魔女の火刑

――頭が重い。頭痛の前兆のような、耳に鉛を流し込んだような、独特な気持ち悪さを感じる。粘つくような瞼をやっとの思いでこじ開けると、私は客室のソファベッドで横になっていた。

 窓の外は既に明るくなっている。……もう朝か。

 昨日はあの後、ハーブの効いた料理に舌鼓を打ちながら、織木真理から魔女についての話を聞いた。軽やかで芳醇なワインと、味わったことの無い風味の蜂蜜酒。……そこから先は記憶に無い。

 スマホの時計を見ると、もう九時半近かった。


「おい、起きろ」


 ソファベッドの下に転がる京子を揺さぶる。あまり寝相が良くないらしい。

 何度か「うーん」と呻いた後、ようやく起き上がった。


「最悪ですー。メイクもコンタクトもそのまんま。飲み過ぎで記憶も無いですし……」


 朝から元気なやつだ。しかし、二人とも記憶を飛ばすほど酒に弱かっただろうか。あるいは、魔女の家という特殊な雰囲気に呑まれてしまったか。

 そのとき、亜理紗が部屋に飛び込んできた。


「あの、母が起きてこないんです! 部屋にも鍵が掛かっているみたいで、呼んでも反応が無いし……」


 昨日の物静かな様子からは想像がつかない取り乱しようにあてられ、私と京子も急いで織木真理の寝室に向かった。

 リビングのテーブルには昨夜の宴の食器などがそのままになっており、アロマキャンドルとアルコールの混じった臭いが鼻を突く。

 寝室のドアノブを捻り、押し開けようとするが、ガタガタと揺れるばかりで開かない。


「鍵は?」


 心配そうな表情の亜理紗に聞くと、


「内側にカンヌキがあります」


 亜理紗の部屋にも同様のものがあるとのことで見させてもらったが、学校のトイレに付いているような、金属の耳を持ってバーを横にスライドさせるだけの簡単な機構のカンヌキだった。

 ドアには僅かに隙間があり、糸程度なら通りそうだが、外側から開けることは難しいだろう。

 木製の扉をドンドンと拳で叩き呼びかけてみるが、返事は無い。


「普段は七時には起きてくるのですが、今日は私も寝坊してしまって……。こんなこと、初めてです」


 亜理紗が悲痛な声で話す。


「もしかしたら、例の脳腫瘍で……。無理矢理開けるしかないです。カンヌキごと壊しますが、構いませんね?」


 こくり、と亜理紗が頷く。

 私は助走を付けて、扉に肩から体当たりをした。五回続けると、徐々に扉のガタつきが大きくなり、八回目で木材の割れる音と共に開いた。

 閉ざされていたドアの向こうは、想像よりも酷たらしく、それでいて単純だった――。


   ***

 

 ノートパソコンの画面に表示されている文章が事実だとしたら、あと二十分でこの家は火に包まれてしまう。窓を滴る灯油から、これが冗談でないことは確実だ。


「玄関が開かないって、どういうことだよ」


 京子はふるふると首を横に振りながら


「分からないです! でも釘がたくさん打ってあって、とにかく開かないんです!」


 リビングに戻り玄関ドアを見ると、木製扉の全周から枠に対して、斜めに、無数の釘が打ち込まれていた。思い切り助走を付けて体当たりをしてもびくともしない。


「そう言えば、客室の工具箱にバールがあったはずです! あれなら釘が抜けるかも!」


 小走りで客室からバールを取り、京子が戻ってきた。打ちつけられた釘の頭にバールの切れ目を引っ掛け、ギコギコと木材を軋ませながらやっとの思いで一本引き抜けた。


「これ、あと百本以上あるように見えるんですけど……」


 たった一本釘を抜いただけで息を切らせた京子が呟いた。このペースではすべての釘を撤去するのに数時間は掛かるだろう。


「窓はどうだ? 面格子さえ外せたらそこから出られるだろ。手分けして確かめよう」


 京子は先ほどまで寝ていた客室とキッチン、亜理紗は自室とリビング正面の窓を見てくるよう手短に指示を出す。二人とも目に見えて狼狽えており、私が命令しないと動けないと判断したからだ。

 私は洗面所周りを確認しに走った。シャワールームを覗くと、一層、灯油の臭いが強まった。換気扇はあるが窓は無い。手前のトイレにも、窓は存在しなかった。

 京子と亜理紗の報告から、すべての窓に面格子が設置されていることが判明し、蹴り壊すことも出来なければ、固定ネジの頭も潰されていてドライバーで外すことも敵わなかった。元々、防犯用に設置されたものなのだから、当然と言えば当然だ。


「先輩! 暖炉の煙突って外に繋がってますよね? もしかしたら!」


 京子の言わんとしていることはすぐに分かった。

 しかし、織木真理、亜理紗、両方の寝室にある暖炉に顔を突っ込んで確認したが、薪をくべる場所のすぐ上が返しのような構造になっていて、人が入れるどころか手を入れることも出来ない。昨日、外から見た煙突の形状から考えても、ここから脱出することは不可能だった。

 織木真理の寝室にあるノートパソコンの表示は、九時四十七分になっていた。


「京子、スマホで警察と消防に連絡してくれるか」


 涙目になっている京子は微かに頷くと、震える手でスマホを取り出した。


「電話掛ける前に、ここの緯度と経度を地図アプリで見てメモっとけよ」


 ここは山奥だが、幸い、携帯電話の電波は届いている。だが、今から救助がこちらに向かったとして、とても間に合うとは思えない。それでも、少しでも生存確率を上げるために行動せずには居られなかった。


