第3話 人が飛ぶわけ……
「まったく……」
水を得た魚の如く玄関へと向かった時彦の背中を一瞥し、紅華は溜息を吐く。それから、ふと、思った。
(それにしても、我ながら意外ですね。ここまで熱く、というよりも苛立ったのは。あの何とも言えない苦笑いがどうにも気に食わなくて……)
紅華も人間だ。苛立つ事はままある。それに人目を引く容姿をしているため、変な人たちに声を掛けられたり、トラブルに巻き込まれやすいため、それは余計である。
しかし、だからこそ、それらを表に出さずにやり過ごしてきた紅華は、感情の制御が得意だと認識していたのだが……
(そういえば、あの苦笑い。どことなく、昔の姉さんがよく浮かべてた苦笑いに似てたんですよね。私の大っ嫌いな……つまり私は天井さんに姉さんを重ねて苛立った?)
紅華はゴミが散らかっている以外、何もないリビングダイニングを見渡す。
(それにリビングに家具が一つもないのも気になるんですよね。一応、まだ見ていない自室で主に生活していると思うのですが。あとカップ麺はともかく、ケーキを自作しているようですし、そこらへんのちぐはぐさも気になるといいますか)
紅華は一つ一つ自分が熱くなった理由をひも解いていく。
(要するに、姉さんとの既視感による苛立ちとちぐはぐな感じへの好奇心。純粋な心配も大きいですね。
紅華が冷静に自己分析をしていた時、紅華のスマホの着信音が鳴った。
紅華はジャージーのポケットからスマホを取り出し、画面を見て「ようやくですか」と呟き、通話ボタンを押す。
「もしもし、師匠。やはり、今朝の実験のせいで、防犯結界――」
『紅華ちゃん! それどころじゃないの!』
「……何かあったんですか?」
スマホから聞こえてくる焦る若い女性の声に紅華が眉をひそめた。
『純太くんが、託児所から脱走しちゃったんだよ!』
「……誰ですか、その子」
『
「
驚いた声を上げた紅華は、直ぐに冷静を取り戻し電話相手の師匠に尋ねる。
「でも、師匠、人探し系の魔法使えましたよね?」
『今、その早水さんと一緒に梅雨の雨乞いの儀式中なの! 託児所の方も手を尽くしてるけど、他の精霊の子に不安が伝染しちゃったみたいで、手が離せなくて! それで知り合いに片っ端から連絡してる!』
「なるほど、分かりました。私も今すぐ捜索に向かいます」
『お願い! さっちゃんとすっちゃんも捜索に向かってるから。純太くんの写真、送るから頼んだよ!』
「分かりました」
電話を切った紅華は送られてきた写真を確認し、スマホをポケットにしまった。
「それにしても、天井さん。遅いですね」
ここを出る前に天井さんに挨拶したいのですが……と、考え、紅華は廊下から玄関を覗く。
「あれ、いない?」
玄関に時彦の姿がなかった。紅華は首を傾げ、玄関へと向かい、ドアスコープで外を覗くが、時彦は見当たらず。
紅華は不審に思い、ゆっくりと玄関のドアを開いて時彦の姿を確認するが、やはりおらず。
「え、何故?」
急に時彦が消えて紅華は呆然とするが、先ほどの電話を思い出し、首を横に振る。
「仕方ありません。書き置きを残して、行きますか」
リビングに戻り、紅華は学生鞄からルーズリーフを取り出して、シャワーを貸してもらった礼などを書く。また、洗面所に向かい、だいぶ乾いた制服に着替える。
書き置きを玄関の前に置いた紅華は靴を履き、玄関カウンタに掛かっていたフックからスペアキーとビニール傘を手に取る。
「明日の朝には必ず返します」
そう呟き、紅華は玄関ドアを開けて外に出る。スペアキーで鍵を掛け、アパートの外へ出ようとした。
その時、雨が一瞬止んだ。不自然なほどに雨雲が消え、晴天が見えた。
「え?」
その不自然さに紅華が困惑した次の瞬間、突然嵐と錯覚するほどの豪雨が訪れた。暴風も吹き荒れる。
「きゃっ!」
紅華が風で翻りそうになったスカートを慌てて抑えようとして、スマホの通話の着信音が再び響いた。画面を見れば、師匠からの電話だった。
「今度は何の用――」
『紅華ちゃん、今どこにいる!?』
「どこって……家の近くですけど」
先ほど以上に切羽詰まった師匠の声音に紅華は戸惑いながら答えた。すると、師匠が大きく叫んだ。
『なら、上! 上に純太くんがいるの! そっち、急に雨が強くなったでしょ!』
「ええ、まぁ」
『その中心に純太くんがいるの! 純太くんのお母さんが強い
「ッ!」
