第4話 推しができるまで Part2

「いや、この人が困ってたんだよー キョロキョロしてたから、新人さんかなーって」


「余計に困らせてません? しかもちゃっかり自分の入ってる沼に入れようとしてるし」


 茶髪で、髪型はハーフアップにしているもう一人の人。釣り目でメガネをしてる黒髪の方の知り合いのようだった。二人とも私より年は上そうだ。


「ごめんなさい、うちの連れが。あなたも好きなアイドルがいるから、握手券のコースに応募したんですよね?」


「あ、いや……握手できたらお得かなって思って、これに……」


「あ、そうなの? メンバーに握手したい人とかはいないの?」


「うーん……その……このアイドルグループが好きになって、でも誰か特定の人と言われると……」


「そう、新人さんね。箱推しの気持ちは分かるわ。でも、握手券持ってるなら……せっかくだし、ふかゆいちゃんとかどうかしら?」


「ちょっ、裕ちゃんも自分の推し勧めてるじゃん」


「いえ、私は握手相手に困ってるみたいだから参考程度に言っただけよ。美紀さんのは勧誘じゃない。しかも体に触れてくるタイプの」


「なんか人聞き悪そうな言い方だな! ついでに言うと、私も握手相手に困ってるから参考程度に言ってみただけだし!」


「どうかしら。遠目で見れば、ヤバい勧誘みたいだったわ」


「そんな細目で見たらそう見えるだろうさ」


「釣り目で目付き悪そうな人に言われたくありませんねぇ……」


「目付きに関してはほぼ同類だろ!」


 え、えぇ……。


「あのー……喧嘩は……」


「あ、ごめんなさい。えっと……握手相手、どういたします?」


 いや、切り替えはやっ。


「あ、えっと……うーん……」


 改めて思考を凝らすが……みんな好きというか、全員と握手できるならそれに越したことはない。


 しかし、握手できるのはメンバーの誰か一人。握手しにいった時点で握手券は渡すことになる。


「全員とできる、わけないですもんね……」


「今回は比較的大きなライブだからねぇ……。客員数が絞られれば、全員することもできるんですけど……」


「そんなのがあるんですか?」


「そうそう。例えば、運動会イベントっていうのがあるんだけど……それは客員数が今日のライブの千分の一、いやそれ以下に絞られるの」


「えぇ……少ない」


「でも、その分メンバーとの距離も近くなって触れ合えるし、握手は全メンバーとできるのも夢じゃない超貴重なイベント。今度は、そのイベントに応募してみるのもいいかもですね」


「でもあれ、クラブ会員だけだけどな」


「あ、そうだったわ」


「あー……」


 会員かぁ……。まあ結婚してたら即拒否してるだろうなぁ……。


「もし興味があればでいいから。また次のライブで握手券付きのチケット取って、今度は誰と握手するか決めてからでも遅くないから」


「はい。すみません、色々教えてくれて」


「いいのよ、全然。またどこかで会えたら会いましょ」


「はい、ありがとうございます」


「ありがとな! またどこかで会えたら!」


「はい! ありがとうございます!」


 今思えば、この時初めて二人と会って話をした。仲良くなった人との馴れ初めはよく忘れがちだけど、二人との出会いはなんとなく鮮明に思い出した。それ以降、当分会うことは叶わず、連絡先交換しなかったことを後々後悔したなぁ……。


 それで……そうだ。私は一番左端の子と握手することにして、次からは右に一人ずつしていこうと思った。


 また来ればいい、きっと私はまたここに来る。そんな確信にも近い予感を胸に、私は左端の子の列に並んだ。


 握手会場は自分が思ったより人が少なかった。とは言え、もし握手券付きチケットが完売しているなら、これでも二、三千人の人がこの会場にいる。


 ぱっと見た感じ、一番長い列を作っていたのは、やっぱりセンターの子だった。まだそこまでハマってなかった非オタ気味の私でも、なんとなく列の長さで残酷な現実を見出してしまう。


 人気度の差ができてしまうのは仕方ないけど、このアイドルグループが好きだからそういう現実を目の当たりにすると少し悲しかった。


「次の方ー」


「あ、はいっ!」


 変に緊張してたせいで、しなくてもいい返事をしてしまった。しかもだいぶ裏返ってたし……恥ずかしい。


 私は伏し目がちに歩を進め、警備スタッフの方に券を渡す。


「こんばんはー」


 その声のする方へ恐る恐る顔を上げると、メンバーの一人、すず木香きかおりちゃんが微笑みを浮かべながら私を見上げている。


「あ、こんにちは……」


 緊張とほのかな羞恥心のせいで返す挨拶を間違えた……。でも、彼女が冷笑や嘲笑するようなこともなく、淡々と話し出す。


「もしかして、初めて来られた方ですか?」


「あ、はい。初めて、です……」


「初めて! お名前はなんて言うんですか?」


「あ、宮彩みやあやっていいます」


「小宮彩紗さん……じゃあ、小宮さんって呼んでもいいですか?」


「あ、はい。全然」


 その時の私はなんとなく素っ気ない印象を与えてしまったかもしれない。だけど鈴木香織が表情を崩すことはなかった。


「じゃあ、私のことは香織ちゃんとか呼んでください! 小宮さん!」


 そう言って、彼女は両手を差し出してくる。握手を求められてるんだと分かって、私は半ば慌てて両手を出した。握られた手からはほんのりとした熱気が伝わってくる。


「香織ちゃん、大丈夫? ライブの後で疲れてるんじゃ……」


「ううん、全然! ライブ、楽しかった! だからもっと踊ったり歌ったりしたいって思ってるの! もっとファ……保護者の皆さんに、私達の頑張ってるとこ見て欲しい!」


 あー……すごいな、若いって。きっと私は世間から見ればまだ若者の類だろうけれど、やっぱりこの子の元気には敵わないのだと身に染みて感じる。


 香織ちゃんの瞳に濁りなどなく、次のライブでどんなことをしようかとワクワクしてるように見える。僅かに乱れてる息さえ、香織ちゃんにはどうってこともないのだろう。


「……初めて見に来たけど……すごかった。テレビに出てきた時から見てました」


「え、ほんと!? 嬉しい……。小宮さんに、もっと私達の子と見てもらいたいから。香織、もっと頑張る!」


 あー……眩しいなぁ。光って、こういうものなんだな……。


「うん、頑張って! 応援してます!」


「うん! 小宮さんって、働いてる人?」


「あ、うん。なんで?」


 訊くと、香織ちゃんは首を軽く横に振る。そして、再び私の瞳を見上げた。


「ううん。お仕事、頑張ってね! 私も小宮さんのこと、いっぱい応援してる!」


「……うん」


 その瞬間だけは、彼女達を追いかけて早一年経った今でも、忘れることのない思い出。誰かに心を掴まれた経験のなかった私にとって、その日は掛けがえのない日になった。


 十一月三日。私が一人の幼女を、鈴木香織を推し始めた日である。

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