御山に住む僧侶 壱


 琥珀がようやく目を覚まし、怒りにうちふるえていたころ。

 詠は小さな庵で一人の僧侶と対峙していた。

 正確には詠の前には佐平次と右近が座していたが、僧侶の目はまっすぐに詠に注がれていた。

「このようなところですまぬの、薄葉の。さすがに女人を御山にいれるわけにはいかなくてのぅ」

「そんな滅相もございません」

 軽く頭を下げる二人に倣い、詠も控えめに平伏する。

 この男を目にするのは何年ぶりだろうか。二年か、三年か。

 初めて会ったのはかれこれ一五年ほど前になる。

 幾分年を経て、顔にも相応の年輪を刻むようになったのだろうが、それでも男女問わず魅了するその美相は健在だった。

 凝視と言ってもいいほどに詠に視線を向けていた斎覚が、ふと背後へと視線を巡らす。

 その様子に右近は戸惑っていたが、何度かここへ足を運んだことのある郷長と詠はああ、あれのことかと顔を見合わす。

「本日我が手の者は来ておりませんよ」

 先んじて詠がそう伝えると、目を瞬かせながら身を乗り出した。

「お主の側を片時も離れなかったあの鬼が?」

 これまた面白そうに食いついてくる。

 確かに、琥珀は事あるごとに詠の後をついて回り、必要以上に世話を焼く。

 詠に害なす者は全て排除せんと言わんばかりに。

 そして斎覚も仇なす者と認識しているのか、こうして御山を訪れるときには必ず付き添い、敵愾心いっぱいの視線をむけていた。

「そうかそうか。あやつはおらんのか」

 その鬼がいないことにいたく満足してにこやかなまま頷いてくる。

「して。話は決まったのか?」

 機嫌のいいまま、話を本題に移した。

 斎覚のいいところは、余計な前置きがないことだ。

 特にこうした公式ではない場所ではその傾向が顕著だ。

 目の前にいる佐平次と右近はお互いに顔を見合わせ、それから背後にいる詠へと視線を移した。

 それに呼応するように口を開く。

「御山におわします衆徒の方々はどのくらいで?」

「多少の出入りがあるが、五〇ほどだな」

 否。実際には三〇を切るくらいだろう。

 公方様の御代には栄華を誇ったこの御山も、今では形骸化していることを詠は理解していた。

 それならば。

「では、奥におわす衆徒の方が二日賄える分だけの『うたて』をご用意いたしましょう」

 詠の応えに対して斎覚はうっすらと浮かべた笑みをこれっぽっちも崩すことなく、しかしはっきりと顔には否と浮かべている。

「たしか郷長には年貢を賄えぬ分だけ『うたて』を献上するよう申し伝えたはずだが」

「今申した分が、足りぬ年貢相当分と判断いたしました」

「百目鬼殿はなかなかに面白いことを申すのぅ。 私の見立てでは年貢の不足分の半分にも満たない」

 ……半分には満たないが、全く足りないわけではない、ということか。

 言葉尻を正確に読み取り、しかし、それを顔に出すことはなく算段を汲んでいかなければならない。

 押し黙る詠に対し、斎覚はさらに言葉を重ねる。

「御山の守護をするは、何もお主らだけではないぞ? 御山をめぐる奥の僧侶たちも、お主らと同等の危機に晒されている。必要な年貢さえも手に入れることができぬのなら、守となるものを求めるは道理だろう?」

