第4話 時彦という少年

「うあ~~~~ん!!!」

 

 突如として起こった暴風雨。


 それを引き起こした純太は、慌てて暴風雨を止めようとした。しかし、暴風雨は止まるどころか逆に悪化したのだ。


 そして悪化した暴風雨を止めようとして、再び悪化する。


 負のスパイラルというべきか。何度止めようとしても、逆に悪化していく暴風雨が恐ろしくなり、純太は大泣きしてしまったのだった。


 嵐に負けないほど大きな泣き声が響き渡る。


「なんで、なんで。ひぐっ。こんなはずじゃ~~! きれいな虹見せたかっただけなのに~~! お兄ちゃん、ごめんなさい~~!! うぇぇぇええ~~ん!!」

「大丈夫。大丈夫だから」


 上空1000 m近く。もう少し高ければ、おどろおどろしい黒い雨雲に触れられるだろう。


 そんな高さで時彦は台風並みの雨風に晒されているのだ。元より悪かった顔色はさらに悪くなっており、唇なんて死人のように白い。


 氷のように体が冷たくなり、アイスピックで打ち砕かれたかのような痛みが全身に走り、呼吸はままならなくなる。肺が熱く、痛い。表情が苦悶に歪みそうになる。


 けれど、時彦は苦しさを一切表情に出さず、優しく慈しむように純太の背中を撫でるのだ。そして内心で、強く自分を責める。


(僕のせいだ! 呪いを甘く見過ぎていた! もう、こんな影響があるなんて!)


 槍のように鋭い雨に打たれながら、時彦は純太を強く抱きしめ、優しく言った。


「ありがとうな、純太」

「うぇ?」

「僕のために、ここまで一人で来たんだろ? とても嬉しかった。ありがとうな。だから、自分を責めなくていい。もっと泣いていいんだぞ」

「……ひぐっ。うぐっ。うーーわぁああ~~ん!!」


 先ほどとは比べ物にならないほど大きな鳴き声が響き渡る。けれど、その泣き声は先ほどとは違い、安堵があった。


 純太はぎゅっと時彦の服を握りしめ、肩に顔を押し付けてギャン泣く。赤子が母親に甘えるように、自分が持っているエネルギーを全て吐き出すかのように、一生懸命に泣いた。


 それに伴って雨風は更に酷くなるが、時彦は頬を緩めて純太の背中をポンポンと撫で続けた。


 そうして数分近く泣き続けた純太は泣き疲れたのか、可愛らしい寝息をたてて眠った。


「ぅ……すぅ……すぅ……」


 同時に酷かった雨風が徐々に弱まり、ついには雨が止んで雨雲がゆっくりと晴れた。天使の梯子が降りる。


 その少し幻想的な光景に時彦は頬を緩める。どうにか大惨事にはならなかったな、と安堵した。


 が、その矢先、時彦たちは落下した。


「あ、まず」


 時彦は純太の特別な力で浮いていた。


 つまるところ純太が寝てしまった今、その力はなくなり、時彦たちは上空1000mから真っ逆さまに落ちるのだ。


 時彦は純太を守るように、自分の体を捻り仰向けになる。もしこのまま落下しても自分が純太のクッションとなるように。


 と、その時、時彦の制服の中で雨風を凌いでいたカヤンが襟元から現れる。落下の風圧に吹き飛ばされないように時彦の髪にしがみつきながら、長い尻尾に掛かっていた翡翠色の小さな指輪を輝かせる。


「きゅう!!」


 すると、優しい翡翠色の光が時彦を包み込み、そして時彦たちの落下速度が水の中にいるかのように遅くなったのだ。


 カヤンの力だ。しかし、カヤンは苦悶の鳴き声を上げる。


「きゅうぅぅ」


 時彦は何かを悟ったのか、口元を緩ませて穏やかな声音でカヤンの名を呼んだ。


「カヤン」

「きゅう?」

「僕の事は見捨ててくれ」

「きゅうっ!?」


 カヤンは驚き、そして怒ったように叫ぶ。


「きゅう! きゅうきゅう!」

「酷な頼みをしているのは分かってる。けどこのままじゃ、地面に落ちる前にお前の魔力マナが尽きて、全員死ぬ。それに、またいつアレ・・が発動するか分からない」


 時彦は優しく純太の頭を撫でた。


「この子を救いたい。いくら魔法抵抗が強い精霊でも、子供だし、お前の魔法も持つだろ?」

「きゅう……」

「それに最悪の場合だ。たぶん、事態を察して魔女の誰かが――」


 そう、時彦が呟いたとき、


「何故、天井さんがいるのですか!?」


 箒に乗った紅華が時彦たちの方へと飛んできた。時彦はカヤンに笑う。


「な?」

「きゅう」

 

 カヤンは呆れたように頷いたのだった。



 Φ


 

