魔女の鉄槌
時計は九時五十五分を指していた。我々に残された時間もあと僅かしかない。
「ドローンも、ハープの替え弦も、無くなっていました……」
戻ってきた亜理紗は、私の予想通りの報告をした。
「凶器の無い密室で、織木真理が自らの首を切断した方法が分かったぞ」
京子は目を見開いて、私に縋り付いてきた。
「本当ですか、先輩! 私たち、助かるんですね!」
「……一体、母はどうやって自分の首を切断したんですか」
「時間が無いから、手短に説明します」
京子と亜理紗はじっと私を見ている。
「まず、この首切りは、AIの手を借りた織木真理の自殺だと考えられます。そして、現場に凶器が残っていないことから、何かしらの仕掛けで隠蔽した、ということまでは確定です。では、凶器はどの経路を通って密室から出たのか。ドアも窓も内側から施錠されていたので、これは暖炉の煙突からと考えるのが自然でしょう」
「それでドローンとハープの替え弦なんですね! 煙突の外に、弦を結んだドローンを待機させておいて、首を切った後の刃物を引っ張ってもらったんだ!」
京子は顔を綻ばせて、小さく跳ねた。
「ハープの弦で、本当に外まで届くんですか?」
亜理紗が不安そうに尋ねる。
「あの大きなハープは四十七弦タイプで、いちばん長い低音弦は大体一八〇センチです。太くて丈夫なスチール弦は低音の十二本だから、すべて結べば十五メートルくらいは稼げます!」
京子が水を得た魚のように一息に喋った。さすがスピリチュアル系の楽器にも詳しい。
私は先を続ける。
「ただ、包丁や鉈とかの刃物を使って、自分の首を自らの手で切断するのは無理だと思われます」
「じゃあ、どうやって切断したんですか?」
「自分の首に、スチール弦を直接巻いて、それを引っ張ってもらったんだよ」
「え! ……でも、ドローンってそんな強く引っ張れますか? 重い荷物を運べるようなのじゃなくて、普通の撮影用ドローンですよね?」
「仕掛けを動作させたのはドローンだが、動力はドローンじゃない。家の裏手にある風車だよ」
「あの揚水用の?」
「ドローンが弦を、回転する風車の羽根に引っ掛ければ、あとは自動的に巻き取られて、やがて首を引き裂いてくれる。この辺りは昨日から強風が吹いている。首の一点に、もの凄い力が掛かったはずだ」
私の説明を聞いて、京子は顔をしかめている。切断の様子を想像すると、ホラー映画のショッキングシーンのようだ。
「それじゃあ、今も風車にはハープの弦が絡まっているってことですよね? 確認してきましょうか?」
すかさず亜理紗が、
「さっき面格子を確認したとき、風車に細い紐が絡まっているのを見ました。風でゴミが飛んできたのかと思いましたが、そういうことだったんですね……」
「それじゃあ、確定ですね!」
「昨夜の流れを整理するとこういうことになる。織木真理は、私たち三人を睡眠薬で眠らせた後、各人の寝室まで運ぶ。脚立を持って外に出て、屋根の給水タンクを灯油に入れ替え、翌朝にタイマーセットしたポンプと電熱線を設置。ハープの替え弦を結んだドローンも併せて設置し、煙突から自室に弦を垂らしておく。家の中に戻った織木真理は、玄関ドアに釘を打ちつけ、誰も逃げられないようにする。自室に入り、ドアにカンヌキを掛ける。先ほど垂らしておいたハープの弦を首吊りするみたいに装着し、ノートパソコンからドローンを操作。暖炉にもたれかかる姿勢で、最期の時を待った……」
「壮絶な死に方ですね……」
「きっと、少しでも安らかに逝けるよう、睡眠薬を大量に服用したんだろう。首を切っているのに出血が少ないのも、副作用の低血圧が原因だ」
織木真理の死体に目を向ける。死期を悟った母は、その命を、娘の成長を促す試練として使った。それが親心によるものなのか、魔女を絶やさないためなのかは、今となってはもう分からない。
そのとき、ノートパソコンの時計が、九時五十九分に変わった。
「先輩、早く答えを入力しましょう!」
京子に促され、私はキーボードを叩いた。
『首に掛けたハープの弦を暖炉の煙突を通して屋外に出し、ドローンを使用して風車の羽根に引っ掛け巻き取らせることで、首を切断した』
一〇〇字の制限があったため、細かい順序等は無視した。概要は合っているから、チャット型AIならば正解と見なしてくれるはずだ。
頼む、点火装置よ止まってくれ。
祈りを込めた指先で、私はエンターキーを叩いた。
『違います』
入力欄の上にポップアップする、真っ赤な文字。
急激に背筋が冷え、足下が崩れ落ちる感覚に襲われる。
「そんな! なんでですか! もう一回入力してみましょうよ!」
京子に言われ、もう一度答えを入力する。今度は、織木真理が辿ったであろう行動順に、箇条書きで入力してみる。
『違います』
また、赤い文字。
推理を間違ったか? いや、実際にドローンとハープの替え弦も消えていて、弦が風車に巻き取られていたという証言もこちらにはある。それらを組み合わせたら、あの方法以外考えられない。いや、私が気付いていないだけで、他にやり方が――
画面に表示された時計は、無情にも十時を指した。
視界の端。窓の外を、青い透明なヴェールが下方向に落ちていくのが見えた。
ドライヤーを焦がしたときのような嫌な臭気と共に、白い煙が立ち込める。
失敗だ。失敗したのだ。
「……諦めるなって、先輩が言ったんですよ!」
呆然となっていた私の肩を京子が揺する。
京子は空気が薄らと白くなったリビングに行き、玄関ドアに向かってバールを振り下ろし始めた。
「ごめんなさい……。私のせいで、皆さんまで……。ごめんなさい……」
亜理紗はそう言うと、自分の寝室に走っていってしまった。直後、ドアのカンヌキを掛ける音がした。私が彼女の立場でも、やはり合わせる顔など無かっただろう。
ともかく、今は脱出が優先だ。私も客室から持ってきた鉈を、玄関ドアに振り下ろす。京子と入れ替わり立ち替わり、ドアに突撃を繰り返す。しかし、表面が少し削れただけで、壊れる気配は全くない。
気が付くと、家の中は煙がかなり充満しており、思わず咳き込んでしまう。
息を吸う度に粉っぽい空気が粘膜にへばりつき、より苦しくなる。
外に面した壁は黒く変色し、赤い炎が揺らめき始めた。
服の袖を口に当て、呼吸に必死になっている間にも、炎は勢いを増す。
満足に動くことも出来なくなり、その場に転がり込む。
濃密な白煙に、もがき苦しむ京子の姿が呑まれて消えた。
圧倒的な熱気と臭気。壁材が崩れる音。
薄れゆく意識の中、遠くから、笑い声が聞こえた。
それは確かに、魔女の笑い声だった――。
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