 つまり、腹を満たすことができないのだから、盾をよこせと言っているようなものだった。

 と、いうよりも、防具の方が本来の目当てだろう。

 おそらく、斎覚は狙っていた。

 ちらりと目の前の郷長へと視線を動かすが、特段間に入ってくる様子もない。

 ということは、まだ、郷長はこちらに任せてくれている。

「──では。三日分」

 しかし詠の提案に斎覚は笑顔はそのままに、否を告げようとしている気配を見せた。

 すかさず詠は続ける。

「それだけあれば、襲撃を受けようとも、逃げるのに十分でしょう。仮に逃げ出さずとも、山に点在する僧侶を招聘することもできましょう。もちろん。我らも馳せ参じまする」

「百目鬼が助けると?」

「それが我らのお役目。有事に我らが動くためにも、これ以上は譲れませぬ。──なにより、我らの郷は先刻天女の襲撃を受けたばかり。備えをさらに強めております」

「ああ、先刻薄葉殿がここから去られるときに聞いた。なにやら繁殖期の天女に襲われたとか」

「ええ。ここ数年、郷を襲うことなどなかったのに」

ここ数年どころか、郷の村内を襲ったのは二〇年以上前の下薄葉の一件以来だ。

 だからこそ、軽く揺さぶりをかけた。

「──もしや、お主の鬼がおらぬのもそのせいなのか?」

 しかし斎覚も虚を突いてくる。

 外部には琥珀の一件は知らせていない。

 薄葉郷は勿論、隣接する御山でも墨谷郷でも百目鬼の使鬼の存在は知るところとなっている。

 長らく天女と対峙している中で、ここまで天女の動向を把握している存在はなかったからだ。

 天女の個体数、その生態、状況、果ては発情の時期まで。

 天女の里の正確な場所まではわかっていないが、蛹化している場所などはある程度把握している。

 それらの情報はこの御山のある連山に住む者ならば喉から手が出るほどに欲しいものだった。

 それをあの鬼が持っている。

 しかも、それらを教える相手は百目鬼の鬼女にだけとなれば、みな心中穏やかではなかった。

 その琥珀が命に関わるほどの傷を負ったなどと知られれば、周囲がどんな手に出てくるかわからない。

 死ぬ前に何としてでも琥珀から情報を引き出そうとするか。

 それとも守りを失っている百目鬼の鬼女を脅して手に入れるか。

 いずれにせよ、琥珀の不在理由を晒すのはできるだけ先延ばししたかった。

 だから詠も白々しく伝える。

「あれにはいろいろとお役目を与えております故」

「ふーん。──そうか。あれだけお主から離れなかった使鬼が、付き従わず内密に行動しているのだとしたら、なおさらこちらも万全の体制を取っておきたいところ」

 こちらも?

 斎覚の言葉に笑いだしそうになるが、常と変わらぬ顔をしていたって冷静に答えた。

「恐れながらその懸念はご不要です。狙われているのは郷だけですから」

「なんと。天女は薄葉郷には不用意に近づかぬものと思っておったが」

 面白がっているのか、試されているのか。

 大仰に驚いて見せるあたり、面白がっている、が正解だろう。

 その態度が詠にはえらく癇に障った。

 数日前の襲撃。半壊となった村。幼い天女。そして己の手の者が生死の境をさまよっているというのに、こんなところで時間を食っている場合ではない。

 しかし根本がここにあるかもしれないならば、釘をさす必要があった。

「──本当に。我らに手出しをしたことを、後悔していただかなければなりませぬ」

 まっすぐに、見ようによっては挑戦的な視線を真っ直ぐに斎覚へと投げかける。

 仮にも上位の者に対しての詠の振る舞いははらはらとさせられるもので、いつ止めようかと郷長も右近も機会をうかがっていたが、この二人の緊迫した雰囲気に口をはさむことなどできればしたくないだろう。

 しかしあからさまな挑発に、郷長が止めに入る。

「見衆殿、お許しを。ここ数日の目まぐるしい禍に、百目鬼殿も気が動転していたのでしょう。もともとは年貢の一部免除をお願いしてのこと。どうか寛大なご配慮をいただきたい」

