第6話 「告知をする者」

「色々と聞きたいことがあるんだが、まず君は一体何者なんだ?」

「私の名前はエリ。ただのエリ。だからあなたもそう呼ぶといいわ。そして、私は自分のことを名前以外あなたに教えることはできない」とエリは言った。

「それは何故?」

「理由も教えることはできない。ただ、これはあなたを嫌っているわけではないの。人を殺してはいけないように、私は自分のことを口にできないの」


 エリは機械的にそう言った。


 相変わらず、彼女の表情は微動だにしなかった。


 きっと彼女は死ぬ瞬間も、死んだ後もこんな無表情の顔をしているに違いない。


 そう思わせるほどだった。


「それで、どうなの?」とエリは言った。

「どうなのって?」

「あなたが一ノ瀬沙雪を殺せるのかどうか」

「そんなの、もちろんできないに決まっているだろ」と僕は言った。


 エリは立ち上がり、


「そう」と言った。

「今日はこのくらいにしなきゃいけないの。あまり時間がないのよ」

「最後まで君は自分が誰なのかを教えてくれないの?」と僕は尋ねた。

「さっきも言ったじゃない。私にはそれを言うことはできないの。理解してよ」


 エリはリビングから玄関に繋がっている扉の前まで歩いて行き、僕の方に顔を向けた。


 その動きは一つも無駄がなく、美しかった。


 エリの表情やその動作すべてを含んで、良い意味でも悪い意味でも人間らしくなかった。


「今日はあなたに会えただけでもよかった。ああ、それとこのことは一ノ瀬沙雪本人に言うことはしないで欲しいの」

「もし言ったら?」

「さあ、私には分からない。それじゃあ、また来るわ。次来る時までにあなたの考えが変わっていることを願っているわ」




 僕はしばらくエリの言ったことを一人で考えていた。


 後から振り返ってみると、自分が一体何を考えていたのか覚えていない。


 それにその時間は一瞬のように感じた。


 僕は疲れていたことも忘れ、一人でずっと静かに考えていた。


「……何が起こっているんだ」


 僕はベッドに横たわりながらつぶやいた。


 沙雪と出会ってから何かが変わってしまった。


 しかし、一体何が変わったかはっきりとは分からなかった。


 そして、それはその変化は果たして良いものなのか、はたまた悪いものなのかも分からない。


 今はただジッと身を潜めて、ひっそりと近づいて来る何かを待つしかないのだ。


 気づけば外は既に茜色に染まっていた。


 親はまだ帰ってきていない。


 きっと変な気を効かせているのだろう。


 僕は喫茶店に行くことにした。


 何か考えごとをしたり、集中したいときに喫茶店に行くことが僕は好きだった。


 僕は家を出て、赤く染まった道を歩いていった。


 この時間の街の風景が、僕は好きになることができなかった。


 寂しい気持ちでいっぱいになるのだ。


 家から十分くらい歩いたところにその喫茶店はある。


 喫茶店は質素な外観をしていて、店の前にある花壇にはアジサイが元気に咲いていた。


 店には他に客はいなかった。


 この時間は店員も少ないようで、店内はBGMの音以外には何も聞こえなかった。


「いらっしゃいませ」と奥から声が聞こえた。


 僕はいつもの隅の席に座った。


 しばらくすると、店員がやって来て僕の前にお冷を置いてくれた。


「ありがとうございます」と僕は言った。


 店員は僕に笑みを返し、戻って行ってしまった。


「…………」


 僕は黙ったままその店員の行動をジッと見つめていた。


 その店員は初めて見る人だった。


 いつも僕が行くときは決まって、三十歳くらいに見える女性が対応してくれた。


 大きな店ではないし、従業員の数も多くないから顔をすぐに覚えることができた。


 しかし、さっきの店員は高校生くらいに見える知らない店員だった。


 僕は店員を呼び、注文をしようとした。


 さっきの店員が小走りでやって来た。


「ご注文はお決まりですか?」と店員は微笑みながら言う。

「えーと、アイスコーヒーとサンドイッチ」

「はい。アイスコーヒーとサンドイッチですね。以上でよろしいですか?」


 僕は肯いた。


「少々お待ちください」と言って店員は戻ろうとした。

「あの!」


 僕は少し大きな声を出してその店員を止めた。


 止めたというより、止めてしまった。


 店員はぽかんと言った感じに驚いきながら振り返った。


「あ、えーと、あの、初めて見る店員さんだったから、少し気になって……」と僕は言うしかなかった。


 店員はそれを聞くと驚いた表情から、通常の表情に戻った。


「そうなんです。最近、ここで働くようになったんですよ。前にここではたらいていらっしゃった方がお辞めになられたので、ちょうど枠が空いていたんです。元々この店が大好きだったので、働こうと思ったんです」と彼女はにこやかに言ってくれた。

「そうなんですね。ありがとうございます。声をかけてしまってすみません」


 彼女は首を横に振った。


 そのとき、彼女の真っ黒な短い髪が空を踊るようにして舞った。


 注文したものも彼女が運んできてくれた。


 僕は家に来たエリのことなどそっちのけで彼女のことばかりを考えていた。


 そして、食べ終えて会計をするとき、


「よくここにいらっしゃるのですか?」と彼女はレジに打ち込みをしながら言った。

「たまに来るくらいです」と僕は言った。

「よければまたすぐにいらしてください」


 僕は彼女の顔を見る。


 彼女は微笑んでいた。


 僕は彼女に頷く。


 すると彼女はさらに笑顔を浮かべた。


 表情が豊かな子だと思った。


 僕は会計を済まして外に出た。


 外はもう真っ暗だった。

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違う世界線から来た僕の彼女が幸せになるまで。 白米よりご飯派。いや、やっぱり味噌汁派 @BBuussoonn

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