御山に住まう人々

合議 壱

 郷堂では薄葉八衆の者たちが憂いだ顔をして座り込んでいた。

 薄葉郷を構成する五つの村には、有力な名主が八家存在する。昔からその八家は薄葉八衆と呼ばれており、郷の危機や重要な決定事項にあたっては必ずこの八家で合議が行われる決まりとなっていた。

「随分と勝手をしたのぅ、詠。独断が過ぎたのではないのかの」

「それで? 結局天女は追い払えたのか?」

「与五郎は喰われたのか? ついでにほら、なんだったかの。百目鬼の使鬼はどうした?」

「そもそも何故にお前がこの場にいるのか解せぬ。右近はどうしたんじゃ。百目鬼は代替わりして正式に右近が長となったのだろう?」

「右近ならば、佐平次と年貢の交渉で、御山の市へ出かけておる」

「なに? まだ戻っておらんのか。もう三日にはなろうぞ」

「交渉がなかなか進まぬのだろう。昨年の冷害はひどかったからのう」

 思い思いに好き勝手に語る男たちを前にして、下座に位置する詠はただ黙って彼らの言葉を聞いていた。

いずれも狐か狸かといった、老獪な面々が勢ぞろいしている。腹の奥では己の地をいかに守り拡大するかしか考えていない彼らを前に、己の意を述べるつもりはさらさらなかった。

 こういう時に声を発するのはよろしくない。

 彼らも分かっているのだ。

 結局百目鬼のすることに異を唱えることはできない。

 かといって、己らより年若い、しかも女相手に簡単に是と口にすることが面白くないのだろう。そう、その程度のこと。

 自分は自分に与えられたお役目を全うできれば何も文句はない。

 いやむしろ、若輩者だ女だと侮ってもらっていた方がこちらも動きやすい。

「年貢の話は置いておけ。それより今は天女の話じゃ」

 話が尽きて、話し合うことさえも面倒になり、幾分か判断力がそげたところで一気に話を進めようとしていた詠の思惑を断ち切ったのは、篠葉しのば村の村長、高秀弥助たかひでやすけであった。

 郷長と同等の力と発言力を持つゆえに、郷長不在においてこうした場を仕切るのは高秀であった。

 高秀は下座でうつむいていた詠へとまっすぐに視線を向ける。

「さあ、詠殿。説明なされよ」

 詠を尊重するような言動に詠はわずかに息をつめた。

 本当にこの方は読めぬお人だ。

 郷長である薄葉佐平次うすばさへいじはともかく、ほかの乙名衆はあからさまに詠を軽んじている中、一貫して敬意を払ってくる。

 それが天女対策において、詠が要となる人物と理解しているからだと言えば単純な話だが、そんなことを簡単に信じるほどお気楽な性格はしていない。

 何度か高秀家について手の者に探らせてみたこともあるが、笑えるくらいに何も出てこない。

 何も出てこない、ということ自体がおかしいのだ。

 篠葉村は規模としては上薄葉に次いで二番目に大きな村だ。なおかつ、御山の市に隣接していることもあって、人や物、貨幣のやり取りも実に活発だ。

 そんな村を収めている長家が『何も問題がない』なんてことはあり得ないのだ。

 薄葉郷の八衆の中でも、一番小さな家である百目鬼でさえ、叩けば何かしらは出てくる。

 多分。何かを隠している。

 それに。

 詠は伏せていた目をわずかに上げ、上座にいる高秀へと視線を移す。

 それに応えて高秀は柔らかく笑う。

──そもそも目が全然笑っておらぬよな、この方は。

 しかしそれは己も同じかと自嘲気味に思い直し、手元をそろえ、少し体を起こしつつ応える。

「かたじけのうございます」

 目の前の狸どもはどう突いてやろうかといわんばかりの眼でこちらを見つめている。

 だがもちろんそんなことに怯む詠ではない。

「まずは不肖ながら私がこの場に上がらせていただいたこと、お詫び申し上げます。ご存知の通り、我が弟右近は家督相続後の勉学のため、郷長殿に付き従わせていただいており、父、誠二郎は今現在、村の警備を強固にするため奔走しているところ故ご容赦を」

