合議  参


「さぁ、この話はここでしまいじゃ」

 佐平次はいつもの朗らかな笑みを浮かべて、今度こそまっすぐに上座へと足を向ける。

 本当にこの方は昔から場を支配するのがうまい。

 ならばと詠は、佐平次がいつもの位置で腰を下ろしたところで一歩引く。

「では、私は此度の詳細を調べたうえで、再度ご報告に参ります」

 天女の一件に関しては今動けることはない。

 少しでも事のあらましを探らなければ、次の手を打つこともできない。

 急く気持ちを抑えてそのまま立ち上がろうとした時だった。

「ああ、すまぬ。百目鬼の。おぬしにはまだいてもらわねばならん」

 意外な物言いに詠は怪訝な表情を浮かべた。

 とりあえず天女に関する話は一度終いになった。

 おそらくこの後に合議するのは年貢の話であろう。それは八衆の者たちで合議する内容であり、詠がいていい話ではない。

 先ほど三郎から反感をかっているのだから、そのあたりの線引きははっきりさせておいた方がいいはずだ。

 いや、それができない郷長ではない。だとしたら、本当に『百目鬼』の何かが必要だということだろう。

 郷長と同じように腰を下ろした右近に視線を送るが、ほんの僅か頷くだけだ。

「年貢の交渉はうまくいかなんだか?」

 何かしらを予想してか、弥助が問いかける。

 場の緊張は解けていたが、それでも弥助のように平然と発言をするだけの力は他の乙名衆にはないらしい。いずれの狸たちも二人のやり取りをただ黙って見つめているだけだ。

 いつもならばやいのやいのと口をはさむというのに。

「見衆殿はなかなかに手ごわくてな」

「ご納得いただけなんだか」

「いや……、うん。まぁ、その件に関してはいささか問題があってのう」

 どう話していいのか、考えあぐねているような郷長に、皆が不安を覚えるところであったが、郷長の視線はまっすぐに詠へと向かってぴたりと止まった。

「何とか現状をお伝えし、譲歩いただいたが──年貢を減らす代わりに、減った分だけ『うたて』を差し出せと仰せでな」

 その言葉に皆が動揺する。

 隣り合う者同士でなんとしたものかと囁きあい、それから一斉に詠へと視線を向ける。

『うたて』を手放すのはある意味賭けであった。

 天女の繁殖期にあたれば『うたて』は大量に必要になる。だが、休眠期に入っていれば少々足りずとも何とかなる。

 その辺りの判断は百目鬼家が一番優れている。

 だから、この場に詠を残しだのだ。

 これはまた、やっかいな。

 ──いや、それもそうだが。

 昨夜の一件の直後のこの申し出。

 不審に思わない方がおかしいだろう。

 おそらく、郷長をはじめ、八衆の方々も何か裏があると思っているはず。

 ちらりと郷長へと視線を向けると、これまた『どう思う?』といった風にこちらを見つめている。

「──此度の見衆様はどなたで?」

「斎覚様だ」

 斎覚様か。

 おそらくその名前が出てくると思っていたが、こう、実際に突きつけられると溜息が出そうだ。

 詠の伯父である玄真もなかなかに世俗にまみれた百戦錬磨の生臭坊主であるが、斎覚もまた、一般的に言われている『僧侶』とは異なる、顕示欲にまみれた坊主だった。

 御山を守護する百目鬼の住まう倭文村は、隣接する御山の本山とも接触が多い。

 斎覚は御山の中で上位に立つ見衆らの間でも、それなりに力を持った僧侶だった。

 実質本山を動かす別当代行を望んでいる節はないが、ある程度自分の思い通りに動かせる位置自体は望んでいるようだ。

「さすがに即答はできないと持ち帰ってきたが、そう時間はないな」

 皆の手前か、郷長は少々言葉を濁しがちに言ってくる。

 そのあたりを汲んでか、詠のすぐ隣に腰を下ろしていた右近がそっと耳打ちする。

「もっとわかる者を早急に連れて来い、と」

 右近の言葉に詠はこっそり溜息をついた。

 それはつまり、詠に来いと言っているも同然だった。

 斎覚とは長い付き合いだ。

 初めて会ったのは詠が小太郎を失った直後。

 葬儀のために来た僧侶の一人であった。

 その時言葉を交わしたのはほんの一言二言程度だったが、周囲とほとんど口を利くことのなかった詠と奇跡的にも言葉を交わしている姿を見たせいだろう。

 それ以来、院から詠がらみで接触がある場合は、斎覚が表に立つことが多かった。

 斎覚に会うのは気が重い。

 院でそれなりの力を持っているだけあって、適当にあしらえる者ではない。むしろ分が悪い。

 こちらは頼む側。あちらは頼まれる側。

「繁殖期は、近いのか?」

 考え込む詠を前に、郷長は率直に訊ねてくる。

「おそらく二,三年後にはそれなりの対策を行わねばならぬでしょう」

「それには今ある『うたて』でも足りぬか」

「正直申し上げまして、数年後であろうと今であろうと、『うたて』が足りるということはございませぬ」

 詠の言葉は幾分きつい調子であった。

 郷長が八衆の者たちを納得させるために、敢えて話題にしたことは重々承知している。

 だが、この面倒なやり取りに辟易していることも確かだった。

 それでも今の発言は思慮がたりなかったかと思い直し、幾分か表情を和らげた。

「勿論、年貢も大切であることは承知しております。直ちに村に戻り、出せるだけの量を調べて参りまする」

 乙名衆の一部はまだ言い足りないといった風の者もいたが、有無を言わせぬ詠の物言いに押された形で、口をつぐんだ。

 ああやっとこれでこの場から辞すことができると、心の中でほくそ笑んだ。

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