天女強襲 弐
真っ直ぐに射抜くような視線を向ける詠とは対照的に、異形の者は忙しなく辺りに視線を向けていた。
体を丸め、手をだらりと下げ、かいがねからは何かが突き出し始めていた。
口元は裂け、滴り落ちる涎は狂気故か、目の前の旨そうな『餌』故か、判断つきかねる。
目の前にいたのは郷の者たちが『天女』と呼び、常に恐れの対象としていた存在。
御山の奥深くを寝床とし、普段ならばそうめったに人の前に姿を現すことはない。
彼女らがやっかいなのは、その種の繁栄を一番に考えているということだった。
己の血を残し、増やすことが彼女らの生きる意味であり、最優先事項であった。
そのためには手段を厭わない。
彼女らは見目麗しい女へと擬態し、子種をくれる男を惑わす。
それだけならばまだしも、問題は滋養として人を喰らうという点だった。
見た目は人と変わらない、むしろ儚げな女といった風情であるが、擬態した状態であっても彼女らは人の何倍もの力を持ち、素手で人を引き裂き、貪り喰う。
腹で卵を育むために、孵化を促すために、蛹となり羽化にはいるために。
そのために美しい女としての擬態は理にかなっていたのだろう。
だがなぜか今目の前にいる天女は擬態を解いている。通常天女が本来の姿をさらすことはない。せいぜい蛹化し成体になった時くらいだ。
擬態を解けば理性のたがが外れ、本能のままに『餌』をむさぼりつくしかねない。
なにがどうしてこうなったのか。
詠の登場に、最前線で防御に当たっていた男どもが少々安堵の表情を浮かべた。
しかし気を抜くなといわんばかりに詠は一睨みする。
「西方のふもとに続く道から単体で襲撃。確認した時にはすでに変化は解けていた」
続けて耳元で囁く琥珀の報告に詠は眉を寄せた。
「繁殖期の天女か?」
「俺の記憶している限りでは、繁殖期に入っている天女はいない」
「お前が知らぬだけでは?」
詠の言葉に琥珀は鼻で笑った。
「俺が?」
そんなことあるわけないだろう?
琥珀の笑いに御山を監視するものとしての自負が走る。
「香をしかけたときに確認したが、羽も薄く、骨格もまだ柔らかい。察するに成体になって間もない。──というより、成体としてはまだ不完全」
「蛹化していた固体は」
「加倉寄りで一体、明神内で二体。成体になるのが一番早いのは加倉の個体だ」
「
「そんなことになったら坊の山伏らが黙っていないだろうし、何よりあの生臭坊主が動かないはずがない」
それもそうかと思い直し、再度目の前の天女を観察する。
いずれにせよ、この状態ではもう手のつけようがない。
擬態を解くということは、正常な判断が利かないということだ。
特に成体になったばかりの天女は、今までの眠りの反動と言わんばかりにすさまじい食欲を示す。これだけ捕食の対象が目の前に転がっていれば、本能が刺激されることは間違いない。
「香を焚いてどのくらい経つ」
「半刻」
「それにしては効果が薄い」
圧倒的な力を示す天女に対抗する唯一の手だてが『うたて』と呼ばれる香。
人の鼻には伽羅に似た匂いでしかないそれは、天女に唯一効く『毒』だった。
通常ならば香の匂いに恐れをなし、ひるむものだがその気配もない。実質的な効果が表れるのもそれほど時間はかからない。
本来ならばすでに痺れて地に臥してもおかしくない頃合いだ。
だが、動いている。
それくらい、目の前の天女は我を忘れ、飢餓を訴えているということ。
それとも。『うたて』だけでなく、何か他のものも仕込まれているのか。
ここまでたがが外れてしまった天女など、今までで一度しかお目にかかったことはない。
一瞬にして詠の脳裏に昔の惨劇がよみがえる。
時々こうして甦る昔の記憶は強烈な頭の痛みとともに訪れてくる。
あの時のような惨劇は二度と繰り返させない。
詠はほんのひと時だけ目を伏せ、ゆっくりと顔をあげた。
「三人一組となり、半円型で待機。急ぎ追加で香を焚け!」
必要最低限の指示ながら、百目鬼の配下の者が即座に反応した。
女たちは慌てて手持ちの香をたき始め、松明を持った男たちは先頭にたち、その隣で武器を手にした男たちが天女を威嚇する。
「陣形を保ったまま、四半刻耐えよ!」
その声に一部の者が動揺する。
「まさか我らを犠牲にしようというのか?」
陣を保っていた男どもの一人が率直に感じたことを口にした。
動揺したのはいずれも百目鬼の者ではない、他村の若衆であった。
その言葉に詠は冷たい視線を投げかける。
詠のことをよく知っている百目鬼の者たちはもちろん、年の経た村人たちも、そのような口をきく男どもに愚か者を見るような眼を向けた。
その視線の鋭さに、男たちは一瞬息をのんだ。目の前の天女もさることながら、たった一睨みで大の男を黙らせる詠の迫力は並ではなかった。
「犠牲にするは、掟を破った者だけぞ」
意味深な言葉をつぶやき、そのまま詠はみなに聞こえるように告げる。
「四半刻でいい。持たせろ。その間にそれを払う手立てを講じる」
「で? 俺は何を?」
詠の隣に音もなく立ち、琥珀は囁いた。
「これの原因を作った男を探せ」
「男限定?」
「あの状況。ただ腹をすかせているだけではなかろう?」
「あー。確かになぁ。成体になると同時に生殖期に入っているよな。あの声」
甲高い、鳥の鳴き声とも、女の歓喜の声とも聞こえるそれは、天女が生殖期に入ったときに発する独特の声だった。
「時間は」
「郷の者がこと切れる前まで」
つまり、四半刻よりも短く、早急にということとなる。
「それはきついよ、詠」
「あの天女は誘われて郷内まで下りてきた。ならばその元も近くにいるはずだ。あちこちを回る必要はなかろう? めぼしい奴らは全部連れてこい。後は私が裁定する」
そのあたり、詠も譲る気はないらしいと理解して、琥珀は大きく溜息をついた。
「本当、無茶を言う」
「できぬのか?」
まさか。この俺が?
そう笑顔で返して、恭しく頭を垂れた。
「承知した、我が主」
そういうと、詠と琥珀はそれぞれに背を向けて己のするべき職務へと向かった。
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