「まぁ右近は致し方ないとして、この場に説明に来るのは誠二郎の方が適任ではなったのか?」

 忌々しそうに、それこそ目を合わせることもなく告げてくるのは木嶋きじま村の村長であった。

 八衆の中では百目鬼をよく思っていない最たる一人であり、特に詠に対しては辛辣であったりする。

今も言外に忌み人とは席を同じくしたくないと言っているようなものだが、そのあたりを躱す技も詠には備わっている。

「詳しく説明するならば、陣頭で指揮を執っていた者がするべきだと、父より強く促されまして」

 本当は説明なんて必要ないだろう。おそらく各乙名衆の耳にも詳細はすでに入っているはずだ。

「与五郎がその天女の羽化を促したと聞いたが、それは間違いないのか」

「はい。与五郎の腕には天女の『繭』に触れてかぶれた跡がございました。それを追求したところ、本人も認めておりました。しかし、問題はそこではないと思っております」

 おそらく詠が何を懸念しているのか、高秀は気が付いているのだろう。

 柔和な態度はそのままに、それでも眉根を寄せて詠が話すのに任せている。

 ここが郷長と高秀との違いだなと詠は反芻する。

 高秀は詠が何を言わんとしているのかわかっていながら、静観する。郷長であれば自ら率先して答えを口にする。

 ここで『それ』を口にするということは、過去を掘り返し、問題を大事にしてしまうことに他ならないからだ。

 高秀はそう言った面倒ごとに足を突っ込むことはまずない。口にすれば話を主導し、時には矢面に立つことになる。

 とはいえ、棚上げしていていい話ではないため、覚悟を決めて詠はそれを口にする。

「問題は、与五郎がなぜわざわざ天女の『繭』に手を出したか、ということでございます」

 詠の発言に瞬時に空気が張り詰める。

 その言葉の裏に、下薄葉の天女襲撃事件が込められていることに皆が気付いていた。

 二〇年以上前にも中央の貴人に献上するためにと、孵化前の天女の卵を強引に解体している。

 あの時は村全体で結託していた。

 詠はさらに畳みかけるように続ける。

「此度の状況、下薄葉の時と非常に酷似しております」

 さらに突っ込んだ詠の発言に、口火を切ったのは大沢の村長だった。

「つまりなにか? お前は与五郎の裏には誰かいて、またあの時の悲劇を繰り返そうとしている、そう言いたいのか?」

 かなり感情的に、しかも強い口調で詰め寄るのは、与五郎が己の村の出だということが大きいだろう。

 単純に考えれば、与五郎の住まう村が疑われる。

 だが、そんな短慮な推理は無意味だ。

 そんな危険な賭けに出るほど大沢村は困窮を極めていないし、何よりあの惨状を見た者が何人も生き残っている。そんな愚行に走れば全力で止めにかかるはずだ。

 今回の件に関わっているのはもっと違う、ほかの何かだ。

 裏で与五郎を唆し、愚行に走らせた者がいる。そう、下薄葉の時と同じように。

 そしてその者について詠はある程度のあたりはつけていたものの、確証がない。

 その確たる証拠を捜すことは勿論、なぜ今、そんなことを仕掛けてきたのか、与五郎は羽化前の天女を起こして何をしようとしていたのか。もしくはすでに『何か』をしたのか。

 ──それにあの娘のことも、あのままにしておけまい。

 調べなければいけないことは山のようにある。

 早急に考え、動かなければならない。一刻も早く。

 その焦りが出たのだろう。

「そうならないように、事前に動くのが我ら百目鬼のお役目でございます」

 努めて冷静に声を発したつもりだったのに、わずかな苛立ちを大沢の村長は感じ取ったようだった。

 先ほどよりも強めな調子で、それこそ身体も乗り出して詠へと詰め寄る。

「御山の鬼女に詰め寄られたら、やっておらぬものもやったと白状しかねなかろう」

「与五郎は」

「与五郎のことを言っているのではないわ! かつてお前は下薄葉の村長を断罪した! 皆がお前の言葉を信じ、即日六郎は放逐された」

 ああ本当にこのお方は己の保身しか考えておらぬ。

 おそらくかつての下薄葉の村長と、己とが重なって見えているのだろう。

 己が今回の一件に関わっていないならば、もっと堂々としていればいいものを。

 同じ立場にいるからといって、やってもいない罪を押し付けるようなことはしない。

 とはいえ、八衆の中でも一番の小心者と認識されている大沢の村長には無理な話なのかもしれない。

 あの災禍の際、村長は合議のために現場に訪れて様子を確認したという。次代の者たちは合議に参加することはなくとも、あの場の後処理に努めていたはずだ。しかしその際も、その場の臭いを嗅いだだけで腰を抜かし、それ以上土地に足を踏み入れることはなかったと聞く。

「今回もまた、お前の意見でどうなるやわからぬだろうが!」

 そして、弱い犬がよく吠えるのと同じく、大沢の村長も一度感情に火が付くと手が付けられない。

 それは詠もよくわかっていたので、伏せたまま大沢の村長が言うままにさせていた。

 しかし、それに対して大沢の村長はますます語気を荒げていく。

「お前は厄災の娘じゃ。母を殺して生まれ、一つの村を滅ぼし、挙句己の夫まで死に追いやる。お前は数多の命を喰らいつくして生きている。まさに鬼じゃ。わしは鬼に喰らわれるなど耐えられん!」

 ひたすらに耐えて、身動き一つしていなかった詠がほんの僅か反応する。

 それはただ一言、絶対に詠の前で口にしてはいけない言葉。

 八衆の皆がそのことに気が付き、さっと身構える。

 禁忌を口にしたことを気が付いていないのは大沢の村長のみだった。

「三郎、それはいかん」

 当初大沢と同じように詠を責め立てていた木嶋が慌てて止めるもののもう遅かった。

「何とか言わんか! 御山の鬼女よ」

 しかし木嶋の村長の手を振り払い、さらに詠へと詰め寄る。

 ──ああ、本当に。

 嫌々ながら顔を上げた詠の視線を受けて、乙名衆の者たちは息を詰める。

 ──本当に、煩わしい。

 先ほどまでの柔和な態度は完全になりを潜め、表情さえもなくなっていた。

 醸し出す雰囲気は天女を相手に指揮を執っているときと全く同じもの。

 面を上げた詠の雰囲気が先ほどまでとがらりと変わっていることに大沢の村長も気が付き、一瞬怯む。

 その表情を目の当たりにして、蔑むように詠は笑った。

「鬼を恐れて思うままになってくれるなら、こちらもこんな苦労をせずに済みますものを」

「この──」

 かっとなった大沢の村長が立ち上がり、詠へと手をかけようと二、三歩近づいた時だった。

 締め切られた戸が開け放たれ、乙名衆らは一斉に詠の真後ろに目を向ける。

「佐平次……」

 大沢の村長はそうつぶやくと、ばつの悪そうな顔をして振り上げた手を慌てて下した。

 そこに現れたのは年貢の交渉で市へと出ていた薄葉郷の郷長、薄葉佐平次であった。

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