裁定 壱

「とりあえず三人に絞ったぞ、詠」

 きっちりと四半刻のち。

 琥珀が連れてきたのはいずれも二〇を超えた普通の男たちだった。

 村人たちはこそこそと背後で予想を立てている。

 三人が三人とも緊張した面持ちをしており、詠の冷たい視線にさらされる。

 詠はというと一人一人、じっくりと眺める。そのさまはまるで餌をえり好みしている天女にも似ているように思えた。

 緊迫感の足りない雰囲気を漂わせているのは琥珀のみ。

「その三人の中に間違いなくいると言い切れるのか?」

 村人の横やりに詠は答えない。

 代わりに琥珀がもっともらしく答えた。

「ここ数日の間に外部から戻ってきたやつに絞って、それから今日の天女の動きを見て、天女の行動に合致する男を選んだらこの三人が残った」

「それだけか!?」

「あと挙動が不審」

「鬼の主観で言われるなど、納得がいかん! お前のような下賤な者の言うことなど信じられるか!」

 やり玉に挙げられていた三人が口々に琥珀を罵ってきた。

 しかし罵られることに慣れている琥珀にとっては何ら効かないらしい。困ったなぁといいながら、全然困っている様子も見せずに、それどころか面白そうな顔をして小首を傾げた。

 まさにその時。

 詠が真ん中にいた男の胸ぐらをつかみ、引きずり倒した。

 いくら琥珀に気がそがれていたとはいえ、女に引きずり倒されるとは思わなかったのだろう。驚いた顔をして見上げたものの、すぐさま詠は男の背中を踏みつけて身動き取れない状態にする。

「何をする!」

 倒されたのは行商を営む大沢村の男、峰沢家の与五郎だった。年老いた母と二人で暮らしていたはずだった。

 山を越えて、隣の国から戻ってきたのが日が暮れる直前。

 自分の村へと戻るのは断念し、一晩知り合いのところで泊めてもらっていたはずだ。

「お前、天女の領域に足を踏み入れたな?」

 確信をもって糾弾する詠に対して、男はしきりに首を振る。

「何の根拠があって」

 詠は男の背を踏みつけたまま、右手の袖をまくりあげた。

 男の右腕は真っ赤な斑点が散らばっている。

「なんと」

「愚かな」

 それを見た年配の者、百目鬼の配下の者たちは落胆とあきらめの声を上げる。

「これは、行商の帰り道、山にあった漆にかぶれただけだ」

 男は猛烈な勢いで否定する。しかし否定してもしきれないだけの証拠が残っていた。

 詠は無知な子どもを見るかのように、男を見下ろす。

「山を行き来しているというのにお前は何も知らないのだな。──天女はその人生において数度、長い冬眠を行う。その時天女を覆う分泌物に触れるとこんなふうにかぶれるのじゃ」

 男の腕はかすかにところどころ腫れている程度だが、これは徐々にかゆみを増し、そのうち毒を吐きだすかのように爛れてくる。詠は男の腕からかすかに発せられる甘い臭いをかぎ分けた。

「しかもお前、天女を起こしたな?」

 その時の恐怖を思い出したのか、暴れる男の動きが止まる。

「天女は成体になって初めて見た男を必ず喰らう。あれはお前を喰らうまでお前を追い続ける」

 滋養のために。ひいては自分に子孫を与えてくれる存在がどんな個体なのか、記憶するために。

 囁く詠の様子に恐れをなしたか、男は声にならぬ声で暴れた。そんな与五郎を詠に代わって琥珀が拘束する。

「詠様……、その男、いかがなさいまする」

 村の女たちの問いに、詠はほんのわずかだけ琥珀に視線を投げる。その動作に琥珀は今度こそ本当に困ったような表情を浮かべた。

 詠が何を考え、次に何を言うのか、琥珀はその一瞬で理解してしまったようだ。

「即刻の追放。──境界までは琥珀をつけよう」

 確実に村から追い出すつもりであることを言外に示していた。この郷に力で琥珀に敵う者はいない。

「だがしかし与五郎のところは母一人子一人。息子が追放となれば母親は生活していけませぬ」

 おそらく与五郎の幼馴染であろう。

 震えながらもなんとか与五郎を助けようとして、果敢に詠に反論する。

 しかし異を唱えるのはほんの数名であった。

 ここは百目鬼が支配する倭文しとり村。

 天女の被害を最も受け、そして郷に入り込む天女を防ぐのがお役目と心得ている者たちが大半だ。

 この詠の決断が仕方がないことだとほとんどの者が理解していた。

「たかは大沢にて面倒を見てもらうとする。──今、我が父が人を向かわせておる。大沢の村長も朝にはこちらにみえるであろう。私がきちんと申し伝えようぞ」

 いよいよ己の命が危ういと実感がわいてきたのか、与五郎はますます顔を青くする。

「い、いまさら母者を一人になどできるものか! それに行商はなんとする! 村が我らの糧を当てにしていることは事実であろうが! この不作続きにおいて、我らの力は必要不可欠のはず」

 勢いづいて己を弁護し始めた与五郎を詠は冷たい視線で見つめた。

 この詠の視線は実に強力だ。古参の村長たちさえも黙らせる。まだ二〇歳そこそこの若造が敵う相手ではない。

 男が黙り込むのを待って詠はついとに西側の方へと視線を向けて、ゆるりと口を開いた。

「──かつて、あの土地が下薄葉しもうすば村と呼ばれていたことを知る者は?」

 下薄葉との言葉に緊張が走る。

 下薄葉村がかつてどんな村であったか記憶に残している年寄も、そして伝聞でしか聞いたことのない若衆らも、その言葉がどんな意味を成しているか、解っていた。

 詠が見つめ、指さす先は、人通りもまばらな荒れ地が広がっていく。

 かつて人の往来で踏み固められた道は雑草に阻まれ、人々が暮らした家は半壊し、緑にのみ込まれているか、朽ちてその姿を無残にさらしているかのどちらかだった。

 薄葉郷の中でも、郷長のいる上薄葉かみうすばについで栄華を誇っていた下薄葉は今やもうない。

 かの地は、その土地に住む人間を一晩で失った。

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