第5話

教室の中は静まり返った。



 菜穂は、席に座る龍弥の前に立ち、思いっきり右の手のひらで頬を叩いた。



叩いた瞬間に周りはざわついた。



コンプライアンス的に暴力や体罰がよろしくない世の中になりつつある。



クラスのみんなは心配していた。




「食べもの、粗末にするの良くない!!そして、そのお弁当作ってもらったのなら、作り手の気持ちも考えな!!」



青筋を立てて、菜穂は龍弥を叱った。


つけていたコード付きイヤホンが遠くに飛んでいた。何も言わずに取りに行くと、近くにいた石田紘也が手渡した。



「ほらよ。頬、大丈夫か?」




「……。」



 鬼のような怖い顔をして、何も言わずに席に戻り、荷物をバックにまとめて、これから授業が始まるというのに、教室を出て行った。


 

 叩いた手がジンジンと痛む菜穂。

 何事も無かったように、自分の席に戻って、現状を確認した。


 これは、あいつに殺されるんじゃないかと不安になってきた。間接的に殺人ノートに名前記載されて、心臓発作で一生を終えるかもしれないと、顔を青ざめた。



(やばい…。やらかしたかも。別に放っておけばよかった。) 



 


 龍弥が出て行く廊下には、担任の先生が出席簿を持って立っていた。



「おい、白狼?今からホームルームだぞ。」




「具合悪いんで、帰ります。」



 首元に左手を置いて、菜穂に叩かれた赤い頬を隠した。



「あ、そう。お大事に~。はーい。ホームルーム始めます。みんな、席につけよ。」




 龍弥は、肩にバックを乗せて校舎を出た。


 学校を早退することは滅多にない龍弥はこれからどうしようと悩みながらとりあえず、学校内にあるラウンジに行く。



 自販機で冷たい炭酸ジュースを買って、頬を冷やした。


たまたま通りかかった保健の先生に見られていた。



「君、授業始まっているぞ。ここで何してんの。」


 腰に手を置き、じっくり龍弥の顔を見る。


「あ、あー。ちょっと用事できたんで、早退しようかと…。」




「頬が赤いよ。何したの? 浮気?」



「んな訳ないっしょ。先生、それはハラスメントじゃないですか。」



「ごめんごめん。ほら、湿布入ってあげるから、保健室行くよ。」



 ガシッと腕をつかんで連れて行く。女性なのに結構力が強い。




「平気ですって。」




「君は白狼くんでしょう。学校内では心配されてんのよ。ほら、良いから来なさい。」



 保健の先生には嘘つけない。

 いつもの素が出せた気がした。

 

 3年前亡くなった母と同じ雰囲気がした。








 


保健室に着いて、先生は湿布を小さく切って右頬に貼ってくれた。




「君は先生たちの中で要注意人物で名が通ってるのよ。中学と全然違う格好してることと、クラスメイトたちの関わり方がおかしいって言われているよ。なんで、そんな感じなの?」




「湿布、ありがとうございます。」




「それに、これ。」



 バサっと髪を取り上げた。


 ヘアネットに包まれた銀髪と両耳に大きな穴が開いていた。



「ここまでする意味あるの?先生たちは知っているのよ、君の髪がカツラだって。実際にカツラを使用している先生が知っていたから。誰とは言わないけど…。」




(校長先生だけど…。)





「ちょ、やめてください。」




 血相を変えた龍弥はすぐに取り上げて、髪を近くにあった鏡を見て、を元に戻した。




「頬が赤いのもその隠していることが原因ではないの?」




「先生たちには関係ないです。失礼しました。」




 ガラッと扉を開けて、保健室を出ようとした。




 廊下には、まさかの菜穂が立っていた。



 さっき龍弥を叩いた手が痛くなって、授業中にも関わらず、保健室にやってきた。



 一瞬、髪型が多少ずれているのも気になりながらも、お互いに沈黙が続いた。




 咳払いして、頬に湿布を貼った龍弥は気にせずに何も言わずに保健室を出て、昇降口に向かった。




「…あ。」




 何か言いかけてやめた菜穂。

保健の先生が部屋の中から出てきた。




「どうしたん?」




「先生、すいません。ちょっと手が痛くて、湿布貼ってください。」






「…?」






 龍弥の立ち去る後ろ姿と、菜穂の手を何度も見返して、指をさす。


 


