第10話 推しのためならば! 体操もしちゃう!
一応、撮影場所の後ろ……人がいないスペースで私たちはなぜだか体操を始めてしまった。幸い、保護者達の目とカメラはスカッシュのメンバーに注視していてこちらに気付いてない様子。
ただし、台の上に乗って体操をしてるスタッフのお姉さんとか出入口付近のスタッフさんとかを除けば。
「良かったですねー、動きやすい服装で」
「こういう事するために着てきたわけじゃないんだけど。いや、彩さんは別か」
「私もこんなことするなんて……。香織ちゃんと手を繋いで走るために着たのに……」
私たちは一体何をしてるんだ……。観客席は皆、体操をしてる推しを愛でたりカメラで爆撮りしてるのに、なぜいい年した女三人が特に面白味もないのに体操をしてるんだろう……なんて考え考えしてると、もう曲が終わった。
子供の頃は気怠くて長いと思ってたのに、今はもうあっという間に感じて気怠さを思う暇もなかった。
なんでだろう……あの頃の私は、王子様みたいな人と一緒に暮らして、子供も作って幸せになってる夢を見てたのに。
なんで今、こんなだだっ広い体育館の中でアイドルと両隣のおばさんと体操してるんだろ……。
『引き続き、次のプログラムの長座体前屈を行います』
「よしっ! こっからバンバン写真撮るよ!」
「あ、そうだ! 写真! 撮る!」
賢者タイムも束の間。私は目の前の推しに一瞬で興味を取り戻す。ふっ、あの頃の夢なんてもうどうだっていい! 今は香織ちゃんだあああああー!
*
体力テストの種目が目立つ運動会イベントだが、それでもしっかりメンバー同士が競い合ってることはレンズ越しでも窺える。
周囲の応援の声も相まって、本当に地域の小学校の運動会に来てる感がすごい。我が子系アイドルと謳ってるだけはあると思った。あと推しの頑張ってる姿が良すぎて泣けてくる。あと、前の人達が結構邪魔で写真撮れなさすぎて泣いた……。
それでも専属カメラマンの方が必ずいい写真を撮ってくれてるだろうと信じて、私達三人は必死に推しにだけ焦点を当てにいく。
運動会はそれなりに平和で、特に大玉転がしと玉入れは競い合うのではなく、メンバー全員で設けられたミッションを達成するというものだった。大玉転がしは何周すればだとか手以外で転がすとかあったが、玉入れは普通に何個入れれるかという一つのミッションだけ。
運動会で全員協力のミッション制は案外新鮮だなと思ったし、見てるこっちも結構楽しかった。いや……もうこの際そんなのどうでもいい! 次はいよいよ借り物競走だ! 私のすべてを、ここに捧げると誓った競技!
「よし! 私、自分の席に戻るね!」
「あ、彩さん。私も一緒に戻ります」
「え!? 二人とも戻っちゃうの!?」
「そりゃ次は借り物競走だし! 推しが私のところに物を借りに来てもらうために、観客席に戻らないと! 写真撮ってる場合じゃねぇ!」
その疾走感たるや、スカッシュメンバーもつい目を見張ってしまいそうだったと思う。しかし、ランボルギーニより早いであろう私の俊足に付いてくる城戸さんもなかなかのものだ。
オタクは推しの為なら、恐らく未来のリニア新幹線をも超えていく。愛さえあれば、地球も一周できちゃう!
『次は借り物競走です』
なんて呑気なこと考える場合じゃあない! この私、
「彩さん。借り物競走用のグッズは、あの大きなリュックサックの中ですか?」
「そうそう!」
「ずっと気になってたんですけど……キャリーケースのまま持ってこなかったんですね」
「いや、キャリーケースだと邪魔になると思って……」
まあそれは私がリュックサックの中に入れた理由の一部に過ぎなくて、本当はたかが運動会イベントにキャリーケースとかやばくない? と思われるのを防ぐためである。でも実際、結構キャリーケース持ってきてる人いて泣いた。私も堂々としてれば……。
そんな悔やんでも悔やみきれない思いを胸に、私と城戸さんは元にいた場所に戻ってきた。このモヤモヤを晴らすにはもう香織ちゃんしかいないよ!
「よしっ!」
「え……彩さん、そんな格好で?」
「イエス! 最前席だったらかぶってなかったけど、中途半端に前のところならこれくらいしないと! 絶対気付かれない!」
頭にはレインボーのアフロ。バースデーの時にしか掛けないローソク三本のデザインがレンズに乗ったパーティ用サングラス。あと香織ちゃんカラーのサイリウム。
そこになんと、いろんな色のリストバンドとエプロンも付けちゃう! あと諸々はまだバッグに入れてるが、香織ちゃんが何を探してるかを察した時に出そうと思う。
『それでは皆さん、入場してください』
来たああああ! 来た来た来たああああー!
「香織ちゃ」
「「「優佳子ちゃーん! 小倉ちゃーん!」」」
「「「沙織ちゃーん! さおりーん!」」」
「「「結ちゃーん! ゆいゆいー!」」」
「「「由佳ちゃーん! ゆっかー!」」」
「「「香織ちゃーん! かおりーん!」」」
女性の甲高い声援と男性の野太い歓声が体育館を埋め尽くす。ここまでのプログラムで、観客席側は最も大きな盛り上がりを見せてる気がする。
皆、何かに期待を抱いているのだろう。まあ、めっちゃカラフルに染めててサングラス掛けてパリピみたいな格好してる私が言えたことじゃないが。
バックストレート付近の撮影場所にいる人達の中にも私達のように離れていく影が見受けられる。水谷さんは始まってもなお帰ってこないので、おそらく撮影場所に留まるのだろう。二回目ともなれば、夢よりも現実を見てしまうのだろうか。
『ご観覧されている皆様にお知らせます。借り物競走では、スカッシュメンバーが観客席にいる方々に接触を試みますが、その際、強く手を引いたり抱きしめたり等、スカッシュメンバーに対して過度な接触はお控えいただきますよう、何卒ご協力をお願いします。なお、スカッシュメンバーが借りた物は、プログラム終了後に返品いたします。ご理解の程よろしくお願い申し上げます』
まさかこんなアナウンスが流れようとは……。誰かやらかしんたかな……。
「すごいですね。なんか……」
思わず、隣に座っていた城戸さんも呆気に取られている。そんななんてことないアナウンスだけど……
「その気持ち、なんか分かる。なんか……こんな細かい配慮もするのかっていう、この……手のかかりようが……こう……」
「分かります! ちゃんとしてるのがいいですよね!」
「そうそう! ちゃんとしてる!」
『さて、メンバーがレーンに並びます』
気付けばもうその瞬間がこようとしている。あと、実況してる人がいることに今気付きました!
そして……私の心の準備も待たないまま、スターターピストルの甲高い銃撃音が体育館内に反響した。
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