第1章 北辻の呪いの家
第2話 智樹との出会いと呪いの家への誘い 呪いの端緒
スマホにポップした宛名を見てため息をついた。LIMEを開き、中身を読んで頭が痛くなった。
ハル:馬鹿じゃねえの? 01:16
少し逡巡して、どちらともとれる曖昧な返事をした。
心の中で悪態をつく。
けれどもこの時間の公理智樹は、俺の頭の中なんて一顧だにしないだろう。確定的に酔っ払っている。つまり状況は絶望的だ。極めて強引な酔っ払った公理智樹の頭の中では、俺が呪いの家とやらに行くことは、既に決定事項なわけだ。また、小さなため息が漏れた。
公理さんとの出会いは、俺がこの
深夜バイトを終えて、コートの襟を立たせながら僅かにオレンジ色に染まり始めた遊歩道を寮に戻る途中だった。公理さんは寮に至る遊歩道のド真ん中に大の字に寝そべっていた。寒空だ。一瞬死んでるんじゃないかと思ったが、僅かに胸が上下している。
それに気づいて、安堵とも面倒ともいえる溜息をついたのを思い出す。
全ての前提。俺は恐ろしく運が悪い。
俺は不運に呪われている。通常の運が悪いと言われるレベルはとうの昔に通り越し、歩くだけで物は降ってくるし、車は突っ込んでくる。そして変な奴らに絡まれる。身近な不幸は全て俺に押し寄せてくる。
だから目の前に横たわったその男は、俺の不運がその活動の一環として面倒ごとを運んできたとしか思えなかった。そしてその予感はあながち間違ってはいなかった。
改めて見下す男の身長は、180ほどはありそうに見えた。完全に避けられるスペースは遊歩道にはない。極力端を通り過ぎようとしたが、時既に遅かった。男はムクリと体を起こし、避けるまもなく俺の足首を鷲掴みにする。蹴りとばそうと思ってもその力は万力のように強く、足首の骨がミシリと音を立てた。
「やめて下さい」
「やだ。逃げようと、した、でしょ」
据えた目で見上げられたその瞳孔は、随分と酔っ払っているのか、細い眉の下でふらふらと彷徨っていた。
「何か用ですか」
「心配になっちゃって」
「心配?」
「らってお兄さん、幽霊いっぱい連れてるんらもん」
妙に間延びした声でそう呟きながら、視線を俺の背後に向けた。つられて振り返るが、何もない。
幽霊。
俺は幽霊は見えない。
「大丈夫ですから、離してください」
「じゃあ、俺の話、聞いて」
じゃあ?
話の脈絡が全くない。そしてやはり、解放されそうな素振りも全くなかった。
その頃にはすっかり夜が明けていた。見回して助けを求めようとした。けれども人っ子一人通らない。この遊歩道の先は有名な庭園、つまり観光地だ。だから普段なら気の早い観光客や、少なくとも近所の住民が散歩している時間のはずなのに。
ああそうだ。俺は運が悪いんだ。だから自力で切り抜けなければ。
そう思って疲れた頭で軽く息を整えれば、嫌が応にも男の酒臭さが鼻につく。
「話聞くから、一旦離れて」
「本当に?」
「本当に」
合わせた目が死んでる。
無理に振りほどいて逃げられるだろうか。俺より大柄だ。徹夜明けであまり働かない頭で記憶を手繰り寄せた経験上、下手に逃げて捕まれば次は逃してもらえそうにない。けれども今のところ、一応は対話する意思はあるらしい。とすれば、大人しく言うことを聞いていれば、そのうち飽きるだろう。
「それにこんなとこに寝てちゃ迷惑だ」
男はのそりと立ち上がって俺の腕を掴み、億劫そうに目の前のカフェのオープンテラスに腰掛ける。支離滅裂な益体のない話が繰り広げられ、自分は美容師だから髪を切らせろという話を聞き流し、ようやく寝こけたと思って逃げ帰れば、酔っ払ったこの男、公理智樹とそこかしこで出会うようになった。
俺の不運は勤勉だ。そして根負けして美容院に赴けば、腹立たしいことに俺のことをあまり覚えちゃいなかった。
