魔女の家

 しばらく歩くと、登山道から外れて細い獣道に入った。木々の密度も高まり、いよいよ魔女の森に迷い込んでしまったかのようだ。時折、強い風が木立の間を吹き抜け、悲鳴にも似た音を響かせる。時計を見ると、もう午後三時になろうとしていた。


「本当にこっちであってるのか? 最悪、遭難するぞ」

「知らないですよ! 私だって緯度経度と簡単な地図しか貰ってないんですから!」


 京子のスマホを借りると、深緑一色の航空写真に赤いピンが刺さっていた。私たちの現在地は水色の点で表示されている。GPS機能が使えているということは、通信回線は生きているのだろう。森の分け目に土色の線が走っており、これが先ほどまで歩いてきた登山道だと思われた。そこから推測すると、確かにこちらの方角で合っているらしい。

 さらに小道を進むこと十分。木々の間に、西欧風の小さな家が見えた。

 ベージュ色の外壁に、濃いブラウンの木材が縦横に走り、窓には鋼材が縦にいくつも配置された面格子が設置されている。三角屋根はオレンジを汚したような瓦が敷き詰められ、屋根の左端にはレンガで出来た煙突が、手前と奥に二つ並んでいる。反対端には表面が錆びに覆われた円柱のタンクが設置されていた。屋根の向こう側、やや左寄りの位置に、多翼型の風車が、組まれた櫓の上で勢いよく回転しているのが見えた。アメリカの農場にある、プロペラが異様に多い飛行機模型のようなアレだ。屋根上のタンクに井戸水を汲み上げているのだろう。この距離で見ると、想像より大きい羽根に威圧感すら覚える。


「素敵なお家でしょう?」


 しわがれた声の主は、気が付くと玄関ポーチに立っていた。

 ウェーブした長い漆黒の髪に、不気味なほど白い化粧。そして真っ赤な唇。五十代のはずだが、幾分若く見える。マキシ丈の黒いワンピースに紫のカーディガンを羽織ったその姿は、写真や動画で見た織木真理そのままだった。


「外国のお家って感じでめちゃくちゃカワイイです!」


 憧れの存在を目の当たりにしたからか、先ほどまでが嘘のように京子のテンションは回復していた。


「さあ、風が強いので中へどうぞ」


 互いの挨拶を済ませると、私と京子は招かれるまま家の中へと踏み入れた。重厚な木の扉の先は、十二畳ほどのリビングだった。足下にマットが置かれているだけで、一般的な玄関の上がり框などは無い。


「靴はそのままで結構ですわよ」


 山道を歩いた分、玄関マットで丁寧に靴底を拭った。床一面、年季の入った焦げ茶のフローリングである。

 部屋の中央には、晩餐会を思わせる長いダイニングテーブルが鎮座し、アロマキャンドルや、ドライフラワーを水に浮かべたボウルなどが置かれている。

 玄関ドアから見て、リビングの右手の壁にはドアが三つ、左手の壁にはドアが二つある。正面には窓があり、奥には寒々しい森が広がっている。

 木片を糸で縛った五芒星のモニュメントや、薬草の入ったガラス瓶が並んだ棚、アンティーク調の身長より大きなハープもあり、まさに魔女の家といった具合だった。

 椅子を勧められ、私と京子は織木真理の対面に座った。断りを入れてからボイスレコーダーをオンにし、テーブルの上に置く。


「普段はこちらに住まれているんですか?」


 私は織木真理に尋ねた。


「いいえ、ここはあくまで撮影用です。普段は市内のマンションに。ほら、火を使ったり、大量のハーブを煮たりなんて、向こうじゃ出来ないでしょう?」


 改めて周りを見ると、織木真理による儀式解説動画やハーブを調合するウィッチクラフトのライブ配信で見覚えがあるものばかりだ。あの大きなハープを演奏している動画も見た記憶がある。


