第12話 これだから私の推しは……!
「いいなー 優佳子ちゃんの触ったアフロかー」
よく聞くとなんだか意味不明な日本語を水谷さんが気怠そうに発した。
「あげようか? あのレインボーアフロ」
「え、くれるの!? サインあったら欲しいんだけど!」
「あ、うん。その代わり、香織ちゃんのサイン入りグッズと交換で」
「そんなものはない!」
「ですよね……」
『運動会イベント後の握手会は現在準備しております。観覧シートにいる皆さまはご着席のままでお願い致します』
「んじゃあ、取りに行ってくるね」
「いってらっしゃーい!」
「いってらー」
期待を込めた水谷さんの声が、私の背中に大きなプレッシャーを乗っけてくる。かと言ってその足取りが重くなるようなことはなく、むしろ少しだけ軽快なものになっていた。
多分、私が思ってる以上に今の私は結構楽しいんだと思う。そりゃあ心残りはあるけど、運動会イベントは本当に超最高だったわけだし。
「……てか、なんで付いてきてんの。水倉」
「あ?」
ストーカーみたいな足取りがちらと見えたので後目を向くと、そこには借金野郎がいた。
「そりゃあ、俺も借り物競走で物を借りにきたメンバーがいたからだよ」
「へー、そっ」
それが誰なのか訊いた時に香織ちゃんの名前が挙がるかもしれない……という危機を防ぐため、私はそこで冷静に冷徹に話を切った。
残念ながら借り物競走の時に香織ちゃんがどの人から何を受け取ったのかは把握できていない。というか無理に等しい。観衆の中から伸びてる腕は分かるが、その人の顔までは把握できなかった。
その伸びた腕がこの人だった時の絶望……。とりあえず早く金返せ。
「聞きたい? 誰なのか」
訊いてもないのに反応してくんな。
「いえ。それより早く金返せ」
「うっ……現金な奴め」
「借金泥棒」
それ以上、水倉は言葉を口にしなかった。押し黙った空気のまま、私は運営本部へ赴く。私を含めた計一〇名の人の品が各人の手に戻ってきた。
思うところは、サインがどこに書かれているのかということ。アフロってそもそも書けるのかな……。勢いで買ったから、サインのしやすさまでは考えてなかった。
小倉ちゃんはいい子。それは間違いない。でも……やっぱり、推しのサインが……って思うことに、なんだか罪悪感湧いちゃうなぁ……おっ。
『お待たせいたしました。ただいまより、握手会の方を開催させていただきます。なお、ご参加の際、入場チケットの準備をよろしくお願いいたします』
ウィッグの内側、真っ黒なところに赤ペンのサインを見つけた。
これはこれは……推し変しちゃうかもしれないなぁ……なんてことは、正直微塵も思わないが……それでもやっぱり、サインがあるってだけでもめちゃくちゃ嬉しい。
サイン入りグッズの販売してくれないかなぁ……割とマジで。
そんなことを想い馳せる道すがら、ファン達は握手会に向けて動き出していた。その間を恐る恐る掻いくぐり、私は二人の元に戻ってきた。
「どうだった? どうだった?」
早速目を光らせてる水谷さんが犬みたいに見える。舌を出してハアハア言ってたらもうそれにしか見えない。
「ふっ」
「なにそれ。書いてたの?」
「あげる」
「え? 書いてたの!?」
「さあね。それより握手会行かなきゃ! 行こ!」
「その前に……彩さん、美紀さん。シートの片付けが先ですよ。荷物どけてください」
私が取りに行ってる間に片付いてなかったんかい。まあ、畳むだけだから別にいいけど。
「うわー! サインあるー! やー!」
「水谷さん。早くしないと、列に並べないですよ」
「大丈夫! 列に並べる時間にはまだ余裕あるから!」
「はぁ……これだから美紀さんは……」
「……よし、畳むか」
ふと思う。こんな風に
その光景は、当時想い描いてたものとは全くかけ離れていて、眼中にもなかったものだった。無縁どころか、一生その糸とは絡まることがないという確信すらあった。
でも……やっぱり先人たちが言うように、人生は何が起こるか分からない。
