魔女と食事をしたら、甘い魔法に堕とされて逃げられなくなっていた。

イノナかノかワズ

1章 

1.1 

第1話 雨の日で始まる事は多い

 バスケットボールが床に叩きつけられる音、靴と床の摩擦音、応援の声が体育館全体に響き渡たる。


 五月の中旬も終わりに入りかけた今日はスポーツ大会。


 そして体育館の二階の細い通路のギャラリーに少年、天井あまい時彦ときひこはいた。


 時彦は闇を纏うような黒髪を持っていた。前髪は目を隠すほど長く無造作に伸ばされ、それはまるで世界のあらゆるすべてを拒絶しているかのようだった。


 童顔ではっきりとした顔立ちも、血色のない肌と不健康な痩せ具合の前には不気味の一言に尽きる。手足は細く華奢で、背丈は平均より少し低い。


 右手首にはボロボロのミサンガ。


 時彦の視線の先は、女子バスケットボールの決勝戦だった。


 対戦しているのは時彦のクラスの女子チームと三年生のクラスの女子チームだ。


 相手の三年生チームにはバスケ部のレギュラー選手が二人もおり、時彦のクラスの女子チームは劣勢だった。十五点の差がついていた。


 しかし、次の瞬間、ひと際大きな黄色い悲鳴と歓声が体育館中に響き渡った。


 りんとした見目麗しい少女が、ダンクシュートを決めたのだ。


「きゃあーー!! 春風さん!!」

「すげっ! 三人抜いてダンクだぜ!!」

「カッコイイ~~!!」

「流石は我らが女神さまだ!!」


 春風はるかぜ紅華こうか


 面長の整った顔立ちに、健康的で透明度のある肌を持つ。キリリとした切れ長の眼に透き通った蒼い瞳で、まつ毛は長く、スッと通った鼻筋に艶やかな薄桃色の唇。


 腰まである艶やかな桜色の髪は黒のヘアゴムでポニーテールにしてある。


 身長はそこらの男子よりも高く、プロポーションも抜群。胸は豊かで、学校指定の体操服の袖や裾から見える四肢は健康的な肉付きをしている。


 その容姿の良さはもちろん、首席入学をするほどの学力に抜群の運動神経、それでいて驕らず謙虚。交遊関係もよい。


 物語の登場人物かと思うほど完璧な紅華は、たった入学して一ヵ月半近くで圧倒的な地位を確立していた。ファンクラブすらあるらしく、女神とすら呼ばれているようだ。


 それほどの人気や知名度があり、実際、体育館にいる生徒の殆どが紅華目当てだったりする。


「まだまだ時間はあります。必ず勝ちましょう!」


 紅華がダンクシュートを決めたとはいえ、まだ十点差以上開いている。しかも、残り時間は三十秒もない。


 それでも紅華は芯のある声音でチームに呼びかけ、他のメンバーがそれに応え、見事な連携のもと、再び追加点をとる。


 試合は更に盛り上がり、観客は熱狂する。


 時彦は頭を押さえながら溜息を吐いた。


「はぁ」


 隣にいた茶髪茶目のイケメン、五十嵐いがらし佳祐けいすけが時彦の顔色を見て首を傾げる。


「なんだ? 体調悪いのか?」

「頭がキンキンする。痛い。めまいもしてきた」


 死にそうな声音で佳祐に返答し、時彦はバスケの試合から視線を外してその場から立ち去ろうとする。佳祐が少し大きな声で尋ねる。


「どこいくんだ!」

「保健室。倒れる前に倒れておく」

「……一人で行けるかっ?」

「大丈夫。お前は椿つばきの応援しててくれ」


 ギャラリーを埋め尽くす生徒たちの間を重い足取りで抜けていく時彦の姿は、まるで歩く屍のようだった。


 普通、そんな屍のような存在が通り過ぎれば否応なしに目につくものなのだが、試合を観戦するのに夢中なのか、それとも別の理由があるのか、生徒たちは時彦に気づくことすらない。


 そして時彦が人込みを抜けて体育館を出ようとしたとき、試合終了のホイッスルと同時に割れんばかりの歓声が響き渡った。


 その喧騒に時彦は思わず足を止め、振り返った。紅華が多くの女子に囲まれていた。チラホラ聞こえてくる言葉から察するに、紅華がスリーポイントシュートを決めて逆転優勝したらしい。