 この絶妙な合いの手。険悪な雰囲気の間に入り、なおかつ話を元に戻してきた。

 郷長の言葉でさっと詠は平伏する。

「口が過ぎました。どうぞお許しを」

 ここで引かねば、斎覚の顔が立たない。

 まるで下手な芝居に立っているような気にさせれるが、体面を保つことはお互いに必要なこと。

 もちろん斎覚もそれに乗る。

「いやいや。こちらの方こそすまない。まぁ、そうだな。年貢の件はいったんその形で別当殿にご報告いたそう」

 互いがそれなりに妥協し、必要な手を引き出した形でこの合議は終了かと思われたその時だった。

「それともう一つ。こちらから話がある」

 不意打ちのように『お願い』を投げかけられ、三人は身を固くした。

 御山からのお願い事など、大抵はよくないことだ。

 真っ当なことを口にして、頼みごとの内容はえげつないものが多い。

「何、大した話ではない。一人、僧侶を預かってほしいのだ」

「僧侶、ですか」

「ああ。この山の講衆にて、お前の息子、奨円を」

 奨円?

 その名を聞いて、郷長と詠は反射的に顔を上げて斎覚を見つめた。

 奨円のことを知らない右近は、二人の反応に戸惑いを見せている。

 そして二人は右近以上の戸惑いを見せていたが、そこは郷長の方がいち早く我に返り、問う。

「彦座、いや、奨円に何か不手際でも」

「いやいや。そうではない。──少々体調を崩してしまってのぅ。幾分もちなおしてきたのだが、此度の冷夏を考えると、冬はかなり堪えるだろうと思てな。特に奥の冬は病み上がりには厳しいであろう? 奨円はこちらに来てから一度も里帰りもしておらぬし、これを機に春辺りまで養生するのもよかろうと思うての」

 ちらりと郷長の方へ視線を移すと、実に複雑な表情を浮かべていた。

 嬉しさ半面、不安も同じ分だけ、そんなところだろうか。

「正直、戸惑うておりまする。先日会った時にはそのような話はなかったものですから……」

「その後にわしの方から提案したからの。二人の様子を見て、以前ほどのわだかまりはないように感じたのでな。まぁ、思うところはあるようだが、あれからだいぶたった。奨円も年端もいかぬ子どもというわけではないし、私から提案した際には戸惑いながらもうなずいておったぞ?」

「わが郷が天女の襲撃を受けたことは」

「勿論それも承知での話じゃ。とはいえ天女が出たのは倭文村の境界上であろう? 薄葉村であれば心配はないと判断したのだが……。それほど厳しい状況なのか?」

 郷長はうつむき加減でしばらく考え込んでいたが、斎覚はせかすでもなく、ゆったりとした表情のままで返事を待っていた。

 そう簡単に頷ける問題ではないとわかっているゆえのことだろう。

「とにかく、一度奨円と話をさせてもらってもよろしいでしょうか」

「勿論。──では、案内役とともに先に参るがよい。わしはせっかくだからふもとの寺や坊を少しまわっていきたいのでな」

「申し訳ありませぬ」

 再度頭を下げる郷長たちを残して斎覚は立ち去った。

「……姉上。奨円様とは」

 小声で訊ねてくる右近に、これまたそっと返す。 

「郷長様の息子殿じゃ。ご嫡男、慈三郎様の兄、──亡き小太郎殿の弟にあたる」

 その説明で右近はいろいろと合点がいったようだった。

 以前から郷に関する人間関係はざっと説明していたため、詳しい話は不要のようだった。

 それと。小太郎の名前が出たゆえに、これ以上詠に聞くのははばかられたのだろう。

 家督を継いだばかりだが、聡明な弟に詠は満足していた。

「お前は奥へ同行しなさい。その場でうまく話がまとまれば、おそらく明日、奨円殿もともに郷へとお戻りになる。いろいろ準備が必要となります。その手伝いを」

「わかりました」

 そのまま郷長と二人、奥へと向かう用意をしている姿を見て、詠は思案を巡らす。

『うまく話がまとまれば』

 そう。うまくまとまるだろう。いや、まとめるはずだ。

 養生などと斎覚のさもさもしい話を素直に信じるほど、詠は無知ではなかった。

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