御山に住む僧侶 弐

 

 斎覚がもといた庵に戻ってきたのは、昼時を超えて、あたたかい日差しがゆったりと差し込んでくる最中のことだった。

 御山のふもとには女人の受け入れも可能な坊や寺がいくつかあるが、斎覚が使った庵は人の出入りがほぼない、いわゆる秘する会合などで使う庵であった。

 そこは、詠と密かに会うときに使っている庵であった。

 よりにもよって、ここに郷長たちを招き入れるとは大胆にもほどがある。

 詠は板の間の上に体を横たえて、引き戸から見える空を眺めていた。

 ほんのり夕焼けにそまりつつあるそれは、場違いなほどに透明で美しかった。

「……っ」

 声にならない声とともに、何度目になるかわからない吐精を受けて、反射的にその法衣を鷲掴みにする。

 己の上に体を重ねていた斎覚の息遣いが整うのを確認して、詠はゆっくりと身体を起こした。

 足の間に流れる白濁したものを手近な布でぬぐい、乱れた衣を整える。

 滅多に感情を爆発させることのない詠でも、身体を開かれている間は快楽に翻弄される。急激に火照る身体に赤みが差し、常の詠からは想像もつかないような『生』を感じさせる。

 その相反する反応が斎覚を夢中にさせていた。

 服を整えている間に、色づいた詠の肌も感情も、何事もなかったかのように静かに収まってしまう。

 そんな様子をあきれたように斎覚は見つめている。

「本当に、余韻というものがないのう、お主は」

 非難がましい物言いにも詠は気分を害したようなそぶりは見せない。

 先ほどの情事が嘘のようにすっかりと身なりを整えた詠とは異なり、斎覚は上半身だけを起こし、先ほどの快楽が生み出したけだるさを堪能しているかのようだった。

 実際こうした行為に及んだのは久々なことだった。

 その姿に詠はちらりと視線を送る。

 そこにいるのは御山で勤勉に働き、皆の話をよく聞き、ありがたい説法を行う、清廉な美貌の僧侶ではなかった。

 乱れた服を直そうともせず、詠へと視線を向ける姿はあまりに艶めいていて、仏であっても惑わされるのではないかというほどに魅惑的だった。

「まだ足りませぬか、斎覚様」

「いや。これ以上はさすがに無理だな。寄る年波には勝てぬ」

 戯言を事も無げに口にする斎覚に冷たい視線を向ける。

「なぜそんなに厳しい目で見る、百目鬼殿」

「──極楽浄土に行ける行為ではありませぬな」

 僧侶が女を抱くなどと。

 しかし斎覚は何の罪悪感も見せることなく一笑に付す。

「いやいや。十分に極楽だったぞ」

 本当に、どうしてこう、人目がないとこの坊主は下世話で好色で俗物なのか。

 何度もやり取りをしているゆえに、すでに慣れきってしまっているものの、侮蔑も込めて言い返す。

「──笑えぬ冗談です」

「そう怒るな。この行為によっておぬしも気が咎めることはなくなるであろう? 憂いがなくなるならばこれまたお導きじゃ」

 本当に食えぬ坊主だ。こういうところで弁が立つ。

 これが本当に僧侶だろうかと問いただしたくなるくらいに、斎覚は自分の欲に忠実だった。

 もともと斎覚は幼いころから仏門へと足を踏み入れていたわけではなく、ある程度年を経てからこちらに身を寄せたらしい。その分世俗がどんなものか理解していただろう。

 寺へと預けられた事情を詠は詳しく聞いたことはなかったが、おそらく誰もが目を引くその美貌が仏門に入った一番の理由であろう。

 それでも初めて会った時の斎覚はもう少し初々しかったように記憶している。

 今ではそのころの名残などかけらもない。権力の荒波にもまれ、抗うこともままならなかった若い僧侶は、いつのまにか権力を行使する立場へと変わった。

 表では清廉な顔をしておいて、裏では財を成し、奸計をめぐらせ、己の欲を満たす。

 詠を抱くときもそうだった。

 年にあるかないか程度のことだが、いざ事に至るとそれこそ貪るように食らいついてくる。

 今日とてふもとの寺を回ると言って先に出たくせに、早々に庵へと戻り、挨拶もそこそこに詠を組み伏し、その精を激しく吐き出した。

 はじめて詠を貫いた時も、これでもかというほどに激しく抱いた。

 もっとも。あの時の我を忘れるくらいの行為が、詠を救ったのは間違いない。

 それがきっかけだったのか、それとも単に百目鬼の娘というところに利用価値を見出したのか。

 いずれにせよ、斎覚が詠を気に入っていることは間違いなかった。

 そう、欲にまみれた己をあけすけに見せるほどには。

「年貢に加えて、『うたて』を奪い、そのうえ快楽まで貪るなど、私には利がありませぬな」

「ん? そうか? 本来ならば『うたて』を七日分手に入れよとのご命令だったのだがな。まぁその辺の采配は任されてるからの」

 そのまま後ろから詠の髪を一房つかみ、玩ぶ。

 つまり斎覚はいろいろとはかりにかけて、この逢瀬の時間を優先したということだろう。

