第8話 現地は戦場、オタク共の前哨戦

「うわっ、もう並んでんじゃん!」


 会場前はライブの時のそれとは違って、ちょっと広めなコンビニの駐車場ほどしかない。


 そこに押し寄せるオタクの群れといったら……むさいことこの上ないが、いつも通り乱れのない列が出来上がっている。訓練されたオタクのリテラシーの高さはなおも見張るものがある。


「あ、最後尾あそこだ!」


 水谷さんが指差すそこは、先頭からだいたい五〇人地点の場所にあった。人数制限があるおかげなのか、人の少なさが新鮮に感じられる。


 いつもの息苦しさとか蒸し暑そうな様が見られないのがまた良い。でも大人数で盛り上がるのもまた悪くない。


 そう思うと、少人数故の入場前の静かさがなんだか異様な光景だ。


「このイベントって、前もこれくらい人数少なかったの?」


「入場前はこんなもんかな。入場始まってしばらくするとだーって人が押し寄せてくるけど」


「じゃあ、もう少し遅れて来てもよかったんじゃない?」


「いや……今ここにいる全員、場所取りのことを考えてきてるんだよ。ほら? みんなの首にかけてくるものとか手元見てみ?」


 言われて、列の背後から各人を見やれば、黒いひもやら高そうなカメラとかを弄ってる。


「これは……なるほど。確かにオタ……保護者の方々、かなり本気のようですね」


「よりいい場所を取って写真を撮ることを目的としたオタク達……面構えが違う」


「まあそういう私たちもカメラ抱えて来てるから言えた立場じゃないけど。やっぱ、運動会の席取りは重要。良い場所が取れるか否かで、推しの神ショットが撮れるか否かを決定づける」


「つまり……私たちは今、一つの戦に踏み込もうとしてるってことか……」


「そーゆーこと。一部では、問答もんどうとも呼んでるらしい。ちなみに推し問答の推しは、アイドルを推すとかに使うあの推しね」


「なるほど。推しのためなら互いに主張し合い、しかし譲歩はせず推しを推し続ける……いかにもオタクにピッタリの用語」


「ふっふっふっ。そうですな、彩さん」


「ひっひっひっ。さすがですね、水谷さん」


「……二人ともキモイ」


 もうここまで来たら興奮を抑えることすらままならない。故にオタク特有のキモさも解放してしまう訳だが、むしろこんなイベントで羽を広げない方がおかしいと思う。


 皆、平然とした表情で並んでるけど、心を覗いたら絶対キモいこと考えてる。分かる、分かるよ……推しと手をつなげるかもしれない、推しが駆け寄ってきてくれるかもしれない。


 妄想は膨らむばかりだ。ついでに口座の中身も膨らんで欲しい。マジで金欠。


「それでは、入場受付を開始しまーす!」


 会場前で準備していたスタッフさんの声で皆一様に視線を上げる。その目付きはおそらく狼のような鋭い眼光へと変貌したことだろう。


 その声は合図と同義であり、推し問答開始が宣言されたということ。


 入場の列こそ穏やかな進み具合だったが、チケットを見せてからはダッシュボードでも踏んだようにオタクどもが奥へと走っていく。


「おらんだらあ! 行くぞおらあ!」


「こっわ……」


 一部凶暴になるオタクもいる中、扉が開けたその奥でブルシートが引かれたところまでが私達の侵入できる場所だと一目で分かる。


 体育館の中は事前に調べていたよりも広く感じ、天井は想像してたよりも高かった。中央には陸上競技用のトラックみたく白いテープが直線と弧を描いている。


 だが、そんな周りを呑気に見る暇は、今はない。


「すみません! そこすみません!」


「おらこっちだお前ら! さっさとシート引くぞ!」


「おい、そんなバカ高い三脚立てようとすんなよ! 最前列なら後ろのこと考えろよ!」


「だーくそ! あっちしかねぇか」


 ……思わず、唖然とした……。ライブとは違った熱狂だった。ライブでは事前に席が決められてるから場所を取って争うような光景は見ない。


 ところどころで盛り上がっているのはよく見るけど、こんな怒声というか熱量の激しい声音を聞くのは初めて。彼ら彼女らの熱量を改めて認識……というか、感嘆するというか……ヤベぇ。