 状況を察する。





「え?あれ?」





「全然、全然。関係ないっす。誰ですか?あの人。」





「だよね。そうだよね。まさかね、手形ついてたって私知らないから…。」




 保健の先生はわかっていて嘘をつい

た。



 湿布を適当な大きさに切って、赤くなった手に貼ってもらう。


 

 さらに剥がれないように包帯もまいてもらった。



「雪田さんだっけ。白狼と同じクラスだよね?」




「そうですけど…。」




「あの子、変よね。気持ち悪くない?いろんな意味で。」





「え? 先生、生徒にそこまで言うんですか?」



「だってさ、髪、変じゃない?」



「あー、確かに長すぎですよね。長さもずっと同じ…。ん?ずっと同じ?」




 顎に指をあてて、思い出す。





「もしかして、雪田さん。今まで気づかなかった?!」




「え、何をですか?」




「白狼くん、ズラなのよ?カツラ。おかしいよね。」




「ズ、ズラ?! でも、それはデリケートな問題じゃなくて?」




 菜穂はフォローするかのように、龍弥は病気でカツラなのかと思った。




「先生たちの間では心配で仕方ないのよ

あの子。なんであそこまでしてあんな格好しているのか。髪の毛はあるのよ。さっき、ズラを外して確認したから。」




「え、そうなんですか。なんで、そんなことするんですかね。てか、先生、勇気ありますね。普通、ズラ外しませんって。」




「先生としては、確認しておかなきゃいけない事案と思っているから。あの子の家庭環境、複雑だから。寄り添ってあげたいと思っているけど…。なかなかね。」



「家庭環境…。さっき白狼くんが、お弁当を妹さんから預かったもの受け取ったみたいなんですが、目の前で思いっきりゴミ箱に中身捨ててたんですよ。私、思わず、これで叩いちゃって…。」



「あ~…。そういうことだったのね。白狼くんは、バカではないから、みんなに見せびらかしたかったのかもしれないわ。SOSかもしれないわ…それ。きっと、明日はちょっと違う行動出るかも様子見てて。」



「え、私、訴えられたりしませんか。大丈夫ですか?」




「気にしすぎよ。嫌だと思ったら、やり返してくるでしょう。黙っているってことは…。明日楽しみね。結果報告、雪田さん、よろしくね。」



 先生は何だか、楽しそうにしていた。



 菜穂は、すごく心配になってきた。明日には、学校中のニュースになっていたら、最悪だとストレスが強だった。




**



 学校を早退した龍弥は、コンビニの中にあるトイレで制服だとバレないようにブレザーを脱いで、バックに仕込んでおいた薄いパーカーを着た。



 カツラとヘアネットをはずして、いつものピアスと紫のカラーコンタクトをつけて、フットサルに行くときと同じ格好になった。 



 この格好になることによって、いつもの違う自分を憑依させた。



 

