第4話 勇者と、姫と

「ようこそいらっしゃいました、ユーヤ様!」


 訓練を終えた後、訪れたのはアルティエラの自室。

 華美ではあるが奢侈しゃしではない、趣のある調度品が並ぶ彼女の部屋にいるのは、俺と彼女とその護衛役のサーシャさんのみ。普段は側仕えの侍女や騎士が一定数いるのだが、こうした場では可能な限り人払いをしているように見えた。


 サーシャさんが椅子を引き、用意されたティーテーブルの前に座る。対面には、ワクワクを隠そうともしないアルティエラがすでにおり、


「先日は、勇者様方の世界の歴史の話でしたよね。あちらに関連して、文化面での発展などを教えていただきたいのですが――」

「何度も言うが、俺の話はあくまで一般教養程度のものだ。詳しくは掘り下げられないし、間違っている部分もきっとあるぞ」

「承知しております。ですが、ええ――そういった部分を議論するのも、とっても楽しいと思いませんか?」


 満面の笑みでそう問われては、否定することなどできるはずもない。

 敵わないと答える代わりに笑みが漏れ、彼女はそれを了承と受け取った。


「サーシャ、お茶をお願い。……ユーヤ様は、緑茶グリーンティーがお好きでしたよね」

「いや、たまには俺も紅茶をもらうよ」

「かしこまりました」


 主の命に従い、サーシャさんは用意されていたティーポットからカップに茶を注ぐ。褒め言葉になるかはわからないが、本職の侍女にも劣らない洗練された所作だった。

 差し出されたそれを、まずは香りを楽しみ、それから一口味わう。正直、紅茶の良し悪しはよくわからないが、ひどく不快でなければとりあえず正直に称賛しておけばいい。知ったかぶって弁を重ねたところでボロを出すのは目に見えている。


「――うん、美味い」


 それから、いつものように故郷の世界の話を始めた。

 それは文明の話であり、学問の話であり、科学の話であり、遊戯の話であり、社会の話であり、職の話であり、食の話であり、生物の話であり、環境の話であり、そしてまた文明の話であり――要は雑多で取り留めのない話だ。


 魔法の存在しない科学の世界、地域によって全く異なる神話と宗教観、国家と法と君主と民の在り方――それらを神妙な顔で聞きながら、伝承やおとぎ話などの娯楽には笑みを浮かべる。アニメやマンガなんかの話を、オタク共にさせてもいいかもしれないな。


 ――彼女との会話は、不思議なほどによく弾む。馬が合う、と言うのが一番適しているだろうか。聡明で思慮深く、情に通じ不合理を解する。人の善性を信じすぎているきらいはあるが、人や世界というものの捉え方は俺と似ている部分があるのではないかと思う。

 アルティエラとの付き合いは二十日程度だが、好感を抱くには十分すぎるほど語り合った。愛だの恋だのという話じゃなく、友人や同志として彼女を大切に想っている。まさか自分にそんな相手ができるとは思わなかった。


「――ふふ、月に兎が暮らしているだなんて、何だか可愛らしいですね」

「模様がそう見える、ってだけの話だけどな。違う模様が見える他の国では通用しないし、むしろイメージだけが独り歩きしている感じもするが」

「それだけ文明との結びつきが強かった、ということではないでしょうか。天体が有する神秘性は、どの世界においても変わらないのではないかと」


 ハッキリ言って、まともな中身なんてない。うろ覚えで不確かなものに好き勝手意見を言い合うだけで、建設的なことなどほとんどない会話だ。

 ……だけど、だからこそ、それを心地いいと思う。何かを学ぶためじゃなく、相手の期限を取るためでもなく、ただ気兼ねなく言いたいことを言うだけのやり取り――馬鹿共がくだらない話に花を咲かせる気持ちが、少しだけわかった気がした。


この世界セインフォートの月には模様がありませんから、そういった楽しみ方ができるのは羨ましいです」

「……ま、それぞれの世界の月が同種のものとは限らないけどな。勇者召喚の効果の一つ――言語の自動翻訳によって、同じ言葉に分類されているだけの可能性もある」


 セインフォートの空には、それぞれ『白月しろつき』と『黒月くろつき』の名を持つ、文字通り白と黒の二色の月が浮かんでいる。二つの月は六十日周期で『両満月』となり、それを六度繰り返した三六〇日が一年と定められていた。

 そして地球の月の引力が生命や環境に影響を与えるのと同様に、この世界においても二つの月の満ち欠けは大きな意味を持つ。


「……月といえば、みなさまが召喚されて以来初めての『黒満月』が近づいています。このような時期に、魔物との実戦を経験させるのはやはり危険ではないかと思うのですが」


 二十日に一度、白月が満ちる時、魔物の活動は抑制される。

 三十日に一度、黒月が満ちる時、魔物の活動は活発になる。


 故に、白月の力が最も弱まり、同時に黒月の力が最も強まる『黒満月』の日は、魔物が最も凶暴化するらしい。『白満月』を終えた直後の今くらいから、魔物の活動や生態に変化が生じやすく、不測の事態イレギュラーが起こりやすいとされている。