紅華はバッと空を見上げた。2.0ある紅華の視力でも遠くてはっきりと見えなかったが、確かに黒々とした雨雲の中心に人影のようなものが見て取れた。
「あれですかっ!」
そう叫んだ紅華は片手を虚空に伸ばす。
すると、次の瞬間、平屋の方から桜色の光につつまれた箒が飛んできて、パシリッと紅華の手に収まる。紅華は箒に跨り、グッと両足に力を入れて地面を強く蹴った。
そして、飛んだ。箒に跨った紅華は宙を浮き、豪雨の中を飛んだのだ。
紅華は現代に生きる魔女だった。
Φ
少し時間は前に戻る。
「ふぅ、助かった」
インターホンが鳴り、玄関に向かっていた時彦が小さく呟く。
すると、制服の襟元から小麦色のネズミが現れた。そのネズミは萌黄色の瞳を持ち、体長は十五センチほどで、体長の倍ある長い尻尾には翡翠色の鉱石で作られた小さな指輪が掛かっていた。
時彦に首をかしげる。
「きゅきゅ?」
「……出るなって言っただろ、カヤン。悪魔の呪いが弱まってきてるし、お前の存在が春風さんにバレたら面倒だろ」
時彦はカヤンと呼んだネズミを制服の中へと押し戻そうとした。が、カヤンはそれに抵抗し、時彦にジト目を向ける。
「きゅ~。きゅううきゅ?」
「……僕だってある程度距離を保ったままにしたかったが、あのまま無視するわけにもいかないだろ。風邪ひくし」
「きゅきゅ」
時彦とカヤンはリビングにいる紅華に聞こえないように、小声でやり取りをした。それから時彦はカヤンに「いいから隠れてろ」と言い、カヤンは仕方なさそうに時彦の襟元に隠れる。
(それにしても、春風さん。学校と雰囲気が違ったな。学校では上手くやっているというか、一歩引いている感じがあったけど、あんなに言ってくるなんて。正直、見なかったことにされるかと思ったんだが)
時彦がそんな事を思っていると、再びインターホンがなる。
「は~い。今出ます!」
慌てて時彦は玄関で靴を履き、玄関ドアのドアノブに手を掛ける。
(それにしても、こんな雨の日に誰だ? リリスからの宅配は来週――)
少し首を傾げながら玄関ドアを開けた時彦は、次の瞬間、玄関の前にいた存在に驚く。
「えっ!?」
「やっぱり、お兄ちゃんだっ!」
玄関の前にはカエルのカッパを着た五歳ほどの男の子いた。その男の子は時彦を見た瞬間、パーッと目を輝かせ、時彦のズボンを引っ張る。
「お兄ちゃん、来て!」
「あ、ちょっ!?」
その小さな体躯に見合わない力で引っ張られ、時彦はたたらを踏みながら家の鍵を掴み、玄関の外へと出た。そのまま、男の子の為すがままにアパートの入り口まで引っ張られた。
そして男の子はカエルのカッパのフードを被り、雨の中に飛び出た。満面の笑みを浮かべて時彦に振り返って、頭を下げる。
「お兄ちゃん! ぼくは純太! こないだはありがとう!」
「この間……ッ!」
男の子、純太の言葉に時彦はハッと思い出す。
(見覚えがあると思ったら、あの時の男の子かっ!)
そう、純太は数週間前、ガラの悪い若者たちに絡まれていた男の子だった。
(それにこの子ッ! 雨の精霊――)
時彦がマズイと思う前に純太は時彦の手をつかんだ。
「ぼく、お兄ちゃんにお礼言いたかった! それと、見せたい物があるんだ!」
「ッ」
時彦の体が純太と一緒に浮き始め、ぐんぐんと雨の中、上昇していく。
時彦は一瞬だけ小さく息を飲み、直ぐに、やらかした、と言わんばかりに口元を苦々しく歪めた。浮くという摩訶不思議な体験をしているのに、それに動揺する様子はなかった。
むしろ、何かが起こることを恐れているような表情をしており、時彦は嬉しそうに笑っている純太に焦ったように叫ぶ。
「じゅ、純太! やめ――」
だが、時彦の叫びは虚しく雨に消え、純太は自分の宝物を見せるかのように片手を空に掲げた。
「お兄ちゃん、虹を見せてあげる!」
「ッ」
純太は元気いっぱいに笑い、藍色の光を天に向かって放つ。それは雨雲を貫いて消し飛ばし、晴天が訪れた。虹が見えた。
しかし、突如として時彦から現れた鮮やかな黄金の光が純太を包み込んだ。次の瞬間、純太の体から黄金と藍色が交じり合った光が立ち昇り、晴天を埋め尽くす。
「え、どうして!?」
そして先ほどのとは比べ物にならないほどの黒々とした恐ろしい雨雲が現れ、台風のごとく暴風雨が吹き荒れた。
「ごめんっ!」
時彦は強く自分を責めるように唇を噛みしめ、純太を抱きしめたのだった。
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