 欲を優先する辺りは斎覚らしい。

 だが。

 今日はやたらと背後に指示をする者がいることをにおわせての物言いをしてくる。

 御山において、斎覚ほどの人間に命を下すことができる人物は限られている。

「三日分で済んだことを感謝しろと?」

「いやいや。三日分だけでも手に入れることができたのは僥倖と我は思っておるよ」

 いつもならば情事の後のこうした情報交換は率直なほどの物言いをする斎覚が、今日は含みを持たせた発言ばかりだ。

 いくら人払いをしているとはいえ、どこで耳をそばだている者がいるかわからないから、警戒するのはよくわかる。

 だが、今回のような過剰なまでの警戒のしようを見ていると、必然かなり上位の者の介入があったととらえるべきだろう。

「天女の強襲でまだ落ち着いてもいないところへ奨円様を受け入れるのも、正直申し上げて不安ですよ」

 奨円の名前を出したことで、斎覚はさらに意地の悪い笑みを浮かべた。

「これは異なことを。まるで奨円がお荷物のような物言いだ」

 荷物などと、とんでもない。あれは警戒すべき間者だと認識している。

 記憶にあるのは内気でいつも泣きそうな顔をして後ろからついてくる姿だ。

 仏門に入ったのは一〇になったくらいの頃だっただろうか。御山へと向かう前に会ったのが最後で、それ以来顔を合わせたことはなかった。

 奨円──彦座が寺に預けられたのは二〇年ほど前のこと。

 彦座も詠や小太郎のように、二〇年以上前に起きた天女の襲撃事件での生き残りだった。

 彦座がどんな過酷な目にあったのか、詠はよく知らない。

 ただ、一晩中山を駆け巡り、見つかった時には錯乱状態だったと聞いた。

 三人の中で一番幼く、一番気弱だった彦座が無事見つかっただけでも奇跡といえるかもしれない。

 命は助かったとはいえ、あの時の天女の一件で奨円の心は壊れかけていた。薄葉の家族もなんとかしようと手を尽くしたが、折に触れてあの時の記憶が甦り、苦しむ。そんなことの繰り返しだった。

 特にともに死の淵から生還した実兄を前にすると異常なまでに取り乱し、手のつけようがなくなるほどだった。

 そんな状態が一年たち二年たち、それでも全く改善の見られない状況に、いっそすべての環境を変えた方がよいのではないかという話が出て、寺へと預けることとなった。

 彦座は奨円と名を変え、それ以来、御山から出てくることはなった。

 時々御山に会いに行っていた郷長は、徐々に奨円も落ち着いてきたと喜んでいたようだが、それでも奨円の傷は根深いものがあったのだろう。

 小太郎の葬儀の際にも参加することはなかった。

 昔から小太郎はよく言っていた。『彦座がああなってしまったのは俺のせいだ』と。

 結局二人は会うことなく、永遠の別れとなってしまったが、そうまでして頑なに郷に戻ることを嫌がっていた奨円が今更里帰りとは。

 しかもこの時期に。

 御山から何かしらの命を受けていることは間違いないだろう。

 そしてそのことを詠が気が付かないはずがないとわかっているのに、こうして挑発めいたことを述べるのだ。

 この挑発の意図はいったいどちらであろうか。

 己の背後の存在を知らせようとしているのか、単に面白がっているだけなのか。

 いいや。斎覚のことだ。きっとどちらでも、ある。

 斎覚が示したそれは、仮定の段階でしかなかった疑念を、より強固にしてくれた。

 だから詠はいたって落ち着いた声音で切り返した。

「いいえ。むしろいらっしゃること自体は歓迎しております。──だって、奨円様がいらしたら、少なくともその間は御山の干渉は減りますでしょう?」

 含みを持たせる斎覚とは対照的に詠らしくもなく、率直に言い切った。

 わかっていると。

 斎覚の後ろにいるこの御山の主の存在も、奨円に間者のまねごとをさせようとしていることも、先刻与五郎を唆したことも。

 わかっている。

 御山の奥の者どもが、『天女』の情報、天女除けの香、天女に関わる全てを手に入れようとしていることも。

 だから奨円を中に入れることに関してはなんら否とすることはない。

 それで情報を手に入れ、状況を打破できるきっかけとなるならば、郷にとっていい機会となる。

「なかなかにきつい物言いだな」

 だが、斎覚は満足した顔をしていた。

 斎覚は斎覚の思惑があるのだろう。

 詠のことを思って情報を流すような者ではない。己の利にもつながるからこその提供だったはずだ。

 それ以上斎覚に言葉を返すこともなく、ゆるりと立ち上がった。

 斎覚の手から、玩ばれていた詠の髪が滑り落ちる。

 さあ、いろいろと動かねばならぬな。

 斎覚と身体を重ねていた時以上に、恍惚とした顔をして詠は今後の対策のために思考をめぐらし始めていた。

 

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