 制服を着てのこの格好は初めてだった。




 少し心躍らせて、バスや電車を乗り継いで、1人、仙台の街中の商店街に繰り出した。




 たまにはサボるのもいいなぁと、ポリポリと湿布を貼っている頬をかいた。




 平日の商店街は閑散としていて、静かだった。






 もちろん、行く場所は、UFOキャッチャーがたくさんあるゲームセンター。



 ここぞとばかりに、大して欲しくもないぬいぐるみやバラエティパックのお菓子、フィギィアを狙いまくった。


何千円も注ぎ込んで、やっとこそ、小さなキャンディ一つしか落ちてこない。



「ちくしょー!!」



 ダンッと機械を軽く蹴飛ばしたら、その反動でもう1つお菓子が落ちてきた。こぼれちょうだいだった。



 近くにいたゲームセンターの店員が、クスッと笑う。



「まさか、蹴飛ばして落とすとは…。」



「あ、すいません!って、#宮坂 修二__みやさか しゅうじ__#さんじゃないですか? ここで働いてたんですね。」




 フットサルのメンバーの宮坂 修二がいた。独身24歳。フリーター。



「やっほー。ボールは蹴っても機械は蹴らないで。龍弥くん、学校休み?」



「気をつけます。いや、もう。サボりっす。」



「サボりか。まぁ、そう言う時もあるよね~。今日はフットサル行くの?」



 物分かりのいい宮坂だった。UFOキャッチャーのぬいぐるみの位置を変えながら、話す。



「もちろん、行きますよ。ストレス発散しないとやってられないですね。」



「それ、喧嘩した感じ?」



 頬を指さして言う。



「喧嘩っていうか…。不意打ちで避けきれなかったすね。」



 頬を叩かれたことを思い出す。



「女か? 浮気現場目撃されたとかだろ?」




「んなわけないっすよ。俺、彼女なんていませんし。修二さんこそ、浮気したことあるんですか?」




「俺のことは放っておけ。龍弥くん、彼女マジでいないの? 見た目、ナン百人もやりまくってます格好してるけど…。髪色脱色しまくってるし。ピアスもめっちゃ開けとるし・・・。意外だね。」



「傷つきたくないんで…。」



「は?何、くさいこと言ってるの?」



「嘘っす。言ってみたかっただけですって…腹減ったので、そろそろ昼飯行きますわ。んじゃ、夜によろしくお願いします。」



 龍弥はゲーセンを後にした。宮坂は持っていたぬいぐるみを使って手を振って別れを惜しんだ。



 横断歩道を歩いていると、通りがかる若いお姉さんたちがきゃーきゃー言っている。



「ねぇ、あの子。なんかのアーティストかな。髪色銀色だよ。高校生かな。」



「目立つけど、見たことないよね。ああいう歌っている人いたっけ。」



(そういや、この格好でここ歩いたこと無かったわ。マジか、俺はそう見えるのか。目立つのはまずいな、やっぱ、カツラかぶろうかな。まー、何か言われるのも悪くないな…。)

 


 

 少し調子を乗っている龍弥。


 バチがあたったのか頭に鳥のフンが落ちてきた。


 今日はツイてないことが多いようだ。



 

 数時間後、一度学校に帰る時間と同じ時間に家に帰って、フットサルに行く格好に着替えた。



 頭についたフンをシャンプーで落として、ワックスで髪をかためた。


 

 いつも以上にとがらせた。


 

  左耳には3箇所穴が開いている。



 いつもは一つだけつけるピアスも今日は時間に余裕があるため、全部に一つ一つピアスを取り付けた。



 祖母が作ったとされるお弁当は綺麗に台所の洗い場に入れた。



 中身は、食べていないが、空っぽにできたという証ができた。


 少しでも祖母にとって良い孫であることを演じたかった。


 食べることはどうしても抵抗は感じるが、綺麗にすることで罪悪感を消せる。



 小さいの頃から完食すると褒められるのはどこのうちでも同じか。


 高校生というのは、心の不安定があるというもの。


 血のつながらない家族から何かされることに抵抗を感じる龍弥はどうしても受け入れない現実だった。


 

 特に食べ物には気が溜まる。




 菜穂に言われた食べ物を粗末にするなということと、誰かに作ってもらうという気持ちをないがしろにしてはいけないということ。


 