「とりま先並びます! 集合は体育館前で!」
「うわ、彩さんズルッ」
「ここはサイン入りグッズに免じて!」
「くっ……何も言えない……」
握手会の列は、言うまでもなく長蛇のそれ……と言いたいところだが、やはり偏りがあるのは現実味を帯びていてちょっと悲しい。
でも、そんな考えを吹っ飛ばしてくれる存在が同じ空間の中にいる。私は比較的短い列に並んだ。二人ももう荷物を片付け終えて各々の列に並んでることだろう。
ふと時間を確認すると、午後六時を回っている。運動会イベントはほとんど休憩なしで、スカッシュメンバーも疲れてるだろうに、ちょっと短い休憩を挟んで握手会。
タイトスケジュールにも程がある。別に急かさないから、とりあえず一〇分くらいは休ませてあげて欲しいところではあった。
そんなちょいブラック環境でも、スカッシュのみんなはずっと口角を上げていた。ほとんどレンズ越しでズームアップしてたけど、楽しそうなところを見てこっちもつい笑ってしまっていた。
最高だった。最後のダンスは前のライブと同じ曲だったけど、香織ちゃんの成長が少なからず窺えたのは大きかった。
「次の方、どうぞ」
スタッフに促されて、私はその場所へ歩き出す。この一歩一歩を踏みしめる感覚はいつも新鮮で、期待と高揚感が私の中で何度も爆発する。だって、その先には……
「香織ちゃーん! お疲れー! 私! 分かる!? 借り物競走の時に来てくれてたの!」
「はい、分かりましたよ! 小宮ママ、すごい派手なサングラス付けてきてたから、一瞬誰ってなっちゃいました」
そう言ってクスクスと微笑む彼女は、本当に天使ちゃんだなぁ……。
「お題、白いものだったなら、私のサングラス持って行ってくれたら良かったのにー!」
「ごめんなさい。白くて重たい物じゃないと、ちゃんとお題通ったことにはならないので」
そう言い切ると、香織ちゃんはまた微笑んでから徐に口を開く。
「楽しかったですか? 今日の運動会」
「楽しかった楽しかった! 初めてのイベント参加だったけど、もうほんと、香織ちゃんがすごくて……あ! 香織ちゃん、ちょっと歌上手くなった?」
「え、本当ですか!? じょ、上手でした?」
「うんうん! 前より声がすーって通ってる感じしたよ!」
「……良かった! 嬉しいです!」
あ……ヤバいわ。推しだわ、これが。マジヤバい。くそ可愛い。尊い。なにその笑顔。私の心臓をぶち抜いてくるとかヤバすぎるんですけど!?
「私も嬉しい!」
「え、あ……はい! ありがとうございます!」
「ありがとね! 香織ちゃん大好きだよ!」
「あ、ありがとうございます。私も……だ、大好きです!」
照れながらとか……反則でしょ。あー……好き。
「お時間でーす」
あー……香織ちゃんがあああああああ……。でもちゃんと手のぬくもりがまだ私の手にぃぃぃ……。てか、去り際も手を振ってくれてるぅぅぅー! 天使ぃぃぃー!
私は、夢を諦めた。いや、諦めざるをえなかったという方が正しい。なぜなら、眩しくて美しくて可愛くて、なのに小さい花が……君が、私に微笑みかけてくれている。
その抱いてた夢は幸せな家庭で子供を持つ、なんていうありふれたものだった。でも私にとっては憧れで、大きなもので……そして気付けば君を、自分の子のようにすら思っていた。
けれど現実は、どこまでいっても深く交わることのない子。でも……それがいい! これがいい! 君がいいんだ! 君がいたから……私は、こんなにも感情を爆発させられる。遠ざかっていく君は儚くて、小さくて、綺麗で……可愛すぎる!
ああああああー……さいっっっっこう! もっといっぱいいっぱい……君と話したい! 君を褒めたい! 君を照れさせたい!
そんな私の推しは……可愛い可愛い幼女です!
私の推しは幼女です! 鈿寺 皐平 @AZYLdhaTL77ws6ANt3eVn24mW8e6Vb
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