第3話 推しができるまで Part1

 大学を卒業して早二年。社会人三年目を迎えた頃の私は、漠然と時間を費やしていた。


「小宮さん。この仕事、お願いできますか?」


「……はい。分かりました」


 渡されたものを見ていくらか逡巡し、頷く。もう資料作りもこなれたし、別段嫌というわけではないが、なんだか気乗りしない。仕事が手つかずという訳でもないが、どこか無気力さを感じてならない。


 そんな時、ふと思い返すのは輝かしい学生時代。サークルに入って異性と話したり遊んだりして、遊びと勉強との両輪は多忙だったけど毎日がエネルギッシュだった。背負う責任もなく、身軽にあちこちを走り巡った日々。


 でも今では、責任と失敗してはいけないという二つの重圧が重くのしかかってるせいで、肩と背中がめちゃくちゃ凝ってる。


 このままではずっと夢見ていた花嫁、家庭を持つ、子供を作るというのは本当に夢のままで終わりそうだと、当時はそんな考えを巡らせていた。


〈大手芸能事務所が新たなアイドルグループを結成〉


 つい癖で開いたネットニュース欄、そのトップに載っていたタイトル。ニュース記事のコメント欄、SNS上ではかなりの反響があった。


 コメントは賛否両論……ではなく、批判が多数だったのを今でもなんとなく覚えている。


「最高年齢、八……下、四……ヤバ」


 別にアイドルオタクではないがテレビに出るアイドル達をなんとなく目にしていたから、この年齢でアイドルをうたうことの異常性を脊髄反射レベルで疑った。


 その時は記事に顔は出てなく、どういう子がいるのかも知らない。まあ当時は腐ってたこともあって、大人の汚い道具にされるんだろうなぁ……などと勝手にあわれんでいた。


 その真実はくつがえってないのだけど、今はもう盲目にさせられるほどの眩い輝きにやられてしまったのだろう。恋は盲目って本当なんだなぁ……。


 そして、初めて彼女たちを拝見したのはゴールデンタイムの音楽番組だった。この時のことはよく覚えてる。六月初旬の金曜日。翌日は土曜日ということもあって、いつもより気持ち楽にテレビでも見るかとけてみた。


 そしたら噂のアイドルグループがちょうどステージに姿を現すところだった。暗闇は一瞬にしてけ、眩い光が彼女たちの全貌を露わにする。


 それはまるで夏の向日葵ひまわりのようで、明るい笑顔が私の瞳に映った。その瞬間だけ、その番組の視聴者席にいたようだった。めちゃくちゃ気の緩んだ、素っ頓狂な顔をしてたと思う。


 見るまでは子供だと、どこか馬鹿にしてた私がいた。ただ大人に搾取さくしゅされるだけのうさぎたちとも思っていた。


 顔も名前も知らなかったあの頃の私には、もう戻れない。彼女たちの出会いが、私の毎日に刺激を与えてくれた。


 それからというもの、彼女達が出る番組をSNSで情報を集めては録画予約をして、休日に全て見るという日課が始まった。


 だが、それは長く続かなかった。世間の厳しい声もあったのか、いつの日からか彼女達をテレビで見る機会がとんと消えてしまった。


 まあその世間の声とやらも全く共感できないという訳でもなかった。アイドルとは言っても、まだ児童と言われる年齢の彼女達だ。


 アイドルという存在は、直接声には出てないが、時に性的にも見られる存在。世間は、おおやけに児童が性的に見られてるような空気感に嫌悪感を募らせてたのだろう。


 でも、私の第二の人生はその時から始まったんだと、振り返った時に何度も思う。この時から私は、テレビで見れないならライブに行こうと、そう思って踏み出した。


 チケットは抽選で、ライブ観覧のみとライブ観覧&握手券の二つのコースがあった。料金は握手券付きが、万近い料金だった。今もその料金帯に変わりはない。


 当時は当たらないだろうと諦観気味に応募していたが、実際に当たってしまってめっちゃビックリした。SNS曰く、当たるのはほんとに一握り。外れればライブも見に行けないという博打。