「元々ここは、麓の修道院の関係者が所有していたんです。縁あって譲って頂いて、ヨーロッパ風にリノベーションしました。築四十年とは思えないでしょう?」

「グリム童話に出てくるお家みたいで、テンション爆上がりです!」


 京子は少女のように目を輝かせている。


「ちなみに、電気や水道はどうされているんですか」


 私は気になっていたことを口にした。電気に関しては、来る途中、電線を見ていない。


「キャンドルがあるので電気はほとんど使わないですが、物置に小型の発電機がありますわ。ガスはプロパンのボンベがキッチンの外に。水は井戸水を風車で汲み上げています。外の風車とタンク、ご覧になったでしょう」

「なるほど。これだけ山奥だと、それらの物資の運搬も大変でしたよね」

「それはもう。でも、修道院の方々が手伝って下さいましたわ」

「修道院の方とは、随分と良好な関係なのですね」

「ええ。善き隣人、ですわ」


 魔女というと聖職関係者とは水と油の関係だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。織木真理は続ける。


「ドイツのカトリック教会が四百年前の魔女狩りを謝罪した、なんてニュースもありましたし、人権意識の向上と共に、魔女への誤解もこれから解けていくのでしょうね。ここ函館も、明治に禁教令が廃止されてから次々と教会が建てられましたわ。ただ、日本人にとってはあくまで外国の宗教。魔女もキリスト教も大差なかったのでしょう。表立ってはないですが、魔女もキリスト教と同様にその存在が認知されていきました。むしろ、自然崇拝の魔女は、八百万の神を信仰する神道と親和性が高かったのかもしれませんわ」

「この令和の日本で魔女が一定の支持を集めているのも、小さい頃から染みついている神道の精神が関係しているのですね」

「もちろんそれもありますが、実際は、女性の解放という側面のほうが大きいでしょう。社会と違うルールで自分を大切に生きる魔女は、抑圧された女性たちからすると憧れの存在とも言えますわね。もちろん私も、そのような生き方を女性の皆さんにお伝えするために活動しておりますわ」

「その通りです! 魔女は女性本来の生き方というか、とても自由で神秘的で、理想なんですよ!」


 物珍しさから部屋の装飾品をキョロキョロと物色していた京子が、急に割り込んできた。


「先輩、もっと織木さんにフォーカスした質問をしましょうよ。古臭い宗教の話は、文献でいくらでも調べられるんですし」


 確かにそうだ。このまま魔女談義を続けるのも良いが、本題は魔女AIのほうにある。

 京子は、私が次の質問に移るより早く、


「そう言えば、二月の動画にあった、ドローンで撮られた野外の焚き火。あれ、すっごい幻想的で、私大好きです!」

「イモルグの祝祭ね。お気に召して頂けてなによりですわ。昨日もドローンで撮影したから、楽しみにしていらして」


 京子は小さい声で「やった!」と喜んだ。

 話題がテック寄りになったので、すかさず質問し、そちらの方向へ会話を誘導する。


「織木さんは現代の魔女と言われていますが、ドローンの操作や動画編集もご自身でされているんですか?」

「いえ、撮影にまつわる部分は娘の亜理紗にお願いしています。私は簡単なことしか分かりませんわ」

「え! 娘さんがいらっしゃるんですか!」

「公表はしておりませんがね。ちょうど良いわ。亜理紗、こっちへいらっしゃい」


 織木真理が声を張ると、玄関から見て左手奥のドアから女性がおずおずと姿を現した。


「紹介しますわ。こちら、娘の亜理紗です」


 亜理紗は気まずそうに会釈した。母親の真理と同じマキシ丈の黒いワンピースに身を包み、こちらはブルーのカーディガンを羽織っている。肩口まである茶色の長い髪の間から、化粧っ気のない顔を覗かせていた。


「おいくつなんですか?」


 京子が不躾な質問をする。


「……今年で三十四になります」


 なんとも弱々しい声だった。母親と違い、生気を感じない。


「この子、パソコン関係にはめっぽう強いの」

「どうもです! 私もウェブライターやってるんで、HTMLとか一応書けますよ!」

「…………」

「……ははは……」


 百戦錬磨の切り込み隊長である京子も、無言の圧には敵わなかったか。


「では、魔女AIの作成も亜理紗さんが?」

「ええ。要望を出したのは私ですが、実際に手を動かしたのは亜理紗ですわ」


 亜理紗に代わり織木真理が答えた。


「魔女AIとは、どういったものなんでしょうか」

「様々な魔女関係の文献や、私の書籍、ブログ、動画のデータを学習させた、私の思想を模したチャット型AIです。太古の地母神アルテミス、そしてアルテミスの別称ディアナから取って、アルディナスと命名しました。例えばサバトの手順を質問すれば、ネット上で得られる一般的な手法に加え、私独自のやり方も反映された返答が出力されますわ」

