合議 弐
緊迫した雰囲気はそのままにすべての視線が佐平次へと注がれる。
その後ろに控える詠の弟、右近はというと、これまた戸惑った顔をして立っている。
しかし佐平次は悠然とした態度で笑みを返して皆を見つめた。
「いやぁ、遅れてすまぬ。これでも天女強襲の沙汰を受けて、慌てて帰ってきたのだ。のう? 右近」
右近はいきなり話を振られ、一瞬戸惑ったが慌てて深く頭を下げた。
「え、あ、はい!」
薄葉佐平次が郷長を務めて彼是二〇年以上たつ。
佐平次の代の八衆はほとんどが同世代の者であり、普段ならば幼馴染として親しい付き合いをしている。
郷長としての佐平次は常に皆の中心であったが、それは世襲で継いだ郷長としての立場故ではなく、佐平次の持って生まれた人を惹きつける才でもあった。
そして今も、一瞬にして皆の意識を自分へと向けた。
皆の顔をしかと確認し、そのまま詠の横を通り過ぎて上座に向かうかと思われていたが、あろうことか佐平次は下座に控える詠の横へと腰を下ろした。
突然のことに皆が困惑している中、やんわりと弥助が嗜める。
「佐平次、お前の席はこちらだよ」
いつもならば、すまんすまんと陽気な態度で従う佐平次が全く動こうとしなかった。
笑みを絶やすことはなかったが、一向に口を開こうとはしない。目の前にいる八衆の皆をただ静かに見つめるだけだ。
柔和な笑みとは対照的に、空気だけが張り詰めていく。
どのくらい経ったか。
ようやく佐平次が口を開いた。
「この状況は何故かな?」
誰もがどう説明するべきか考えあぐねている中、ここでも一番に口を開いたのは弥助だった。
「百目鬼の説明を聞いておった」
「ああ。わしらの耳にも入っておった。なにせ
名を呼ばれた大沢の村長ははじかれたように顔を上げた。
わざと名を呼び捨てされ、佐平次が常の様子でないことを突きつけられたのだろう。困惑した表情を浮かべる。
薄葉八衆の半分は佐平次よりも年上である。三郎もまた然り。
常ならば礼節をもって敬称をつけて対応する佐平次の、あえての言動に三郎は尚も息を詰める。
答えるのを躊躇う三郎を補うように弥助が説明する。
「与五郎は三郎の村の者だ。村長である三郎の意見を聞くのは道理」
「そうだな。まず確認すべきは与五郎の所在についてであろう?」
そこでようやく与五郎についての安否を誰も詠に確認していないことに気が付いた。
中でも三郎は実にばつの悪そうな表情を浮かべていた。
三郎は与五郎のことよりも己の立場、己の保身についてのみ追求していた。
ああ、ようやくかと詠は心の中で溜息をついた。
所詮、己の身の上だけが一番で、民のことなどどうでもいいのだ。
「与五郎はいかがした」
「遺体はありませんでしたが、引き裂かれた服と、血が廃坊あたりで見つかりました」
「ほかは何も残っていなかったか」
「何も。──相手は羽化したばかりの天女だったようなので」
おそらく、すべて喰われてしまったでしょう。
詠はその言葉を飲み込んだ。
言わずとも、この郷に住むものならば子どもでも知っている。
羽化後の天女は目覚めて一番に目にした人をむさぼり喰らう。
それは長い眠りによる飢餓を埋めるために。そして、子をなし、育てるために必要な『餌』を知るために。
与五郎もその犠牲になっていることは疑う余地もないだろう。
「そうか。──他の者はどうじゃ。皆無事か」
「はい」
そこに琥珀は含めなかった。詠自身が負った傷のことももちろん『他の者』には含めなかった。
百目鬼のお役目上、傷を負うことも、場合によっては命を失うことも覚悟の上だったから。
琥珀が詠のそばにいないことも、そしておそらく詠が傷を負っていることも郷長は気が付いているのだろう。
じっと詠の姿を見つめていたが、ふいとその視線をそのまま三郎へと向けた。
「三郎。確かに与五郎の件は残念なこととなってしまったが、百目鬼の采配に落ち度はないと見受けるぞ」
三郎は納得がいかないと言わんばかりに、憎悪を込めた視線を向けてくるが、かまわず続ける。
「天女の件に関しては百目鬼が全権を持つ。非を問うことは適わぬ。──そもそも三郎のは意見ではなかろう?」
さらに追い打ちをかけるような物言いに、三郎は反論する。
「采配ならばこの鬼女ではなく、ほかの百目鬼の者がすればいいだろう!」
怒りの矛先は詠から佐平次へと変わる。
それに対しても佐平次の返答は穏やかだった。
「詠の手腕は誰よりも優れているのに?」
そこで敢えて、『詠』と親し気に呼んだことで、皆が動揺するが、三郎は態度を変えることなく勢いづいたままで続ける。
「信頼に足りうる人間か、ということが重要なんじゃ! 同じ百目鬼でも誠二郎ならば納得がいく。右近でも、まだ未熟とはいえ、百目鬼の次代だ。よしとしよう。だが、この鬼女を信じることなどわしにはできん。──のう、佐平次。お前はこの女を信用できるのか? お前の大事な倅が死んだ原因かもしれぬというのに」