「走らないでくださーい! スペースは十分に確保していますのでー」


 トラック周辺にはお客様スペースという正方形の枠がいくつか設けられている。ブルシートの上からテープが貼ってあり、一部の人はその上に持参してきたシートを引いていく。


 彼らなりの誠意にも見えるその行動だが、多少荒っぽいやり取りも垣間見えた。


「取ってきたよー! 場所!」


 先に駆けて行った水谷さんが、半ば狼狽えてる私達の元にふらっと戻ってきた。


「美紀ちゃん! どこ行ったのかと思ったわよ……」


「場所取りしてたの。結構いい場所取れた!」


「そう、なんだ……」


 そう話す水谷さんの背後では依然として推し問答が続いてる。場所一つ確保するのも大変なんだなぁ……。


 水谷さんがいなかったら出遅れ気後れして良い場所の確保もできなかったと思う。だって入口付近で足止まっちゃってるし。色々凄すぎて。


「とりあえず、席いって荷物置こう。みんなで座れるかどうかも大事だし」


「そうだね」


「うん!」


 物やオタクでごった返してる間をすり抜け、私達は水谷さんの背中を追う。最前席ではないけれど、割と前の方まで来ると安全地帯だった。まるで台風の目の中にいる感じ。


「割と広いんですね。人一人が限界かと思ってました」


「三、四人は座れるスペースになってるみたい。あ、引いてるシートの上は靴脱いで」


「あ、ごめん。分かった」


 実際、小学校とかの運動会に行くとこんな風なんだろうか。子供どころかパートナーすらいないけど、小学生時代の記憶を思い返してシートの上に座ることに懐かしさを思う。


 ふと右隣の荷物だけ置かれた誰もいないシートを見やると、ものすごく大きい香織ちゃんがプリントされたシートが引かれていた。


「隣、誰もいないけど……誰か知ってる?」


「さぁ……男の人だったとは思う」


 ……いや、まさかね。


「もしかして、彩さん……出会い求めてたり?」


「へ? いやいや! 今そんなこと考えてませんよ! ただ、ちょっと……引っかかる人がいるってだけで……」


「彩さんって、ドルオタに男性の知り合いがいたんですか?」


「いたというか……何度か話したことがあるってだけ。でも今はもう絡んでないけど」


 私が二人とこんな風に仲良くなる前は、一人のドルオタ仲間と度々話すことがあった。今は知らないけど、その人は一人でドルオタ活動してる人で、私と同じ香織ちゃん推し。


 そして、私の中ではものすごく大きい香織ちゃんがプリントされたシートを持っているという印象が強い人。まあ、その人おっさんなんだけど。



 まだイベント開始まで時間があるからと、三人となんだかんだ話してたら、もう開場してからおよそ二十分が経っていた。後から入ってきた人達は、推し問答を避けるためなのか、のっそり悠々とした足取りで体育館の中に踏み入ってくる。


 しかし、どいつもこいつもオタクっぽいオーラを放ってるので、結局初めの方に来てる私達となんら変わらない。


 勝手に後から来る人達は違うオーラをまとってると思ってた。普通にオタクだった。てかオタクしか応募してないんだからオタクしか来ないか。オタク以外が来たら……その人はもう助からないな。


 イベントが始まるのももうすぐ。スケジュールでは一四時スタートと記されてる。あと十分もない時間。焦りと共に興奮と期待が高まる。


 なんせ初めてであり、行きたいと思っていたイベントだ。ふと周りを見渡せば、ライブと違って人口密度が低い。故に特別感を思ってさらに胸が高鳴る。


「あ、水谷さんじゃないですか」


「え、あー隣、水倉みずくらさんだったんすか」


 ふと男性の声が耳に届いて思わずそちらを見やる。その人は中肉中背で、ギンガムチェックのシャツに紺色のジーパンという昔のオタクコーデを表したファッションをしていた。


 額には赤い布を巻いている。両手には高価そうな一眼カメラを大事そうに握っている。どの服もカメラもブランド名は存じないが、唯一知り得てる情報があった。

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