1.2

第5話 その師匠はだらしない

 翌朝。


 学校指定の半袖シャツに薄手の紺のスカートとセーターを着た紅華は、リビングダイニングに併設されたキッチンで朝食や弁当の準備をしていた。


「さて、と」


 お弁当におかずなどを詰め終えると、紅華はリビングのソファーへと向かう。ソファーには白髪の妙齢の女性が寝ていた。


 艶やかな褐色の肌に、端正な顔立ち、豊かなプロポーション。すれ違う人全員が振り返るほどの美人だ。


 が、よれたTシャツを着て空の酒瓶を抱きかかえて寝ている姿はとてもだらしない。しかも、鼻提灯を浮かべて、大きないびきもかいている。


 そんなだらしがない女性の名は夏目司乃しの。紅華の魔女の師匠であり、時彦が住んでいるアパートの大家でもある。


 紅華は困った人を見るかのように眉を八の字にしながら、司乃の体を揺する。


「ぐ~~が~~ぐ~~が~~」

「師匠、起きてください」

「ぐ~~が~~」


 一向に起きる気配のない司乃に紅華は溜息を吐き、おでこにデコピンをした。司乃が浮かべていた鼻提灯がパチンと割れる。


「ふがっ!?」

「師匠、起きてください!」

った!」


 紅華が二度目のデコピンを放ち、いびきをつまらせた司乃がソファーからガバッと飛び起きた。そしておでこを抑え、ワインレッドのたれ目で紅華を睨む。


「紅華ちゃん、何するんだよ! 私、師匠だよ!」

「出張という名の旅行ばっかりして、魔法もほとんど教えてくれない師匠に払う敬意などありません」

「うぐっ」


 司乃に冷徹な目を向けた紅華はキッチンに戻り、白米や味噌汁、焼き魚などをダイニングテーブルに運び並べていく。


「もう朝ごはんになりますから、さっさと顔を洗って着替えてください」

「……分かったよ」


 項垂れたように返事をした司乃は、ゆらりゆらりと立ち上がりキッチンの横を通って廊下へと向かった。


 紅華は溜息を吐く。視線はリビングのソファーの前のローテーブルに向いており、そこには空の酒瓶やビール缶、またツマミとして食べたであろうスナック菓子のゴミが散らかっていた。


 もう一度溜息を吐いた紅華はダイニングテーブルに箸やコップ、麦茶などを並べていく。


 その時、キッチンから見て左手にあるくれ縁から、翡翠のかんむりを被ったアマガエルを頭の上に乗せた黒猫が現れた。


 紅華は彼らに気が付き、声をかける。


「おかえりなさい、スヴァリアさん。サカエルさん」

「みゃ~」

「ゲコ」


 黒猫のスヴァリアと、アマガエルのサカエルが紅華に返事をする。二匹は動物型の妖精であり、スヴァリアは紅華の、サカエルは司乃の使い魔である。


 紅華はスヴァリアとサカエルに尋ねる。


「今朝のお散歩はどうでしたか?」

「みゃ~みゃ。うみゃ」

「ゲコっ」

「あ、やっぱり、昨日の影響がありましたか。二丁目は特に被害があったようですね。後で協会に報告しておきましょう」


 司乃が洗面所から戻り、スヴァリアとサカエルに気が付いて軽く手を上げる。


「あ、すっちゃんにさっちゃん。おはよ~」

「みゃ~」

「ゲコ~」


 スヴァリアとサカエルが間延びした声で「おはよ」と言い返す。


 それにニコリと笑った司乃はダイニングチェアに座る。目の前の朝食によだれを垂らしてお腹をぐーと鳴らし、朝食に手をつけようとする。が、紅華が冷たい目を司乃に向けた。


「師匠。朝食の前にリビングのゴミを片付けてください」

「え~」

「片付けてください」

「……分かったよ」


 凍えるような紅華の声音に司乃はがっくしと肩を落とし、人差し指をクルリと振るう。すると酒瓶やビール缶、お菓子のゴミなどが浮き上がり、自らキッチンのゴミ袋へと入っていく。


 魔法で片づけを横着し、司乃は席に着いた。紅華も席に着き、サヴァリアやサカエルもダイニングテーブルに座った。


 そして紅華たちは手を合わせる。


「「いただきます」」

「うみゃみゃみゃ」

「ゲェッコ」


 食事の挨拶をして、二人と二匹は朝食を食べ始める。


 ちなみにサヴァリアは焼き魚一尾と卵焼き、サカエルは小さく刻んだナッツが朝食だ。二匹とも猫やカエルの姿をしているが妖精なので、生態が違うのだ。つまり、食生活も違う。


