶めいていた。浅層は至って普通の洞窟だったのに、深く潜るにつれてその環境は異様なものとなっていく。これが魔素溜まりダンジョンの常なのだとしたら、何とも気持ちの悪いことだ。


「おい、芦原ァ! さっさと水よこせよ使えねえな!」

「無能な指示待ち人間の典型って感じ。マジでアンタ何にもできないよねえ、生きてる意味あんの?」

「ああうん、ちょっと待って」


 怒号を飛ばし、愉快そうに嘲る馬鹿二人に従って、芦原は水筒の鉄瓶――文字通りの鉄の瓶――を放り投げる。

 以前なら馬鹿を増長させる行動に苛立ちを覚えていたところだが、今日の数時間だけでも芦原を行動を共にして、俺の思いには小さくない変化が生まれていた。




 芦原理巧――この男は普通じゃない。




 大河原や二階による芦原へのイジメは、少なくとも今年度――二年生に入ってから始まったものではないと記憶している。芦原だとは知らなかったが、馬鹿共が誰かを標的に定めたという話は去年から聞いていた。

 それほど長い期間に渡り悪意や暴言、暴力、器物損壊などの被害に遭いながら、にもかかわらず芦原からは悲嘆や憤怒の感情が見て取れない。恐怖に震えず、媚びもせず、奴らのことなど何とも思っていないかのように至って普通に接するなど、ハッキリ言って真人間の精神メンタルじゃない。


 現に今も、


「……あ? んだよ、もう水ねえのか。おい芦原、オマエの分オレによこせよ!」

「え? ……なんで?」

「ハァ!? オマエみてえな荷物運びしかできねえザコより、オレの方が何万倍も優秀だからに決まってんだろうが! 資源ってのはなァ、価値あるものに投資しないと意味ねえんだよ、わかったか無能!」

「いや、水と携帯食糧はみんなで均等に分けるって話だったし、他人に譲るのも禁止だって、えーと……騎士の人も言ってたから。悪いけどそれはできないんだ、ごめんね」


 大河原の要求を突っ撥ねている。おそらくは、今朝サーシャさんがそう言っていたから、というただそれだけの理由で。

 それは逆に言えば、今まで芦原がイジメを受け入れていたのは、――という可能性を示唆していた。あるいは本当に、奴らのことを何とも思っていないのかもしれない。


 ――気味が悪い。

 なんとなくだが理解できた。馬鹿共が芦原にこだわるのは、そんな態度が気に食わないからだ。怯えさせて、泣かせて、怒らせて、こいつも所詮は弱い人間なのだと、そう思いたいからだ。そうでなければ、こんなまともじゃない男と関わり合いになりたいとは思わないだろう。


「芦原、オマエ――」


 大河原が立ち上がり、芦原に近づいていく。

 その表情は、噴火寸前のマグマを思わせるほど煮え滾っていて、


「――調子乗ってんじゃねえぞオラァ!!!」


 キレた奴の右腕が一瞬で肥大化し、横薙ぎの裏拳が芦原の顔面を強打した。

 強力なスキルである『怪腕』の、あまりにも情けない使い方だが、だからこそ結果は目に見えている。吹っ飛ばされた芦原の顔面はグチャグチャで再起不能、仲間に暴力を振るった大河原を拘束する言い訳も立つ――と、二人を同時に処分する目処が立った。


「おい! 何やって――」


 そのために、俺も立ち上がって大河原に詰め寄り、




「っぁ…………あ、鼻血出てる」




「――――…………、は?」


 けれどその足は、場違いなほどに間の抜けた声によって縫い止められた。


 顔面を殴られ、壁に叩きつけられたはずの芦原が立ち上がった。ふらつく様子もなく、確とした足取りで。そしていきなり殴られたことではなく、鼻血が出ていることをより気に留めているように見える。

 芦原が無事だったということは、大河原の奴が手加減したのだろう――いや、そうでなくてはおかしい。俺の目に、本気とは言わずとも普通の人間ならまず助からないだろう力を奴が振るっていたように見えたとしても、軽傷で済んでいる以上そう解釈するしかない。芦原には、基礎的な身体強化の魔法すら使えないのだから。


「っあ――は、ハァ? オマエ、なんで平気で――」


 けれども、動揺、焦燥、困惑――それらが見て取れる大河原の狼狽えようは、奴がカッとなってことを如実に表していた。

 つまり芦原は、本当に、スキルの一撃を食らってもほとんど無傷で――






『ヴォアアアアアアアアアアアアァァァァァァ――――――――!!!!』






「――っ、なんだ!?」

「うおっ!」

「ひゃっ!?」


 それらの思考や場の空気を全て塗りつぶす咆哮が、突如として轟いた。

 声は遠い、しかし大きい。鼓膜だけでなく身体を、通路を、空間をビリビリと震わせる。身が竦むほどの咆哮の影響が抜けたのは、床を通して伝わる疾走の振動に気づいた時だった。


「クソ、マジか――全員、荷物を捨てて今すぐ走れ!! 魔素溜まりダンジョンから脱出するぞ!!」


 ウォルフォードさんが語気を強くして叫ぶ。覇気のない彼が常ならぬ様相を見せているのは、それだけの脅威が迫っているという証明に他ならない。

 ――だが、その言葉が逆に問題児共を刺激した。


「……ハッ、逃げろだと? 腰抜けが、誰に向かって言ってんだよ」

「獲物が自分からやって来るなら、望み通り狩ってやろうじゃん」


 大河原と二階が不敵な笑みを浮かべて咆哮の発生源――深層へと続く道の先へ目を向ける。

 危機感皆無の愚行だが、それこそ俺たちが待ち望んでいたものだ。このまま勝手に強敵に挑んで、二人そろって自滅してくれるとありがたい。


 ――そう、思っていたのに。




『グオアアアアアアアアアアアアァァァァァァ――――――――!!!!』




 再度の咆哮と共に現れたその姿を目にして、思い知らされた。

 ――現実が見えていないのは、俺の方だったのだと。

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