 妙に胸に突き刺さる。

 理屈はわかっている。



 家庭環境は関係なしだと、できるやつとできないやつはいる。



 やってもらいたくてやっている訳じゃない。



 近くにあった付箋になぐり書きでありがとうと書いたメモを弁当の横に置いた。


 食べてないけど、お弁当を直接受け取ってないけど、メモで言わなくちゃいけない気がしてきた。



 誰もいない間に龍弥は、バイクで走り去った。



 ストレス発散に今日もフットサルと思ったが、逆にストレスが溜まりそうなやつが来た。




「こんばんは。伊藤龍弥です。今日もよろしくお願いします。」



「宮坂修二です。よろしくお願いします。」

 

 今日、ゲーセンで会った宮坂さんだった。


 

 その他のいつものメンバーは、滝田湊、下野康二、雪田将志、そして、会いたくない雪田菜穂が来ていた。


 それ以外は全員、今回初めて参加する人だった。



「こんばんは。雪田 菜穂です。お手柔らかにお願いします。」


 今日の今日で、菜穂に会って、危なく、付けていた湿布が見られそうになった龍弥はすぐに外して足元に落とした。



来るなと言ったはずなのに平気な顔して来てる。この場でいた時の自分はどうだったかと改めて、深呼吸して、ふぅーと息を吐いた瞬間、違う自分憑依させた。



「菜穂さん、前回教えたこと覚えていますか。今回はみなさん、常連さんなんで、気軽に聞いてください。ベテラン勢揃いなんで。みなさん、菜穂さんは初心者なので、丁寧に教えてくださいね。」




 なるべくなら、自分のところに近づいてほしくない。営業スマイルなみに愛想を振りまいた。想像以上にパワーを使う。



 龍弥の後ろに落ちた白いものが気になった菜穂はそっと拾って何か確かめた。


「あれ、これ、湿布。落ちてましたよ。」



「あー、すいません。俺です。ありがとうございます。捨てておきます。」



 真上を見上げると菜穂の近くに龍弥の顔があと数センチのところだった。



 拾ってポケットに入れる。



 よく見ると頬にあざのようなものが見えた。



 気にせず、フットサルコートの方に行く龍弥。



「龍弥さん! 俺、今日、キーパーしますね。」



 中学生の滝田湊が言う。



「おう。頼んだ。」




(ん?そういや、この人、龍弥…って名前。あ、でも、伊藤って言ってたから違うか。)




「菜穂さん!前、言ってください。」

(今の自分はフットサル専用。学校じゃない。違う自分。愛想を振りまけ。)



 そう自分に言い聞かせる龍弥。



「あ、はい。」



 呼ばれた菜穂は慌てて、指定のポジションについた。



 適度にそれぞれストレッチすると、ホイッスルがなり、試合が始まった。




 10分後の2セットを終えて、ベンチにて休んでいると、菜穂は隣に座った宮坂修二に世間話をした。



「やっぱり、良いですね。こうやって汗を流すのは。ストレス発散になりますよ~。」


「へぇ、嫌なことでもあったの?そういや、菜穂ちゃん、手に包帯しているね。大丈夫?」



「聞いてくださいよー。今日,学校でー…かくかくしかじかが、ありまして、最悪でした。余計なことしなきゃ良かったです。」




「菜穂ちゃんは、叩く派だったのね。なんか、あいつも今日嫌なことあったらしく、頬、怪我したらしいよ。俺、ゲーセンで働いてるんだけどさ、昼間に学校、サボって遊びに来てたよ。浮気されたんか?っていじめてやったが。」


 

 宮坂は笑いながら、スポーツドリンクを飲む。


「え、宮坂さん。あいつって誰ですか?」



「あいつって、あいつだよ。伊藤龍弥。さっき頬に湿布してたけど、あれ、今は外してる。モテる男だと思ったら彼女1人もいないって、見た目とギャップありすぎだよね?!」



「へぇー。そうなんですかぁ。」



 中学生の滝田湊と戯れあっている龍弥は見たことない笑顔をしていた。すごく楽しそうだった。白狼龍弥と錯覚してしまう。同じ人ではないのかと疑ってしまう。





 菜穂は同じ人なんじゃないかと気になって、ベンチを立ち上がり、龍弥のそばに近づいた。







【続く。】






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