 ズズッと味噌汁を飲んでいた司乃がふと、紅華を見やる。


「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」

「何でしょうか?」

「昨日」


 焼き魚の身を口に運んでいた紅華が眉をピクリと動かす。司乃はそれに気が付いたような様子を見せながら、静かに尋ねる。


「昨日、本当に紅華ちゃん以外、誰もあそこにはいなかったんだよね?」

「私以外の魔女・・はいませんでしたよ」

「ふぅん」


 司乃は目を細める。先ほどのだらしない雰囲気はそこにはなく、紅華はこれ以上追及されると面倒と考え、話を変える。


「それより今夜、夕食に人を招きたいと考えているのですが、大丈夫でしょうか?」

「人? もしかして、友達っ?」


 司乃が浮足立ったように紅華に尋ねる。紅華が首を横に振った。


「いえ、友達ではありません」

「……だよね。紅華ちゃんに友達いないもんね」


 カックリと肩を落とす司乃に、紅華がイラッとした表情を浮かべる。司乃がそれに気が付く。


「何か言いたげだね。でも、実際のところいるの?」

「…………」


 紅華は黙り込む。司乃は「だよね」と頷く。


「どうせ、学校で猫被ってるんだろうけど、そんなんじゃ友達できないよ。連絡くらい交換している人はいるの?」

「ッ。し、師匠には関係ないじゃないですか!」

「いや、私、紅華ちゃんの師匠だし。まぁ、さ。昔のことで人付き合いが苦手になっているのは知ってるよ。それなりに、付かず離れず関係を築くのも必要だよ」


 けど、と司乃はクドクドと母親が子を心配するかのよに小言を言い始める。


水葡みずほちゃんや私がいなくなったらどうするのさ? ずっと一緒にいるわけじゃないんだよ? 悩みや愚痴だって聞けないし、楽しさや嬉しさを共有できるわけじゃないんだよ? 大体、毎日魔導具ばかり弄ってて外に出ることも少ないし、少しは――」

「……能天気酒カス師匠がうるさいです。大体、姉さんでもない他人が口を出さないでください」


 小さい頃からお世話になっているとはいえ、流石の紅華も司乃の言葉に苛立ったのか、ひどく低い声で司乃の言葉を遮った。


 ひゅるり。二人の間なんとも言えない緊張感のある沈黙が訪れる。すると、司乃が微笑ましい子供を見るかのように頬を緩ませた。


「水葡ちゃんに会えなくてそんなに寂しいんだ」

「姉さんに余計な事言わないでください!」

「言わないよ。そりゃあ、妹が寂しくて癇癪起こしてるなんて知ったら、異世界から飛んで帰ってくるだろうし」

「ッ」


 司乃はニヤニヤと笑った。紅華は顔を真っ赤にして席を立つ。キッチンの流し台にお皿などを運んだ後、司乃に吐き捨てるように言う。


「兎も角、今夜、人を招くのでキチンとした恰好で出てきてください! それと洗い物もお願いします!」

 

 紅華はくれ縁の反対側、リビングに隣接された自室に入ろうとして、足を止めた。それから小さく振り返り。


「……その、さっきは言い過ぎました。ごめんなさい」

「ん」


 司乃はポショポショと謝った紅華に優しく目を細めた。それから、雰囲気を変えて尋ねた。


「でも、結局友達じゃなければ誰が家にくるのさ?」

「師匠も知っている人です」


 紅華は自室に入り、すぐに学生鞄を肩にかけて出てくる。キッチンカウンターに置いた弁当と水筒を学生鞄に入れる。


 そして司乃やスヴァリアたちをチラリと見て。


「それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい~」

「うみゃ~」

「ゲコ」


 早足で家を出ていった紅華に、司乃たちは肩をすくめたのだった。



 Φ



 放課後。


 紅華は時彦の家の前にいた。少し落ち着きのない様子の紅華は前髪を少しだけ弄った後、深呼吸をする。恐る恐るインターホンに手を伸ばし、ボタンを押した。


 十秒近く待つ。


 しかし、反応はない。紅華は玄関の前で溜息を吐いた。


「……はぁ」

 

 もう一度インターホンを押すがやはり反応がない。紅華は少し怪訝な顔になる。


「……家にいない? しかし、今日は風邪で休みと……」


 今朝、登校してみれば、時彦は休みだった。担任によればどうやら風邪で休みらしい。そして紅華は担任に頼まれ、プリントを届けに来たのだ。もちろん、それ以外の理由もあるが。


 紅華は何度もインターフォンを押すが、やはり反応はない。いよいよおかしいと深刻な表情になった紅華の脳裏に、風邪で倒れている時彦の姿が過ぎる。


 一人暮らしだし、他人を頼らなさそうな性格だ。十分にあり得る。


「ッ」


 息を飲んだ紅華は、制服のスカートのポケットから昨日借りたスペアキーを取り出し、玄関の鍵を開ける。


「天井さんっ!」

 

 急いで靴を脱ぎ、リビングに向かった紅華。


 そして時彦はリビングの角で膝を抱えて倒れていたのだった。






======================================

 読んでくださりありがとうございます!

 続きが気になる、面白そう、と少しでも思いましたらフォローや応援、★をお願いいたします。思わなくともよろしくお願いします。

 特に★は一つでも下さるとモチベーションアップや投稿継続等々につながります。よろしくお願いします。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る