リモート会議

 四月末、東京の街外れにある安アパートの一室で、私、勅使河原結依はノートパソコンに向かっていた。

 画面の片隅に小さく映った自身を見ながらセミロングの髪を整えていると、ヘッドセットから「おい、聞いているのか」と叱責が飛んできた。


「聞いてますって。そんなに怖い顔してたら、眉間に皺できちゃいますよ」


 ビデオチャットの画面中央に大きく映った女性は、鳥栖蓮華とりす れんか。私が籍を置いているウェブメディア「オカルトガジェット」の編集長だ。


 スウェットの上下にノーメイクの私とは対照的に、鳥栖編集長はブラウンの髪をお団子に括り、濃いめのメイクとベージュのスーツで決め込んでいる。フレームの細い眼鏡を掛けていて、さながら社長秘書のようだ。年齢は三十代だと聞いたが、それよりも上に見える。彼女はいつもこの姿だ。

 オカルトガジェットの記事作成はネット上で完結することが大半なので、実際に会ったことは一度もない。流行病によるリモートワークの普及とは関係なく、ウェブメディアの仕事とは元来こういうものなのだ。


「それで、なんで私も取材に行かなきゃならないんですか。それも明日すぐにって。急すぎますよ」


 大型連休初日の夕方、缶ビール片手にダリオ・アルジェント監督のホラー映画「サスペリア」を見ていた私に、鳥栖編集長からビデオチャットのコールが入った。普段、記事の修正などはメッセージのやりとりで済ますため、ビデオ通話自体が珍しい。よほど緊急なのだろうと思いコールに応じると、明日朝一の飛行機で取材旅行に行くよう命じられた。


「岩田くんだけじゃ不安なんだよ。相手方に粗相があるといけないし、先輩記者として、勅使河原くんから指導してやって欲しいんだ」


 岩田京子は、私の後に入ってきたライターだ。私より三つ下の二十五歳で、家が近いこともあり、今では頻繁に飲みに行く仲である。社会人になってから出来た、数少ない友人の一人と言えるだろう。人付き合いを煩わしく感じてしまう私と違い、京子は明るく社交的で、どこにでも首を突っ込んで馴染んでしまうタイプだ。オカルトという共通の趣味こそあれど、親しくなれたのは彼女のコミュニケーション能力の高さによるところが大きい。

 現在、私と京子は共同で記事を制作している。テーマは「現代の魔女」。そして京子は、新世代の魔女としてスピリチュアル界隈で有名な織木真理がいる北海道は函館に取材旅行中だ。

 その名の通り、オカルトガジェットは、心霊、怪談、陰謀論からネットロア(ネット上に流布する都市伝説)、果ては中華製のPC周辺機器まで、世界中の怪しいものを扱う記事サイトである。

 各記者で担当分野が分かれており、私はネットロアを、京子は占いやスピリチュアル系を得意分野としている。と言っても、ほとんどの記事は複数の記者による対談形式になっていて、あくまで主導を務めるのが誰なのかという程度の話でしかない。ちなみに「現代の魔女」は京子たっての希望で通った企画だ。

 であるからこそ、二週間前から取材旅行の準備に息巻いていた京子に、心配など不要に思えた。そもそも私と京子のライター歴に大差は無く、こと取材に関しては京子のほうが経験豊富だろう。ましてや、京子の憧れである織木真理への取材だ。粗相など考えられない。それに、わざわざ私まで取材旅行に行かせるほどオカルトガジェットの収益状況は芳しくないはずだ。


「……まあ、指導してやって欲しいというのは建前だ」


 鳥栖編集長の溜め息がマイクに当たり、私の耳元でゴソゴソと鳴った。


「勅使河原くんも直接魔女に会ってみたいと、企画会議の時に言っていたろう。熱量が大きいほど良い記事になるのは疑いようのない事実だ。……こう言ってはなんだが、スピリチュアル界隈は財布の紐が緩いユーザーが多い。そこの大御所である織木真理を上手く取り込めたら、今後のサイトPV数アップにも繋がる。旅費は私のポケットマネーだから、弱小サイトを助けるためと思って、なんとか頼まれてくれないか」


 いつになく低姿勢の鳥栖編集長だが、その声は低く、有無を言わせぬ迫力があった。マイクの品質が悪いのか、ロボットのような電子的ノイズが掛かっていたが、その言葉の魔力は損なわれていない。

 「それなら、まあ」と押し切られる形で、私は出張を承諾した。それほど大事な案件なら最初から予算を多く付けろよ、という言葉は飲み込んでおくことにする。

 別に連休の予定も無かったし、タダで北海道旅行に行けるならこれほど美味しい話はない。普段は買い物に出るのも億劫なほど生粋のインドア派だが、旅行は話が別だ。函館の名物は何があったっけなどと考えていると、さっそく、テキストチャットに飛行機の予約確認ページのURLが送られてきた。

 そこで思い出したが、一つ問題がある。


「……私、魔女の住所知らないですよ」

「北海道の函館だと岩田くんから聞いていたが、違うのか」


 鳥栖編集長の顔が曇る。


「いえ、その通りなんですけど……。山間の住所が無いところらしくて、詳細は京子しか知らないんです」

「京子くんはもう現地入りしてるんだろう? それなら、明日どこかで合流して一緒に行けば良いじゃないか」


 それもそうだ。つい数時間前に京子からホテル到着の連絡が、客室から港を見下ろす写真付きで届いていた。朝一の飛行機なら、午後からの取材に十分間に合うだろう。ただ――。


「そこまで気合いを入れる案件なら、私じゃなくて編集長が行けば良いじゃないですか」


 鳥栖編集長は中指で眼鏡を直すと、「今、引っ越し準備で忙しくてね」と微笑んだ。

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