先ほど詠の心をえぐったのと同様、三郎は再び同じ話題を持ち出した。
それが、詠にも佐平次にも苦い一件とわかっていてのことだった。
しかし身を固くしている詠とは対照的に、佐平次は柔和な笑みを崩すことなく、それどころか駄々子を窘めるかのような視線を向けた。
「違うだろう、三郎。百目鬼を、詠を信頼しているかどうかなんてお前にはさしたる問題ではなかろう? お前が気にしているのは与五郎の一件で己が裁きを受けるかもしれない、その一点だけだ。何事もなく過ごせるのか、それとも二〇年前の下薄葉の村長のごとく、悲惨な末路を迎えるか」
なんの含みもなく、まっすぐに指摘されて三郎はそれ以上の言葉を失う。
「まぁそんなに心配せんでもいい。確かに事のあらましについては詠ら百目鬼の者に調べてもらうが、普通に考えて、大沢で糸を引いているとは思えん。それにそもそも沙汰は八衆の者たちの合議で決まること。──のう? 詠」
話を振られ、詠は短く首を垂れる。
「勿論でございます。我らに与えられたは天女を退けるための権利のみ。八衆の皆様方に関しての権限は何もございませぬ」
ほら見たことか、と言わんばかりに笑い、変わらず平伏する詠に対して面を上げろと肩をたたく。
さすがに三郎もこれ以上怒りを振りまくわけにもいかず、不服そうな顔をして押し黙った。──が。
「ほうら。心穏やかに話し合えばいとも簡単に事は収まる。──ゆえに今後二度と倅の話をかけひきにつかうな。わしにも詠にも誰に対しても、だ」
佐平次のその一言で、皆が、特に三郎が深く平伏せずにはいられなかった。
滅多に怒りを見せることのない佐平次の圧は、さすがの弥助も反論できないほどの迫力を伴っていた。
佐平次の息子、薄葉小太郎はすでにこの世にない。
佐平次以上に機知に富み、薄葉をますます繁栄させてくれる良き郷長になろうと言われていた郷長次代は、その身を天女に屠られた。
それはまだ、諱をもらって一年と経たない、百目鬼詠との婚礼の夜のことだった。
薄葉小太郎は薄葉家の嫡男として、大いに期待されて育てられた。
幼いことから利発なうえに、時には過ぎるほどにやんちゃで各々の家ではいたずらの被害にあうことも少なくなかったが、それでも『まったく薄葉の次代様は』と苦笑いで許してしまうような存在であった。
薄葉家の特徴なのか、佐平次同様、人を魅了する才にあふれていた。
そんな将来有望だが、いささか己の好奇心に負けて暴走気味な行動をしてしまう小太郎の相手として選ばれたのが詠であった。
小太郎より二つ年上であったが、百目鬼家の女子衆はお役目のせいか思慮深い者が多く、その中でも詠の評判はずば抜けていたからだ。
作法も優美で完璧である上に、大人からも子どもからも慕われる。
なおかつ、小太郎を相手にしても引けを取らない性格なうえ、いざ争いが起こった時も戦力になるほどのつわもの。郷長の奥としてなんら申し分なかったのだ。
物心つく頃にはすでに顔合わせも済ませており、このままつつがなく郷の繁栄に貢献してくれる、誰もがそう思っていた。
だが、下薄葉の一件で歯車が狂い始める。
下薄葉で行われていた豊穣祭に参加していた二人は、下薄葉の惨殺事件に巻き込まれた。
天女の警告を伝える者として二人とも生き残ったものの、それから小太郎の様子が徐々に変わっていく。
表向きは常とは変わらぬ様子であったが、一人になるとぼんやりと山を見つめていることが多くなり、かつてのやんちゃな子どもの姿は形を潜めるようになった。
事件に巻き込まれたのは数えで一〇になったかならないかといったころ。
もともと子ども時代を抜け、大人へと変わっていく時期だったから、以前のようないらずら好きの一面も少なくなっていくのも当然だろうが、あの一件が大きな影を差していることは間違いなかった。
あの事件以降、小太郎は『郷のために』が口癖のようになっていた。
そうして婚礼の日、小太郎は消え失せた。
残ったのは、おびただしい血だまりと、その真ん中で倒れている詠だけだった。
詠の肩口はぱっくりと裂け、かなりの血が流れていたが、それでも詠が倒れていた場所の血だまりは、一人の人間の者だけではない量だった。
目が覚めてからも詠は『覚えていない』の一転張りで、事の真相はいまだにわかっていない。
血以外、何も残らなかった現状を見て、人々は天女が連れ去ったと噂した。
下薄葉の村の殲滅を阻んだ小太郎への復讐だとか、いや、あの惨劇の中で小太郎に目をつけて天女の子づくりの贄になったのだろうとか、実に多岐にわたるうわさが飛び交った。
あの血の量、かけら一つ残っていない身体。いずれにしろ、もう薄葉小太郎はこの世にいないと皆結論付けた。
しかし詠も、薄葉家も、憶測にも下世話なうわさ話にも何も言い返すことはしなかった。
婚礼の夜に詠は夫を、佐平次は跡取り息子を失った。その事実だけが目の前にあった。
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