第5話 「ひっそりと忍び寄る」

 僕はもうそれ以上彼女に過去の話をするのを求めなかった。


 沙雪が過去の話をするのが、とても苦しそうに見えたのだ。


 それに、これから一緒に過ごしていけば、話を聞く機会など幾度もあるだろうと思った。


 僕と沙雪は長い抱擁の後、そのままベッドに行って眠ろうとした。


 部屋は暗く、窓からはほのかに月明りが差し込んでいた。


 沙雪は僕に背を向けて寝ていたため、表情を見ることはできなかった。


 しかし、たまに聞こえるすすり泣きが、彼女の今の心中を表していた。


 僕も彼女に背を向けるようにして眠った。


 僕は一度夜中に目が覚めた。


 すると、背中から沙雪が僕のことを強く抱きしめながら寝息を立てていた。


 僕は彼女を起こさないように気をつけ、再び眠りについた。


 朝になると沙雪はいつもの沙雪に戻っていて、昨日のことなど忘れてしまっているかのような素振りを見せた。


 僕たちは身支度を整えてホテルを出る。


 そして、ここまで来た道を戻っていった。


「あなたがここまで来てくれたのをとても感謝してる」と沙雪は電車の中で言った。

「別に暇だったからいいよ。家にいたってやることないし」


 沙雪は微笑んで、


「あなたのそういうところ好きよ」と言った。


 僕と沙雪は電車を降り、駅の前で別れた。


 別れ際の彼女の表情は明るかった。


 気持ちは清々しい。


 しかし、身体はまだ疲れていた。


 家に帰ったら寝ようと、僕は帰路の途中で考えていた。


 しかし、その考えは家の前に到着して吹き飛んだ。


 僕の家の前には見知らぬ少女が立っていた。


 見た限り、僕や沙雪と同じ年齢に見えた。


 その少女は見るからに特徴的だった。


 まず、髪は真っ白で若干青みがかっていた、


 瞳の色は薄く、顔たちは西洋人とも日本人とも判別がつかないものだった。


 下はスカート、上は風通しのよさそうなシャツを着ていた。


 彼女は家の前に僕が到着してから、ジッと僕のことを見つめてきた。


 僕は彼女のその凛々しくもあり、とてつもない冷気を放つその雰囲気が何だか恐ろしく感じた。


 僕は彼女に近づき、


「あのー、何か用でも?」と尋ねた。

「……あなたは野村のむら颯希?」とその少女は冷たい声で言った。

「そ、そうだけど」

「よかった。それなら、話が早い」

「話って?」

「とても大事な話」と少女は言った。

「それで、少し時間が欲しいのだけれど。今大丈夫? まあ、大丈夫でなくともあなたは私と話すことになるわ」

「……君の言っていることがよく分からないんだけど、とにかく僕は君と話さなければいけないということ?」と僕は尋ねた。

「そうよ」

「だけど、僕は旅行の帰りでとても疲れているんだ。早く終わるのならいいんだけど、長くなるなら後日がいいな」

「それは無理そう。短くなるにせよ、長くなるにせよ私は今ここであなたと話さなければいけないの」と少女は言った。

「こんな陽射しが強い日だし、中でお話ししましょう」


 少女は振り返り、僕の家のドアを開けた。


「何故、家の鍵が開いているんだ……」

「あなたのご両親にお願いしたら開けてくれたの。今は頼んで家を出て行ってもらったの。お願いしたら快く受け入れてくださったわ」


 両親はきっと彼女のことを僕の友達が恋人に間違えたのだろう。


 二人は僕に友達がいないことを知っているし、そんな中で彼女が家を訪ねてきたら喜ぶことだろう。


 だけど、本当は見ず知らずの他人だ。


 少しは疑ってもらいたいところだ。


 疲れている僕は仕方なく彼女に続いて家に入り、リビングのソファに座った。


 彼女は一人分空けた僕の隣に座り、腕時計で時間を確認していた。


「何か急いでいるの?」と僕は尋ねた。

「そうよ。あまり長居することはできないの。だから、早く話を済ませてしまいましょう」と少女は言った。


 彼女はスカートのポケットから一枚の写真をとりだし、それを僕に渡した。


 その写真には、沙雪が写っていた。


「あなたはこの人を知っているわね?」

「ああ知ってる。ついさっきまで僕と一緒にいたよ」と僕は言った。

「私が話したいことは、この一ノ瀬沙雪という人物についてなの。あなたが知っているかどうかは知らないけれど、彼女はこの世界の人物ではないの」

「知ってるよ」

「そう、なら話が早い」と彼女は言った。


 僕は会話をしている中で、彼女の表情はまったく変わっていないことに気がついた。


 それはとても人間のようには思えなかった。


 ずっと無表情で、ずっと無感情のように見える。


「端的に言って、私はあなたにお願いをしに来たの」

「僕に?」


 少女は肯く。


「一ノ瀬沙雪は細かく言えば、彼女のすべてが違う世界から来たわけではないの。向こうの世界にも、この世界にも一ノ瀬沙雪という人物は存在する。しかし、今回の場合は向こうの世界にいる一ノ瀬沙雪の中身と、この世界にいる一ノ瀬沙雪の中身が入れ換わってしまったの」と彼女は言った。


 僕はそのことを初めて知った。


 そして、それは沙雪自身も知らないように思える。


 だとしたら、何故それをこの僕の隣にいる少女が知っているのだろうか。


「つまり、この世界にいる一ノ瀬沙雪という人物は本来ならばこの世界にいてはいけない存在なのです。そこで、あなたにお願いがあるのです」


 僕は静かに彼女の話の続きをまった。


「あなたには、一ノ瀬沙雪をこの世界から抹消する。つまりは殺して欲しいのです」

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