「……到着まで一時間は掛かるそうです」


 電話を終えた京子が、弱々しく呟いた。

 すると、京子はいきなり走り出し、洗面所の方へ向かった。シャワーの混合水栓を捻る乾いた音がした後、「もうっ! なんで灯油なの!」という叫びが聞こえた。再びリビングに戻ってきた京子は、酷く落胆した様子であった。水が出れば、やがて訪れる火の魔の手から逃れられると考えたのだろう。だが、その希望も断たれてしまった。


「先輩、どうしたら良いですか。私、もう分かりません」


 私だって、こんな状況でどうしたら良いかなんて分からない。


「諦めるな。こうなったら魔女の望み通り、首切りの謎を解いてやるさ」


 魔女AIアルディナスを信じるのなら、首切りの方法さえ答えることが出来れば、灯油への点火を止められるはずだ。

 ノートパソコンの時計は九時五十一分を示している。タイムリミットまで、あと九分しかない。

 もう一度部屋を見渡す。

 入り口のドアから見て、正面奥に暖炉と死体、右側の壁にはベッドとノートパソコン、左側の壁には窓がある。他には何もない。

 死体発見時、部屋は内側からカンヌキがされていた。これは織木真理が自身で操作して、密室にしたのだろう。その後、何かしらの仕掛けをもって、自身の首を切断したのだ。

 織木真理の体は、暖炉の入り口を塞ぐ鉄柵にもたれかかるようにして死んでいる。すぐ近くには頭部が転がっていることから、恐らく、その体勢で首を切断したのだろう。先ほど暖炉の煙突を覗くときに死体を少し触った。その冷たい感触を思い出し鳥肌が立つ。

 窓は最初、クレセント錠で施錠されていた。その後、私が開けて面格子を蹴破れないか確認したが、何か仕掛けられていたような跡は無かったように思う。ライトグリーンのカーテンが窓の両端にまとめられている。手に取って開いてみたが、ただの布地だった。

 京子にノートパソコンを持ってもらい、ベッドシーツを剥がしたり、布団や木製のフレームに何かの痕跡や凶器が隠されていないか調べたりしたが、特に異常はなかった。


「そもそも、このパソコンを壊しちゃえば火事を止められるんじゃないですか?」


 ノートパソコンの画面をじっと見ていた京子が突拍子もないことを言い出した。口調は大分落ち着きを取り戻している。


「周到に準備されてるんだ、そんな簡単なワケないだろう。既に点火の仕掛けが動いていて、それを停止する信号を送る仕組みだと思うよ」

「でも、ここって電気無いんじゃ」


 京子は当然の疑問を口にする。


「今は電化製品を動かせるポータブルバッテリーも簡単に手に入るし、USB給電で動く機器もたくさんある。オカルトガジェットの記事でも扱ってるだろ。遠隔でオンオフできるスイッチに、小型のポンプと電熱線を接続しておけば、リモート発火装置の完成さ」

「さっきバールを取りに行ったとき気付いたんですけど、客室の脚立が消えてました。……やっぱり、屋根の上に何か仕掛けてあるってことですよね」


 実際、灯油は屋根の上から垂れてきていた。シャワーの水が灯油に変わっていたことから、恐らく貯水タンクの中身を入れ替えたのだろう。


「……あの、これって、やはり母が仕組んだことなのでしょうか」


 ずっと黙っていた亜理紗が口を開いた。

 織木真理以外の三人が揃って寝坊していることから、昨夜の宴で睡眠薬を盛られたとみて間違いない。私たちが眠った後、仕掛けを準備する時間は十二分にあった。ノートパソコンのメッセージの内容からしても、織木真理の仕業に違いないだろう。


「総合的に見て、犯人はあなたのお母さんでしょうね」

「そうですか……」


 亜理紗はより一層、顔を俯かせる。


「ただ、真理さんは私たちを皆殺しにしなかった。チャンスを与えてくれているんです。そしてそれは、亜理紗さん、あなたに向けられたものです」

「私、ですか」


 名指しされたからか、亜理紗は目を見開いた。


「昨日、真理さんは、あなたに魔女を継いで欲しいと言っていました。そのためにAIを作らせたとも。つまりこれは、娘の亜理紗さんを成長させるための儀式なんだと思います。わざわざ、ヴァルプルギスの夜に実行に移しているのもその証左でしょう。だから、この首切りの謎は、亜理紗さんなら解けるはずなんです。何か、ヒントになるようなこと、ご存じないですか?」

「……そんな、私、分からない」


 亜理紗は両手を胸の前で組み、首を振る。


「亜理紗さん、もうあまり時間が無いです。このままだと私たち全員、ここで焼け死んでしまいます。何か思い当たることはありませんか?」

「……首を切る方法なんて、考えたこともないです」


 確かに、ほとんどの人間はそんな物騒なことを考えた経験など無いだろう。


「……亜理紗さんだけが知っていることと言えば、魔女AIについてです。あなたが作ったアルディナスについて教えて下さい。チャットでの会話以外に、何か機能はありますか?」

「ネット回線を通じて家電などを操作できる機能も持たせています。けど、この家には対応している家電はありません……。あとは撮影に使うドローン操作アプリとも連携しています。アルディナスに指示するだけでドローンを指定した通りに飛ばすことが出来ます」

「山奥ですけど、ネット回線はあるんですか?」

「ええ。ここに来るときはいつもポケットWi-Fiを持ってきています」

「なるほど……」


 存在しない凶器、そしてドローン。私の脳裏に、ある方法が閃いた。


「最後にお願いがあります。撮影用のドローンと、ハープの替え弦が仕舞ってある場所を見てきて欲しいんです。恐らく、無くなっているでしょうから」

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