第14話 見えない寝顔

 授業中、ところどころでメモを取りながら板書していく。テストが近づいているためか、意識した内容となっていて教室もどこかピリついているようでもあった。

 月末にあるテストのためにちゃんと勉強しないといけないなと決意を新たにして、ペンを握り直した。


 ホームルームが終わり、以前と同様に1度荷物を持って席を立つ。少し怪しいかもしれないけれど、意味もなく校舎内をぐるっと歩き回る。


 そう言えば、濱砂さんは私と仲良くなることを諦めてくれたのか、話しかけてくることが少なくなった。依然として視線は感じる気がするけど、それを気にしたら負けである。反応しないことが大切なのだ。


 でもほんっとうに良かった……1年間このままだったら病みそうだった。苦手な人が話しかけてくるのって私には苦痛でしかないのだ。それがたとえ周囲には好意的に見られている人であっても。その人がいい人であっても、私にとってはいい人じゃない。悪い人でもないけど関わりたくない人。

 唯一の良心っぽい遠間くんも、大抵天草氏か濱砂さんと一緒にいて話すことなんてない。まあ話す内容もないからいいのだけれど。


 自分を好きな人が2割、嫌いな人が2割、それ以外はどちらにでもなると聞いたことがある。たぶん私は、3人のことが嫌いではない。だから好きでも嫌いでもない、どちらでもないしどちらにでもなるのだろう。

 顔がある彼らがいる日常は私の平凡な日々の1部になって、声だけじゃなく表情で感情を伝える濱砂さんを見かけるようになった。声だけじゃ、物足りないと以前より思うようになってしまった。

 彼らみたいに目立つ人になりたいとは思わない。でも彼らのように顔が見えたらいいのかなと思う時がある。


 それを抜きにして、濱砂さんのことを気にせずテストに集中できそうである今、安心感と共に気分も少し上がっていた。心なしか足取りも軽く、スキップなんてしてしまいそうになりながら教室に入ると、まだひとりだけ教室に残っている生徒がいた。

 あ、危なかった……スキップしてたら恥ずかしくてどこかに隠れたくなる。まあ教室に隠れる場所なんて皆無だけど。


 誰なのか疑問に思いながら近づいていくと、なんといたのは矢吹くんで、それも机に突っ伏している。これは寝ているのだろうか。先ほどよりも足音を立てないように気をつけながら席にたどり着いた。


 寝てる、んだよね……?

 顔の近くで手を振ってみても、小さく声をかけてみても反応は返ってこない。


 恐る恐る、顔を覗き込んでみた。ほんの出来心。見えるわけないのはわかっていても、気になったのだから仕方ない。

 何度見ても、その顔にあるべきものは見えなくて、まっ皿な肌だけ。


 ほら、こういう時。目の前の人の顔が見てみたいと思う。

 たぶん私は一生、友人の顔も、家族の顔も見ることはできないのだ。


「ん……」


 近くで声が聞こえて体をビクつかせながら離れるが、顔は動いていないからまだ起きてはいないのだと思う。その様子を確認してほっとしていると、声をかけられた。


「行村さん」

「わっ!」

「そんな驚かなくても」

「起きてたんだ……」


 一体いつから目が覚めていたのだろう。瞼の動きまではわからないから、実際に起きていても私には判断がつかない。


「帰らないの?」

「帰ってもよかったけど……勉強するかなって、待ってみた」


 ……えっと? どういう意味?


「一緒にやっていい?」

「あ、私と?」


 それだと矢吹くんは私と勉強をしたかったように聞こえてしまう。もし自惚れでないのなら、来るかわからない私を待っていてくれたということになる。


「行村さん以外にいないけど」


 きょろきょろと周りを見回す矢吹くんは見当違いをしていたけれど、指摘はしなかった。


「……それなら先にやっててよかったのに」

「やる気出なかった」


 そう言って矢吹くんはぺたっと顔を机につけた。やる気は出ないけど、私と勉強する気はあるんだ。ふとそんなことを思ってしまい、考えを振り払うように首を振った。


「勉強、しよっか」

「うん」


 それから時々わからない部分を話したり、前回と同様に先生に聞きに行ったりしていると下校時間になった。駅まで並んで歩いていると、矢吹くんが何か思い出したように話し始めた。


「テストあるからあんまり読めないけど、この前の本もう少しで読み終わりそう」

「ああ、気に入った?」

「うん」

「じゃあ次の巻も貸すね」


 図書館にはない、自分が持っている本を貸した。中学校の図書館で読んでから、自分でも買って何度も読み返すお気に入りの本。


 矢吹くんとは趣味が合うらしいことは、こうして本のことを話すようになってわかったこと。紹介した本の反応も良好だし、感想を言い合うのも楽しい。

 私は単純に楽しむだけだけど、矢吹くんは「ここの言い回しが良かった」とか、「表紙のデザインのここがすごい」とか細かく話してくれるから、それを聞いて新しい発見があったりする。

