第12話 ニャンバラ都心部

 どれくらい天井を眺めていたか分からない。いつの間にか外が明るくなっていて、アオイがベッドの横に立っていた。


「蛍は何も教えてくれなかったでしょう」

「うん」

「朝食、ソールさん達が呼んでるよ」

「……今行く」


 朝食を食べて、ソールさんからお使いのメモを受け取った僕たちは、ニャンバラの都心部に向かっていた。


『ごめんね。街に行くならいろいろ買ってきてほしくて』

『お安い御用です』

『ミャオンはこれで足りると思うから、余った分は好きに使ってね』


 財布に入った金貨と紙幣――ミャオンというのがこの世界の通貨らしい。円に換算するとどれくらいかは分からないが、相当変な使い方をしない限り底が尽きることはないだろう、とのことだ。

 

「うわぁ、すっごい都会!」


 街中を行き交う住民はやはり二足歩行の猫ばかりだ。ムーンさんの魔法が上手く効いているようで、僕への訝しむような視線は感じない。むしろアオイの方が尻尾を二度見されたり写真を撮られたりしていて、変に注目を浴びている。

 すれ違う猫たちの会話内容はほとんどアオイの尻尾のことだが、その中に混じって不穏な話も聞こえてくる。


「港町が襲われたらしいよ」

「ここもいつ敵が来るか……」

「今日中に荷物をまとめて……」


 来る途中に壊れた建物がいくつもあった。かなり遠くの方だが、煙が上がっているのも見える。町はずれの辺りは暗く重い雰囲気が漂っていた。ここはまだ攻め込まれたことがないだけで、いつ爆弾が落とされてもおかしくない。

 アオイは視線も話し声も全く意に介していないようで、高層ビルに囲まれて狭くなった空を眺めながら前を歩いている。僕は今から質問する内容を、一度だけ頭の中で再生してから聞いた。


「僕はどんな死に方をするんだ」

「3年後、自分で確かめることだね」

「記憶が残らないなら教えてくれてもいいだろ」

「記憶消えるんだから知る必要ないじゃん」


 不毛なやり取りだった。それを言うなら未来のことも何もかも、見せた意味なんかないだろ。蛍さんもだが、大事なことに限って教えてくれない。それにしてもアオイに向けられる視線のせいで気が散る。


「それ隠せないのか?」

「何が? それより、あれ駅じゃない?」


 おそらく駅名が書かれた横長の建物に、身なりを整えた猫が大勢出入りしている。今は通勤ラッシュの時間なのだろうか。

 券売機を探していると、一匹のキジトラ猫が目に入った。鞄をひっくり返す勢いで何かを探している。すかさずアオイが話しかけにいった。


「どうかしましたか」

「あぁ、仕事の書類をなくしてしまってね……。職場に忘れてきたかも……」


 しわひとつない綺麗なスーツに、艶のある毛並みと張りのある声。新社会人ならぬ新社会猫だろうか。


「職場はどちらで?」

「軍の基地だけど……。でももう時間がないや……徹夜で仕上げたのになぁ」


 地図を見た。僕たちの目的地とは反対の方向だ。アオイは変わらずニコニコと答える。


「10分あれば間に合いますか?」

「え、まぁそれなら……でもどうやっ」


 彼の言葉を最後まで聞かず、アオイは僕とキジトラ猫を肩に担いだ。

「掴まっててくださいね!」


 返事をする間もなく、風のような速さで走り出した。周りの建物や猫が残像になって一瞬で流れていく。

「え、ちょ、ええぇぇぇ!?」


 反対の肩に担がれた彼の叫び声も周囲のどよめきも、風にかき消される。建物や電柱すら足場にしているから信号にも引っかからない。僕は運ばれながらぼんやりと、軍に所属するこの猫なら一般に知られていないことも知っているかもしれないな、と思い始めていた。多分、アオイも同じことを考えているだろう。


「ここでいいですか?」


 体感30秒ほどで下ろされた場所は、大きな平たい建物の前だった。

 キジトラ猫は急いでいたことも忘れた様子で数秒は呆然と立ち尽くしていた。


「あ、あぁ……。ありがとう、聞きたいことは山ほどあるけど一旦ここで待ってて!」


 ほどなくして戻ってきた彼は、息を切らしながらアオイに尋ねた。


「しょ、書類を、届けなきゃいけなくて、君さっきのあれ、もう一度できるかい?」

「もちろん」


 場所を地図で確認して、アオイは再び僕たちを担いで走り出した。


「これがあるなら電車いらなかっただろ」

「それじゃ楽しくないよ」


 僕の独り言を拾ったアオイの横顔は確かに、楽しんでいるように見えた。


 古びたビルの前で再び止まったアオイは、待っててくれと言ったキジトラ猫に従ってガードレールにもたれかかっている。僕はわけもなく疲れたので、ベンチに座って待った。しばらくして、キジトラ猫が出てくる。


「待たせたね。本当に助かったよ、ありがとう!」

「間に合ったようで何よりです」

「ぜひともお礼をさせてくれないかな。僕はプレアデス。君たちは?」

「アオイっていいます」

「……冬雪です」


 フルネームを言うか迷ったが、この世界はそもそも苗字の概念がない可能性が高かったので、下の名前だけ言うことにした。


「それにしてもさっきの走りといい、その尻尾といい、アオイちゃんは一体何者なんだい? もしかして宇宙から来たとか……なんてね」

「この尻尾ですか? カッコいいでしょう。実はお使いを頼まれてまして、これなんですけど」


 また適当にはぐらかして、アオイはメモをプレアデスさんに見せた。お使いの内容がこの世界の言語で書かれている。プレアデスさんを待っている間、アオイが端末の翻訳機能を使って書いたものだ。

 軍のことは聞き出さないのだろうか。僕の疑問をよそに話が勝手に進んでいく。


「あぁ、これならこの辺りを周れば大体揃うかな。案内しようか」

「ホントですか、お願いします! それが終わったら探しものもしたいんですが、よければ相談に乗っていただけませんか」

「もちろんだよ! 今日はもう予定もなかったしね。じゃあ早速行こうか」


 不意にニャイホンの通知が鳴った。


『ラッキーだね。もしプレアデスさんが軍のお偉方とかだったら魔法のこと何でも知ってるかもよ』


 アオイからのメッセージだった。


『そんなうまくいくかな』


 もし何か知っていたとしても、簡単に情報をくれるわけがないだろう。

 それに、彼が時折見せる目。こちらを品定めするような、腹を探るような目線が僕は少しだけ気になった。

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