「
昼の公理智樹と夜の公理智樹の印象は全く異なる。
「もう連絡しないで下さい」
「ほんと、ごめん」
改めて眺めた昼の公理智樹はスラリと細身で背が高い。細い眉の下でどこか憂いを含んだ切れ長の目から続く鼻梁は程よく高く、唇はひき結んでいる。後頭部で髪を短く結んだそのままモデルもできそうな美丈夫で、このミスティオーラという美容院のオーナー美容師なのだそうだ。なかなかに有名で、最初に会った日もあの遊歩道の先の庭園でドラマの撮影があり、ヘアメイクとして呼ばれたらしい。そんな華々しい来歴を持ちつつも、酒を飲めばあのように呂律も回らず前後不覚になるそうだ。
「多分、藤友君がかっこよかったから、カットしてみたかったんじゃないかな?」
少し気後れしながらそう呟きながらも、目は泳いでいる。
「あんた、幽霊が見えるって言ってたぞ」
「ああ、うん。見えるけど、ゴメンね。興味ないよね」
公理智樹は申し訳無さそうに眉尻を下げた。柔和な応答と異なり、その鋏に迷いはなく、腕は間違いなさそうだった。
これで用は済んだだろうと思ったのに、それ以降もちょくちょく、酔っ払った公理智樹からわけのわからない呼び出しがある。
呼び出しに応じなければ延々とLIMEを飛ばしてくるし、何故だか酔っ払った公理智樹に遭遇する。夜の公理智樹は俺の意見などお構いなしだ。それはこの1年と少しの関係で思い知っている。
結局のところ、公理智樹は俺に煩わしさをもたらす存在で、プラスマイナスとしてはややマイナス。わざわざ呪いの家に行くまでもない。
そんな前後不覚な公理智樹に強引に呪いの家に連れ込まれるなど、目も当てられないだろう。
それなら自主的に、まともな方の昼の公理さんと話をした方がまだましだ。まるきり違うように見えても、その考えや思考回路は共通している。二重人格ではない。素面の公理さんでは到底超えられない壁を、酔っ払った公理智樹は容易に超えていくというだけだ。
だからまともな公理さんを説得し、公理さんが真実納得すれば、そこで解決する話だ。酔っ払った公理智樹も自らの決定に異を唱えたり蒸し返したりはしない。それが経験則となる頃には、知人以上友人未満の関係に落ち着いていた。
だから翌朝、改めて公理さんに電話した。
「俺が運が悪いって当然知ってて言ってるんだよな?」
「うん、わかってる。ごめん、酔っ払ったら連絡しちゃうんだよね。無視してくれていいんだけど」
やはり、溜息が溢れた。
「無視できないから、今電話してるんだよ」
昼の公理さんは温厚で、すぐに謝る。けれども俺は謝罪を求めたいわけではなく、やめて欲しいだけだ。
「……だよね、ごめん。えっとそうだな、ハルにその家を外から、本当にヤバイかどうかだけ見て欲しいんだ。入らなくていいからさ」
「何で」
「だって良くないものがわかるんでしょう? それじゃ駄目……かな」
この溜息は一体何度目だろう。
俺は運が悪すぎるせいで、不運や不幸の存在が感覚的にわかる。いわゆる虫の知らせというものだ。ヤバい予兆があればまず首筋にピリピリとした不快感が起こり、命に関わるような場合には額にある古傷が痛む。
けれども外から家を見るだけでいいというなら、おそらく大丈夫だろう。聞いた場所は北辻の住宅地のはずで、周りに人も住んでいることだろうから。
問題はこの電話の時点ですでに首筋がざわめいていることだ。けれども少し嫌な気分になるくらいで収まるなら御の字だ。俺の日常と変わらない。
「じゃあ、明日の
「わかった。あんた起きられるのか」
「……頑張る」
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