 それを無表情に一瞥した時彦は保健室へと向かったのだった。暗く、哀しい雰囲気が時彦に纏わりついていた。


 そしてその後ろ姿を紅華がチラリと見ていたのだった。



 Φ



 曇天の下。黒のブレザーとズボンの制服を着た時彦は下校していた。


 両目は相変わらず前髪に隠されていて分からないが、どちらにせよ表情が死んでいるのは確かだ。


 長い坂をトボトボと歩いていた時彦は、足を止めて曇り空を見上げた。


 ポツ、ポツポツ、ポツリ、ポツポツリ。


 一面の空を覆う黒い雨雲から雨粒がまばらに落ちてきた。時彦は慌てることなく学生鞄から折り畳み傘を取り出し、傘を差す。


 ちょうどそれと同時に、ポツリポツリだった雨がザァーザァーと土砂降りの雨に変わった。


 斜めに降る雨にズボンが濡れ、少し溜息を吐いた時彦は黒い雲を見上げて呟く。


「明後日までには梅雨入りか。子育ては大変だし、あの様子だと今年も不規則な感じになるだろうな」


 おかしな事を呟いた時彦はそれから何事もなかったかのように前を向き、歩き出した。


 その時、時彦の横を物凄い勢いで女子生徒が走り過ぎた。傘は差しておらず、急の土砂降りに慌てて家に帰ろうとしているのだろう。


 一瞬目に入った桜色の髪に時彦は僅かに足を止めて、「はぁ」となんとなく溜息を吐き、再び歩き出した。


 そして街全体を見下ろせる高台に建てられた綺麗なアパートに着き、時彦は再び桜色の髪を目にした。


(家に入れないのか?)


 アパートの隣の平屋の前で、ずぶ濡れの女子生徒、春風紅華が右往左往していた。


 その平屋は時彦が住んでいるアパートの大家の家であり、紅華はその大家と一緒に暮らしていた。


 高校生が一人暮らししていることもあってか、よく話しかけてくる大家との会話を思い出しながら、時彦は紅華を一瞥した。


 制服はもちろん、美しい長髪もひどく濡れていた。このままでは風邪をひいてしまうだろう。

 

 時彦はアパートの中へと消え、それから一分もしないで再び現れた。その手にはビニール傘とタオルがあった。家から持ってきたのだろう。


 アパートを出て折り畳み傘を差した時彦は、門に開けようと格闘する紅華に近づくと、ビニール傘を開きながら静かに声を掛けた。


「春風さん。これをどうぞ」

「……あなたは確か同じクラスの」

「はい。天井です」


 時彦は少し戸惑っている紅華に開いたビニール傘とタオルを渡す。紅華は申し訳なさそうに頭を下げた。


「ありがとうございます」

「いえ。それと返さなくて結構ですから。じゃあ」


 時彦はアパートに戻ろうとした。その時、紅華が大きくくしゃみをした。


「へっくちゅんっ!」

「……ッ」


 タオルを渡したはいいものの、紅華の長い髪はもちろん、ずぶ濡れの制服の前には焼け石に水だったか。あまり意味がなく、紅華はブルリと寒さに体を震わせた。


 少し逡巡したあと、時彦は紅華に尋ねる。


「トラブルで家に入れないんですか?」

「……まぁ、そんな所です。お世話になってる大家さんも仕事で遅くて」

「そうなんですか……」


 少しだけ警戒する紅華の様子に気が付かず、時彦は考え込む。そして「あ、そうだ」と何か思いついたように呟いてポケットから自分の家の鍵を取り出し、押し付けるように鍵を紅華に渡した。


「僕、用事があって数時間ほど出かけるので、その間、自由に使っててください。そこのアパートの一階で、部屋番号は一〇四です」

「え!?」

「ちょっと汚いですけど、雨宿りはできると思います。シャワーとかタオルとか勝手に使っても構いません。汚しても結構です」

「あの、流石にそれは――」

 

 紅華は驚いた表情をして、断ろうとした。しかし、その前に再び大きなくしゃみをする。


「くちゅんっ!」

「ほら、風邪を引いてしまいますし」

「……分かりました」


 警戒や迷い。色々と思う部分はあるが、雨に濡れた寒さに自分の体が酷く震えていることに変わりはなく、紅華は逡巡するような仕草を見せつつ頷いた。


 時彦はそそくさとその場所から去ろうとする。


「夜遅くまで帰ってこないので。それじゃ」


 が。


「待ってください」

「ッ」


 紅華が時彦の手を掴んだ。驚いたように振り返った時彦に、紅華は詰問するような微笑みを浮かべた。


「用事なんてないんですよね?」

「いや、それは……」

「別に気遣わなくていいです」

「だが……」


 同じクラスの男子の家で雨宿りするだけでもアレなのに、その男子が家にいるのはもっと嫌だろう。


 そう考えた時彦に紅華はキッと真剣な表情を向けた。


「私のせいで天井さんが雨に濡れて風邪を引いたら、それこそ本末転倒です。だったら傘もタオルも返します」

「いや、流石にそれはっ! 大体、僕、男ですよ? あの、そういう警戒とかしたほうが――」

「自分でそのようなことをおっしゃる方を警戒する必要ないでしょう。それに何かあってもアナタ程度なら対処できますので、心配しないでください」


 紅華は時彦を見下ろす。確かに、時彦よりも紅華の方が身長が高いし、華奢で不健康そうな時彦よりも運動も得意な紅華の方が強そうだ。


「しかし……」

「変な遠慮はいりませんので」

「あ、ちょっと」


 そして紅華は未だに渋ってる時彦を強引に押して、アパートへ向かったのだった。







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