 まだ中途半端に彼女達を追っていた私はなんだか悪い気がしたが、とりあえずライブには赴いた。


 残念ながら客席は後ろの方だった。その時はおそらく約一万人の観衆を入れたステージだったが、当時の私はそれがどのくらい凄いのか凄くないのかは分からなかった。


 だが、盛大な歓声が上がった途端、私はその規模のすごさに圧倒させられた。


「「「うおおおおおおおおおおおお!」」」


 ステージが暗転した途端、会場の中の雰囲気ががらりと変わった。さっきまで静かにスマホを見ていた人も談笑してた人も、皆一様に声を張り上げ、立ち上がる。


 そしてステージに脚光が差したかと思えば、自己紹介もなく流れ出す大音量の音楽。ライブが始まる前は一人で来るもんじゃないなぁ……なんて、ちょっと後悔もしていた。人口密度の高さと熱量の多さにも面食らってた。


 でも、歌声が聞こえ始めたら、そんなの全部吹き飛んだ。


 で、気付いたらライブは終わっていて、一時間半も経っていた。初のライブだったけど、なんだか短く感じた。


「握手券をお持ちの方はこちらでーす」


 誘導員の声を聞いて、私は早急にそちらへ注意を向ける。初めての握手会で一番に脳裏を過ったのは、あんなライブの後でみんな大丈夫なのかな……という心配だった。


 ステージはあの年の子達にとってかなり大きかったし、彼女達も必死に縦横無尽に駆け回って私たちを楽しませてくれていた。故に体力の消耗は絶対に激しい。なぜなら観客席にいる私もどっと疲れてるから……。


 握手会場に着くと、ある程度列ができている。どこに並べば……と再度チケットを見るが、列の番号とかは記されてない。メンバーの誰かとしか握手できない、とも書いてないし……。


「大丈夫ですか?」


 ウロウロチラチラキョロキョロしてると、そう優しく声を掛けてくれた人がいた。彼女は見るからにライブの観客の人で、Tシャツはセンターのぐら優佳子ゆかこちゃんの名前がローマ字で記されていた。


「あ、すみません。握手券って、どこに並べば……」


「あー、どこでも大丈夫ですよ。握手したいアイドルの列に並べば大丈夫。握手券はその時に回収されるの。チケット裏面に書いてるけど……ちょっと分かりづらいよね、文字ちっちゃくて」


「え……」


 言われてチケットをひるがえし、よく目を凝らす。そこには確かに、『握手開始前にチケットを回収』と『お好きなメンバーの方と握手ができる』と米印付きで書いてあった。そこまで目が行き届いてなかったよ……。


「あ、ほんとだ! すみません……」


「いえいえ。ちなみになんですけど……誰と握手したいとかあります?」


「あぁー……」


 私はこのアイドルグループに惹かれてこのライブに来た。でも、よくよく思えば誰と握手したいかなんて考えてなかった。


 なんだか不思議な魅力を感じさせる彼女達に会えただけですごい元気をもらって、もうこれ以上は特段何もほっしていなかった。


「まだ、誰とするかは決めてなくて……」


「あ、じゃあ……小倉優佳子ちゃんって分かる?」


 その人はそう言いながら、Tシャツをちょんとまみ上げる。明らかに自分の推しを勧めようとしてる……。


「センターにいる子ですよね。最年長の……髪が、ちょっと赤みが入った茶髪の子」


「そうそう! その子、笑顔がすっごく良くてしっかり者でとても良い子なの! 良かったらどう!?」


「え、えっとぉ……」


「ちょっと美紀さん。なに困らせてるんです?」


 怒り口調ながらも、柔らかい高音。誰とも知らない優しい声が、私の肩に乗った華奢な腕を振りほどいた。

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