 矢吹くんのおすすめも聞いて読んでみたら、今までに読んだことのないものだったから楽しめた。バトルものってあんまり馴染みがなかったけど、読んでみると面白いものだと思う。

 そうやってぽつりぽつりと会話をしながら歩くと、駅までの距離はあっという間だった。



 次の日。周りが帰る中、すでに机で勉強し始めた矢吹くんを見て、今日も残ってやるのかもと思い、カバンを置いてお手伝いに行った。

 帰ってきたらまだ濱砂さん達がいて、一瞬足が止まる。もう人が少なくなってるから目立ちそうだな。なんて思っていたら案の定こちらを向いた濱砂さんと目が合った。


「あ、行村さんもよかったら一緒に勉強しない?」

「え、いや……」

「おい、濱砂」

「ふたりは? どう?」


 話がどんどん進んでいくー! 3人を前にして口は回らないし、変な汗が出てくるし、どうしよう……!

 天草氏こっち向いてる? 向いてるよね!? 目を合わせたくないからそっち向けないんだけど!?


「僕は別にいいよ」

「俺は、」

「行村さんは僕と勉強するからダメ」


 遠間くんの言葉を遮ったのは矢吹くんだった。思わず振り返り、ペンを握ったままこちらを向く矢吹くんを見つめる。

 約束はしてなかったけど、矢吹くんも一緒に勉強しようと思っていたのだろうか。


 というか天草氏さらっと了承しましたね!? 断ってくれよ! 私とやりたくないでしょ? ないって言って!

 言葉が出てこなかった自分を棚に上げて、心の中でしか天草氏につっかかることができない私は滑稽だろうが、口に出す勇気も度胸もなかった。


「あ、そうなの? なら矢吹くんも一緒にやる?」

「人数多いと集中できないからヤダ」

「そっかぁ……」


 あれ、何とかなりそう?

 いまだに矢吹くんと濱砂さんを交互に見ることしかできない私。いっそ矢吹くんの後ろに回って隠れたい。


「ほら行くぞ。……悪いな」


 濱砂さんと天草くんの背中を押して教室から出ようとした遠間くんは、こちらを振り返って小さな声で呟いた。

 展開に着いていけなかった私はただ見ていることしかできなかった。


「ごめん。あんまり乗り気じゃなさそうだったら勝手に約束があることにした」

「あ、ううん大丈夫。助かったよ」

「そう? ならいいけど」


 乗り気じゃなかったのは正解だし、断ってくれて助かったのは確かだった。でもよくわかったなとも思った。案外、矢吹くんは人のことを見ているのかもしれない。


「でも人数多いと集中できないの知らなかったな。ひとりの方がよかった?」

「行村さんは大丈夫」

「そ、そう?」


 なんだかちょっと恥ずかしくてむずむずする。私なら大丈夫って、違う人は大丈夫じゃないってこと? いやいや、ただ単に騒がしくないとか古典教えてくれるからとかそんなところだろう、うん。

 言い回しが何かこう、照れると言いますか。もうちょっと言い方を変えてくれないと変な風に捉えてしまう可能性もあるわけで、そこら辺は考えてなさそうですよね……


「行村さん」

「はい!」

「……何で敬語?」

「条件反射みたいなものだから気にしないで……」


 ぐるぐる考えてたら声をかけられて驚きのあまり敬語になってしまった。

 落ち着け、事実だけを考えるんだ。矢吹くんは私は大丈夫って言っただけ。それに深い意味なんてないんだから。


「行村さん、今日も勉強していく?」

「あ、うん。してく!」

「じゃあ一緒にやろ」


 あ、やっぱり一緒にやろうとしてくれてたんだ。……でも、矢吹くんすでに勉強に取りかかってたし別に一緒じゃなくてもいいのではと、あまのじゃくな私が顔を出す。


「じゃ、邪魔では?」

「さっき行村さんなら大丈夫って言ったけど」

「そ、そうだった……」


 さっき言われたわ……一緒にやった方がいい利点があるのかしら矢吹くんの中には。教え合えるのがやっぱりいいのかな。


「今日は寝ないで待ってたよ」

「……そうだね? 勉強してたし」

「でしょ」

「うん」


 どこか自慢げに見えるのは私の目の錯覚でしょうか。あれか? 褒めてほしいんか?

 セリフ的には褒めてほしいわんこが頭に浮かびました。それか幼子。


「明日はたぶん寝る」

「いや寝ちゃうの!?」

「古典あるから」

「古典にそんな力ないけど?」


 古典は別に睡眠導入剤じゃないからね? 古典に弱過ぎでは?


 結局次の日には宣言通り眠る矢吹くんの姿があった。授業は起きてるんだよね、そうだと言って!

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