第10話 蛍

 呼び出し音が響く。電話が元の世界に繋がったということ――――


「おわぁ繋がった! 凄いよこれ!」


 アオイが騒ぎながら慌ててスピーカーのボタンを押す。まもなく音が止み、誰かが電話に出た。が、警戒しているのかこちらの発言を待っているらしく、一言も発する気配がない。


「あ、聞こえる? その感じはほたるだね」

「…………葵衣あおいか?」


 低めの女性らしき声が聞こえた。アオイの友達らしいが、人間なのか?


「当たり。なんか電話繋がるかなって思ったらかけれちゃった」


 それだけ言われても何の話か全然分からないだろ。そう思ったが、蛍と呼ばれた人は少し沈黙した後呆れたような声を出す。


「お前、またどっかで遊んでるのか」

「今異世界でさ、猫の国にしばらくいることになったんだけど、みんないい猫だよ」

「猫の国……?」


 なぜか向こうの声が更に低くなる。急に異世界だとか言われたら誰だって困惑するだろうが、その声は疑問というよりに近いものに聞こえた。アオイはそれに気付いているのかいないのか、気にせず話し続ける。


「うん。写真送ろうか? あっでも蛍スマホ持ってないよね。なら」

「どうして人間がいる」


 見えないものに指を差された気がして、背筋が凍る。まるでこちらが見えているようだ。ソールさん達も虚をつかれたような顔で僕を見たが、アオイは全く動じずむしろ画面を僕に向けてきた。


「冬雪のこと? 大丈夫、友達だよ。なんなら話してみる? 人間嫌い克服の第一歩になるかもよ」


 ほら、と端末を押し付けられても。僕に何を期待しているんだ。


「……どうも、白刃しらは冬雪って言います……。アオイさんにはお世話になっております……」


 気乗りはしなかったが、当たり障りのないことを言ったつもりだった。それに、向こうの態度からして穏便に自己紹介を返してくれるとまでは期待していなかった。


「人間って会話するの好きだよな。そんなことしても意味ないのに」


 切られた。ツー、ツーという音だけが虚しく響く。予想外のことに一瞬理解が追い付かず立ち尽くす。

 会話が成立しなかった。


「あー切れちゃった。キミが人間だからだよ」

 凍った空気の中アオイだけが変わらない調子だった。聞いた感じ蛍とやらは人間ではないのだろうから、別に苛立ったりはしないが腑に落ちない。


「分かってたならはなさせるなよ……」

「まぁ流石に冗談だけど。どの道人間がいたら長話はできなかっただろうし」

「す、凄く怖いひとだった……私だったら絶対泣いちゃう……」


 アオイは既に半泣きのマーキュリーさんを安心させるように笑顔を見せた。


「大丈夫ですよ。蛍は人間以外には優しいので」

「尚更何で僕だったんだよ」

「蛍の人間嫌いはが一番ひどいからね。この時期に人間と関わったらどうなるのか、気になったんだよ。つまり好奇心だ」


 やっぱり腑に落ちないまま、僕たちは割り当てられた部屋に向かった。僕が最初に寝かされていた部屋だった。


「ごめんね、一部屋しか空いてなくて」

「いえ、ありがとうございます。これからお世話になります。迷惑にはならないようにしますので」


 案内してくれたソールさんにふたりで頭を下げる。


「なに、お互い様だよ。こんな時勢なんだ。助け合っていこうじゃないか。僕たちはもう友達なんだから」



「キミ、どうしたいの」

 ふたりきりになってすぐの、アオイの第一声だった。


「何が」

「京花の遺書が見つかると分かって、ついでに3年後に死ぬことも分かって、もしこの記憶を持ったまま現実に戻れるとしたらどうしたいの」

「聞いてどうするんだ」

「場合によってはそれが叶うように誘導してあげよう」


 ここで何を知ろうとも、元の世界に帰るときは僕の記憶は消される。アオイの中ではそういうことになっている。僕が時間遡行の手段を横取りしたら、きっとそれは崩れる。だからここでどんな会話をしても無駄に等しかった。

 第一、京花は死んだから僕の望みは決して叶わない……はずだが。


『本当に私なんだよ。生き返ったわけじゃないけど……』


 信じがたいが、アオイに見せられたあれは3年後の京花本人らしい。僕には幽霊でも人間でもないあれがなんなのか分からない。しかしアオイは確実に全てを知っている。


「未来で京花を名乗るあの子の正体が知りたい。すぐにでも会いに行きたい」


 京花が死ぬ前に戻れたら、その謎ごとなかったことになるだろうけど。

 なぜかアオイはしばらく何も言わなかった。全部知っているなら、できない頼みでもないだろうに。そもそもどうして、3年後なのだろう。死んでから3年間、京花はどこで何をしていたのだろう。


「それ、できないって言ったらどうする?」

「なら死なせてくれ。すぐに」

「いいのかな~ほんとにそれで」


 アオイだけが記憶を持ったまま元の世界に帰るという状況は、僕が失敗したことを意味する。その状況で叶えられる願いなんかない。

 わざわざ肯定する必要もないので黙っていると、アオイはため息を吐いた。


「……まぁ、キミはそう言うよね」


 それより、とアオイはベッドから飛び降りてドアの前に向かう。


「私寝なくても平気だから、朝まで散歩してくる。この基地は安全そうだしね。じゃあ、おやすみ。早く寝るんだよ」


 言うだけ言って出ていった。結局「キミはどうしたい」などと聞いておきながら最初から選択肢なんか用意していないんだろう。希望を持たせておいて、そんなもの元々なかったと突き付けるようなことばかりだ。

 また頭が痛みだして、蹲ると不意に思い出す。


「……どんな死に方するのか聞き忘れた」


 それどころか約束したはずの、未来の映像の続きも見せてもらっていない。別に明日でも良かったけれど、このままなかったことにされるのも嫌なのでアオイのニャイフォンに着信を入れる。同時にくぐもった着信音がベッドの上から鳴り響いた。布団の下からニャイフォンを見つけると同時に、ある事を思い付く。


 アオイの能力の影響が残っていれば、元の世界と繋がるであろう端末。迷わず手に取る。アオイが押した番号は念の為、記憶してあった。後から思えば、履歴から簡単にかけ直せたのだが。

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