第2話 その少年はだらしない

 ガチャンと玄関の扉が閉まる。


 時彦は玄関カウンターの掛けられたフックに家の鍵を掛けた。スペアキーもそこに掛かっていた。


 靴を脱ぎ、時彦は紅華に振り返って尋ねた。


「シャワー浴びますか? 準備しますけど」

「お借りさせてもらいます。あと、準備は自分でさせてください」


 紅華は迷いなく返答する。


「分かりました。浴室はそこの洗面所から繋がっています。綺麗なタオルや除湿乾燥機などもありますので、勝手に使ってください。着替えはどうしますか?」

「いりません」

「分かりました。では、僕は外に出て待って――」

「ですから、気遣いは不要です。何度同じことを言わせるのですか?」

「……では、リビングにいますので」


 時彦は廊下を抜けて、リビングへと消えた。


 その後姿に溜息を吐いた紅華は脱いだ靴を綺麗に正し、玄関から伸びる廊下のすぐ左手側にある扉を開き、脱衣所も兼ねている洗面所へと移動した。


 時彦が入れないように洗面所の扉の鍵を閉め、紅華は学生鞄を床に置く。一息吐いた。


「ふぅ。さてと」


 紅華は除湿乾燥機やタオルの位置、また念のためにと、部屋の隅々に変なものがないか確認する。


 何もないことを確認し、浴室に入って給湯器を起動する。それから濡れた制服を脱いでいく。

 

「良かった。下着はそこまで濡れてないみたいですね」


 黒の下着姿になった紅華は脱いだ制服をハンガーにかける。また、体操服とジャージ、筆記用具や教科書などを取り出し、雨に濡れた学生鞄を制服と一緒に除湿乾燥機で乾かしていく。


 そして紅華は下着も脱ぎ、浴室で温かなシャワーを浴びる。体の芯まで冷えていた体が徐々に熱を取り戻すのを感じながら、感謝するようにつぶやく。


「それにしても本当に助かりました」


 ずぶ濡れであるから近くのお店で雨宿りするのも難しく、紅華は確実に風邪をひいていただろう。


 もちろん紅華は美少女であり、自衛と警戒が必要だ。


 だから、クラスの男子が同じ提案をしても頷かなかっただろう。それなら風邪をひくことを選んだはずだ。


「けど、天井さんは大丈夫でしょう」


 紅華は数週間前の休日の出来事を思い出す。


 その日、買い物のために街中に出かけていた紅華は、ガラの悪い若者たちに絡まれた小さな男の子とお婆さんを見た。


 ガラの悪い若者たちの怒声を聞いた限りだと、どうやら小さな男の子が服を汚したとかで、その弁償代を要求していたらしい。まぁ、ガラの悪い若者の怒鳴っている内容を聞いた限り、言いがかりであったが。


 ただ、その額が額で、お婆さんは困り果てており、小さな男の子は恐怖で泣いていた。行き交う人々は鎮痛な面持ちをしながらも、遠巻きにその様子を眺めているだけ。


 紅華は急いで仲裁に入ろうとし、しかしそれより早く仲裁に入ったのが時彦だった。クラスでの、覇気がなく屍のような時彦の様子を知っていただけに、紅華は啞然とした。


 時彦は大泣きしている幼い子供を優しくあやし、慌てていたお婆さんを落ち着かせた。そして震えながらも、ガラの悪い若者たちに毅然と抗議したのだ。


 当然、ガラの悪い若者たちは驚き、顔を真っ赤にした。時彦の胸倉を掴みひどく怒鳴り、ついには時彦を殴ろうとしたのだ。


 が、その寸前で、誰かの通報を受けて来た警察官がガラの悪い若者たちを押さえつけ、事態は収まった。ちなみに、警察官が事情聴取しようとした頃には、時彦はいつの間にかその場から立ち去っていた。


 その一部始終を見ていた紅華は、それ以来時彦のことを多少観察するようになっていた。


 紅華は呟く。


「不健康そうな人ですけど信用できるのは確かでしょう。それにそこまで警戒心を抱・・・・・けない・・・というか、直感的に大丈夫というか。まぁ、いざとなればどうにでもできますし……」