 アルティエラは、そのタイミングで俺たちが初の実戦に挑むことを危険視している。俺としてもその危惧は理解できるが、かと言って現状を放置するのもよくないと感じていた。


 今現在、俺たち勇者の雰囲気は弛緩している。スキルも含めて大きな能力ちからを手に入れたことで、気が大きくなっているのだろう。城壁に囲われた王城の内で、本職の兵士におだてられながら腕を磨く――這って歩くことを覚えたばかり赤ん坊のような状態だというのに、だ。

 退屈な鍛錬をさせられる現状に不満を覚えている奴は少なくない。連中が求めているのは刺激であり、それを最も味わう手段として魔物との戦いを望んでいる。手に入れたばかりの能力オモチャで遊びたがるのは、幼子ばかりじゃないってことだ。


「……賛同したいが、今のあいつらにはガス抜きが必要だ。魔法やスキルではしゃいでいても、異世界での生活で感じているストレスは小さくない。暴挙に及んでこの城や城内の人間に被害が出るくらいなら、実戦か何かで発散させるべきだと俺は思っている」


 その懸念は、俺が指摘するまでもなくアルティエラもわかっているはずだ。あるいは、わかっているからこそ俺の意を確かめたいのかもしれない。


「ですが、今の勇者様方に緊張感がないのはユーヤ様もご存知かと。如何な巨鳥も雛である内は無力なのと同様に、勇者と言えど若芽であれば油断は禁物です。特にみなさまは平和な国家せかいの一市民であったのですから、能力や技術よりも心構えが出来上がっているかどうかが不安で……」


 その言葉は、俺自身にも刺さるものだった。勇者の中では最強と断じていいスキルを手にした俺だが、実戦の場でそれが十全に活かせる保証はない。文字通り命を懸けた正念場で、恐怖に駆られて逃げ出さないと断言できるほど、俺は自らを過信してはいない。


 それでも、傲慢と蛮勇によって命を落とすよりは遥かにマシだろう。

 結局のところ、奴らに足りないのは現実感だ。異世界に召喚されたという突飛な事実が、奴らに夢幻を見せているかのような錯覚を与えている。強大な力を手に入れ、勇者という特別な立場を得たのも、遊戯ゲーム感覚に拍車をかける一因だろう。俺のように命を懸ける覚悟ができている奴なんて、十人どころか五人もいない可能性がある。


でもすれば、あるいは意識を改めてくださるかもしれませんが――いえ、それは不謹慎ですね。何事もなければ、それに越したことはありません」

「…………!」


 ……確かに、愚者を効率的に教育しようというなら、痛みを伴わせるのが最も簡単ではある。体罰の類を肯定するつもりはないが、世の中には痛い目を見なければ道理を理解できない馬鹿が溢れているのも厳然たる事実なのだから。

 だがそのために、各々に傷を負わせるというのは非現実的だ。全員が痛手を受けるような状況ともなれば、間違いなく潰走していることだろう。あくまで気を引き締めるのが目的であり、再起不能になったり心が折れるようでは本末転倒だ。


 ――だから、こちらも解決方法は明白だった。


「ただ、わたくしは恐ろしいのです。今のまま力をつけたみなさまが、果たして『勇者』と呼ぶに相応しい存在であるのかどうか――正義の意志を宿すことなく膨れ上がる力が、本当に正しき方向へ行けるのかと」

「……だったら、先んじて悪の芽を摘むしかないだろう」


 を用意する。数人――いや、平和ボケした日本人の価値観なら、一人か二人で十分か。ともかくわかりやすい犠牲者を出すことで、全員の意識を強引にでも変えさせる。ついて来れない奴はそれまでだ。


「有能なクズと無能な愚図、どちらも集団を腐らせるには十分すぎる異物だ。全体の利益を尊重するなら、間引くべきだと俺は思う」

「そんなっ……! いえ、でも……ユーヤ様が仰るなら……けれど、それは――」

「覚悟を決めろ、アルティエラ。この世界のために、勇者という存在を盤石なものにする必要がある。そのための犠牲を、俺たちが選ばなくてどうするんだ」


 立場や選択に責任が伴うのなら、俺はそれを躊躇わない。

 何も選ばず、何も決めず、誰かが何かをしてくれることを願うばかりの凡愚とは違う。より良き未来のために捨てるものを、俺は自らの意思で選ぶ。それは人の上に立つ者として、人より優れた者として当然の責務なのだから。


 ――やがて少女は、俯いていた悲痛な表情を僅かに持ち上げ、

 小さく、弱々しく、けれど確かに頷いてみせたのだった。

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