 少し時間はさかのぼり、箒に乗って暴風雨の中に飛びだした紅華は歯噛みしていた。


「クッ。これではッ!」


 強い雨のせいで凍えそうになり、吹き荒れる暴風によって箒が何度も吹き飛ばされ、真っすぐ飛ぶことすらままならない。しかも、さらに天候は悪化していく。


「流石に私の力量だと、あの上まではっ!」


 空高くに見える人影にたどり着こうと、紅華がその鋭利な頭脳をフル稼働して方法を模索していたその時、台風並みの猛威を振るっていた雨風が急に弱まり、そして止んだのだ。


「どういう事……いえ、今はあそこに向かうの――」


 紅華は不審に眉をひそめたが、直ぐに思考を切り替えて、はるか上空に見える人影を見上げた。


 そしてその人影が落ちているのに気が付いた。


「――なっ!」

 

 紅華は息を飲み、焦ったように箒をギュっと握りしめる。すれば紅華を乗せた箒は一気に加速して、急上昇する。


 その人影がハッキリと目視できる距離まで近づき、紅華は驚きに叫ぶ。


「何故、天井さんがいるのですか!?」


 急にいなくなった時彦が男の子を抱きながら、落ちていたからだ。しかも、魔力マナらしき翡翠色の光に包まれ、魔法のようにふわふわと落ちていた。


 あまりにも目を疑う光景であり、紅華はさらに加速して時彦たちに近寄って色々問いただそうとして、その前に時彦が叫んだ。


「春風さん! いきなりで悪いがこの子を、純太を頼む!」

「え、ちょっ!?」


 時彦は抱きかかえていた純太を投げるように紅華に渡した。


 突然純太を渡されて、紅華はバランスを一瞬崩すが、慌てて箒を器用に操りどうにか姿勢を安定させる。


 ほっと胸を撫でおろした紅華は、安全を確認せずに子供を渡すという危険行為を行った時彦に睨み、抗議をしようとした。


「天井さんっ! 急に――」


 しかし、紅華は息を飲んでしまった。


「え」


 雨上がりの夕焼けの空。


 オレンジと藍が幻想的に混ざりあい、その果てで夕日がとろりとろりと燃えている。いくつかの星々が輝きを見せ始め、緩やかに消えていく雨雲に茜が淡くかすんだ。


 チラリと下を見れば、斜陽に伸びる影に人工の灯が煌めき、まるで大地にも空が浮かんでいるようだった。


 ひゅるりと冷たく、それでいて柔らかな匂いをはらんだ雨上がりの風が、優しく頬を撫で、耳をくすぐる。


 よく箒に乗って空を飛ぶ紅華でも、言葉を失って感動するほど圧倒的に美しい光景だった。


 だけど、それではない。


 それではないのだ!


「……して」


 黄昏を背に翡翠の光に包まれてふわふわと浮かぶ時彦に向かって、下から雨上がりの風が吹く。


 すれば、自らを孤独の世界へと閉ざしていたその前髪が舞い上がり、ずっと隠されていたそれ・・が姿を見せたのだ。


「どう……して……」


 黄金の瞳。前髪に隠されていた時彦のまなこ


 それはこの世のあらゆる泉よりも澄んでいて、世界で一番美しい宝石も霞んでしまうほど煌めいていた。


 雨上がりの黄昏すら目に入らないほど美しく、心が奪われる。


 なのに、いや、だからこそ、紅華は辛くなる。あまりの辛さに叫びそうになってしまう!


(どうして、そんな目をしているのですか!)


 涙は流れていないのに、泣いていると錯覚してしまうほど、哀しい瞳。孤独に苦しむ瞳。


 紅華は胸がぎゅっと締め付けられ、声がでなくなった。


 そんな紅華の様子を不審がったのか、時彦が心配そうに顔を覗く。


「あの、春風さん? 大丈夫――」

「ッ! あのっ、どうして!?」


 我に返った紅華は、焦ったように時彦に尋ねた。しかし、主語がなかったためか、時彦は違う意味で受け取った。


 肩にいるカヤンを見やる。


「カヤンの力……浮遊の魔法のおかげです。それで純太くんは精霊だったから、魔法が効きづらくて、限界だったんです。けど、切羽詰まってたとはいえ、危ないことをさせてごめんなさい」

「……」


 それではない。聞きたい事はそれではない! どうしてそんな哀しい目をしているのかを聞きたいんです!


 しかし、その叫びは届かない。声がかすれてでてこない。


 時彦はボロボロのミサンガをつけた右手で紅華の手に優しく触れた。


「僕の事は黙っていてください。お願いします」

「えっ」


 時彦の右手についたミサンガが輝く。すると、優しい風が紅華を包み、髪や服の水気を乾かしたのだった。


 紅華は呆然とする。


 と、その時、


「お~い! 紅華ちゃん~~!!」


 遠くから女性の声が聞こえ、紅華はそちらを見た。遠くで箒に乗った女性が見えた。


「あ、師匠」


 その女性が誰か分かり、紅華はポツリと呟いた。そして我に返ったかのように時彦の方を見た。


「ッ!」


 けれど、時彦は既にいなかった。







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