 紅華はシャワーを止めて、浴室から出て清潔なバスタオルを手に取る。


 まず長い桜色の髪の水気をある程度吸い取り、首から肩、腕。それから豊かな胸の谷間の水気を丁寧にふき取り、程よく肉が付いた太ももへとバスタオルを移動させる。


 そうして丁寧に水気をふき取った紅華は下着、体操服とジャージの順に着替えていく。ジャージの匂いを嗅ぐ。


「……今日のスポーツ大会のせいで多少臭いますが、我慢しましょう」


 溜息をいた紅華は洗面台の前に立ち、壁にかけてあったドライヤーを手に取りて髪を乾かしていく。


 それが終わり、ふと紅華は洗面台の周りを見渡して気が付いた。


「洗顔料や化粧水、乳液もないですか」


 世の男性は皆、こんな感じなのでしょうか。そう心の中で呟きながら、紅華は溜息を吐く。


「はぁ、諦めますか。というか、我ながら勝手ですね。気を付けなければ」


 紅華はシャワーまで借りておいてそれ以上を求めている自分を少し恥じた。


 使ったバスタオルを丁寧に畳んで洗濯カゴらしき所に入れ、乾いた学生鞄に筆記用具や教科書などを仕舞っていく。


 制服の乾き具合を確認し、紅華は学生鞄を持って洗面所から廊下に出て、リビングダイニングへ移動した。


 そして、1LDKアパートのリビングダイニングにいる時彦に明るい声音を礼を言おうとして。


「天井さん。シャワーを貸してくださり、ありがとうございま――」


 リビングの光景を見て口が止まってしまった。紅華は冷たい、ともすれば軽蔑ともとれるような目を時彦に向けた。


「……はぁ。目も当てられません」

「あ、アハハハ……」


 リビングには、主にカップラーメンと何かの布の切れ端のゴミがひっくり返したように広がっており、時彦はそれをゴミ袋に捨てている最中だった。


 苦笑いした時彦は言い訳じみた事を言う。


「ほ、本当はもっと片付いていたんです。きちんとゴミ袋に入ってて。けど、さっき外に捨てに行こうとして全てひっくり返してしまって」

「はぁ」


 紅華は溜息を吐く。


(両目が隠れるほど髪を無造作に伸ばしているので、身だしなみにだらしない人だとは思っていましたが、生活もだらしない人だとは。というか、このカップメンのゴミの量。ざっと見て、百は超えますか。一応、洗ってあるようですが、よくもまぁ捨てずに……)


 そこまで思って紅華は「あれ?」と首を捻る。お世話になっている大家から世間話程度に聞いた話を思い出す。


(百を超えてる? 確か天井さんは高校入学を機に県外から越してきてここで一人暮らしをしているはず。つまり高校生活が始まって一ヵ月半近く。日数にして四十日以上……ッ!!)


 紅華は何かに気がついたのか、失礼な事と理解しながらもリビングダイニングに併設されている小さなキッチンに入る。


 時彦が慌てて止めるが、既に遅し。


「お、おい。ちょっと――」

「何ですか、これはっ!?」


 キッチンに入ってまず目に入ったのは、積み重なった未開封のカップラーメンの山。それと台所の上に散らかった生クリームやスポンジなどのゴミ。それ以外のゴミは何もない。


 紅華は焦るように冷蔵庫を開け、中身を見た。数切れのケーキとその材料と思しき生クリームとスポンジ、果物だけが冷蔵庫の中を占拠していた。


 それ以外の食べ物はおろか、ドレッシングや調味料の類、飲み物の類すら冷蔵庫の中に入っていなかった。


 紅華は理解した。


 時彦がこっちに越してきてから、カップラーメンとケーキ以外食べていない事に。少なくともゴミの種類や量などを鑑みるにここ数週間はそんなだらしのない食生活を送っていたはずだ。


 紅華はそのだらしなさに呆れと軽蔑を通り越し、強い心配を抱く。なのに、時彦は気まずそうにヘラヘラと苦笑いを浮かべているだけ。


 思わず強い苛立ちを感じ、紅華は怒鳴ってしまう。


「天井さん。何なんですか、この食生活はっ!」

「何と言われれても……」

「カップ麺とケーキだけって、バカなんですか、アナタ!?」

「い、いや。それは……」


 時彦は苦笑いをする。


「一日の必要栄養摂取量と摂取推奨量を知っていますか!?」

「し、知ってい――」

「知っているわけないでしょう! カップ麵を三食食べれば、塩分は摂取推奨量の7.5gを優に超えてますし、他のも同様です! どう考えても栄養が偏っているじゃないですか! 死にますよ! 死にたいんですか!?」

「それは……」


 まくしたてるように怒鳴る紅華に少々面を食らう時彦。


 と、その時、突然インターフォンが鳴り響く。


「あ、僕、出ますので。じゃあ」


 時彦が水を得た魚名の如く立ち上がり、玄関の方へと向かったのだった。






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