「つまり、織木さんと擬似的に対話できるサービスといったところでしょうか」


 芸能人が定型文を返してくれる疑似チャットは以前も存在したが、それらの上位互換に当たると言えるだろう。


「いえ、今のところ一般公開するつもりはありませんわ」


 そう言うと、織木真理は一瞬、躊躇いを見せた。


「……私、脳に腫瘍がありまして。すぐにどうだ、ということはないのですけれど、年齢も年齢ですし。出来れば、娘の亜理紗に私の後を継いで欲しいのですが、あまり表に出たがらない性格で……。私が魔女なんかをやっているせいで、学校にも、まともに通わせてあげることが出来ずに、後悔しているんです……。それで、もし私に万が一のことがあっても、娘が困らないようにと思いまして」

「それは……。込み入ったことをお聞きしてしまい、申し訳ありません」

「いえ、お気になさらないで」

「でも、せっかく作ったのなら公開して欲しいです! たとえ有料でも、望んでいるファンがたくさんいると思いますよ」


 まずここに一人いますと言わんばかりの熱量で京子がまくし立てた。


「……そうねえ、考えておきますわ。もしよろしければ、明日、お帰りになる前にアルディナスと会話してみます?」


 京子は「いいんですか!」と喜ぶ。

 しかし、私は織木真理の発言が引っ掛かっていた。明日帰る? もしやと思い、京子に耳打ちする。


「あ、言ってませんでしたっけ。今日はサバトを体験するために、ここで一泊ご厄介になる予定です」


 それは厚かましすぎるのではと思ったが、取材を申し込む段階で、織木真理側から泊まっていくよう提案があったらしい。だが、京子はまだしも私が来ることは想定外のはずである。


「料理も多めに用意していますから、どうぞ遠慮なさらないで。いつも娘と二人きりなので、むしろ寂しかったぐらいよ。それに、実際に魔女の儀式に参加して頂いたほうが、より良い記事になるでしょう?」

「それでは、お言葉に甘えて」


 織木真理は頬を緩ませると、急に席から立ち上がった。


「そうだ、まずはお部屋を案内しないと。酔っ払ってからじゃ遅いものね」


 織木真理に案内され、魔女の家の内部を見て回った。といっても、そこまで広くはない。

 玄関ドアから見て、左に二つドアがあり、奥側が撮影機材置き場を兼ねた亜理紗の寝室、手前側が織木真理の寝室になっている。外から見えた屋根の煙突は、織木親子の寝室にある暖炉のものであった。リビングの反対側にはドアが三つあり、奥側がキッチン、真ん中が客室兼物置、手前側がトイレと洗面所、シャワールームとなっていた。

 私と京子は客室に手荷物を移した。部屋には、ドライバーなどの工具や鉈が入ったプラスチック製の大きなカゴと、薄汚れた脚立、そしてソファベッドが一つ置いてあった。どうやら、今夜は京子と一緒の布団で寝なければいけないらしい。

 ひとしきり説明を受け、リビングで再び席に着くと、


「亜理紗、お客様にワインと蜂蜜酒を用意して差し上げて」


 織木親子はさっそく宴の準備に取り掛かった。

 窓の外は夕闇に包まれている。強烈な風の音は、周囲の森が上げる叫びのようだ。

 魔女の家は、キャンドルの揺らめく灯とハーブの独特な匂いに満たされ始める。


「そう言えば、今日のサバトはどういったものなんですか?」


 私が尋ねると、織木真理は不敵な笑みを浮かべた。


「春の訪れを祝う魔女のための祝祭、ヴァルプルギスの夜ですわ」

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