第6話 脅しはヒロインの特権

「天井さんっ!」


 黒のパーカーとズボンを来た時彦が膝を抱えてリビングの隅で横たわるその姿に、紅華は息を飲んで駆け寄る。パーカーのフードを脱がし、長い前髪を上げておでこに片手を当てた。


(熱は……ない。じゃあっ!)


 時彦が意識を失っていると考えた紅華は、脳を揺らさないように手を軽く叩き、大声で時彦の名前を呼ぶ。


「天井さん! 意識はありますか!? 私の声が聞こえますか!?」

「……ぅん。なに……」


 時彦が体をよじり、ゆっくりと瞼を開く。反応はできるらしい。紅華は急いで人差し指を時彦に見せる。


「天井さん! この指、見えますか!? 見えるなら掴んでください!」


 焦燥を浮かべた紅華は時彦の意識が明確かどうかを確かめようとした。しかし、瞼を小さく開き黄金の瞳を見せた時彦は、うるさそうに顔をしかめただけだった。


「……ぅうん……うるさいぃい」

「え」


 キョトンとする紅華。それに気が付かず、時彦は頭を抑えながら起き上がり、小さく呟く。


「カヤン……うるさいぃい。僕は寝てるんだぁ~」


 寝ぼけたようにそう言って、時彦は倒れるようにリビングの床に横になる。膝を両手で抱えて「くーくー」と可愛らしい寝息を立てた。


 呆然とする紅華。


「え、どういうことですか? え?」


 熱で倒れていると思ったら、違い。何かの拍子に意識を失ったのかと思ったら、違い。


 ただ、リビングの隅で膝を抱えて寝ていただけ。ベッドにも行かず、タオルケットすら羽織らず寝ていたらしい。


 紅華は酷く混乱した。


 そして気持ちよさそうに寝ている時彦の肩を掴み、大きく揺する。


「天井さん、起きてください! どういう事ですか!?」

「ぅん……うるさいぃ。寝かせてくれよぉ~」

「天井さん、いいから起きてください!」


 小さく唸っていた時彦は叫びながら肩を揺する紅華にしびれを切らしたのか、ガバッと起き上がり、怒鳴る。


「だから、寝たいって言ってるだろ! 静かにしろ――」

「きゃあっ!?」

「うわっ!」


 大声で叫んだ時彦は、しかし、紅華が目の前にいることに気が付き、酷く驚く。バッとその場を飛びのき、壁際へと逃げてパクパクと口を動かす。


 紅華は紅華で、まさか華奢な時彦からあんな強い怒鳴り声が出てくるとは思わず、驚きのあまり腰を抜かす。

 

 それから両者は呆然とした表情で互いに見つめあい、そして同時に叫ぶ。


「な、なんで春風がここにいるんだよ!?」

「きゅ、急に何なんですか!?」


 互いに叫びあった時彦と紅華は、互いの言葉に息を飲み、再び叫ぼうとした。しかし、二人はその寸前でグッとそれを抑える。


 そして時彦と紅華はゆっくりと深呼吸をし、熱くなった頭を冷やす。互いに落ち着いたのを見計らい、時彦がゆっくりと紅華に尋ねる。


「……何故、春風さんが俺の家にいるのですか?」

「ぷ、プリントを届けに来たんです」

「プリント?」

「はい。重要なプリントのため、なるべく早めに渡したいとの事で」


 少し疑わしそうな時彦に、紅華は学生鞄からファイルを取り出し、そこから一枚のプリントを手に取る。


 紅華はそのプリントを時彦に渡しながら、続ける。


「インターフォンを何度鳴らしても天井さんが出てこなかったため、もしや熱で倒れているのではと思い、失礼ながら家に入らせてもらいました」

「……鍵はどうやって」

「昨日、お借りしたスペアキーです」

「……」


 時彦はプリントに視線を落とす。提出期限が近く、保護者が県外にいる時彦は早めに受け取った方がいい書類だった。


 また、紅華が家に入ってきた言い分も理解できる。心配してくれたのだし、そこは感謝すべきだろう。


 そんな事を考えた時彦は紅華を見やった。


「事情は分かりました。わざわざプリントを届けに来てくださりありがとうございます。それと、熱も風邪もありません。心配をおかけして申し訳ありません」


 頭を下げた時彦は帰宅するよう紅華に促そうとする。彼女がここにいる理由は既にないし、自分から言うのが妥当だと思ったからだ。


 しかし、その前に紅華が先手を打つ。


「それよりも、天井さん。昨日借りた傘を返したいので、家に来てくれませんか? 今朝、干したのでちょうど乾いているかと思うんです」

「え」


 戸惑った表情を浮かべる時彦は慌てて首を横に振った。


「い、いいです! 鍵さえ返して貰えれ――」

「よくありません。借りた物を返さないなど、私の矜持が許しません」


 時彦は「じゃあなんで傘持って来なかったんだよ!」と叫びそうになるのをグッと堪えた。


「ともかく、傘を返したいので一緒に家に来てください。風邪はないのですし、大丈夫ですよね?」

「い、いや、それは……」

「さっき、ないと言いましたよね? 今日は仮病だったのですか?」

「うぐっ」


 時彦が言葉をつまらせる。その時、小さく開いていたリビングの窓からカヤンが入って来た。どうやら出かけていたらしい。


 紅華がそれに気が付く。


「カヤンさん……ですよね?」

「きゅう? きゅうきゅう」

 

 カヤンは何故紅華が家にいるのか一瞬首を傾げたが、まぁいいか、と思い、紅華の問いに頷いた。


 紅華はカヤンに尋ねる。


「カヤンさん。天井さんを家に招こうと思っているのですが、どうでしょうか?」

「きゅきゅ?」

「家で傘を干してあるので、それを受け取りに来て欲しいんです。しかし、天井さんは受け取りたくないようで」

「……きゅ」


 少し考え込む様子を見せるカヤン。翡翠の指輪が掛かった尻尾がゆらりゆらゆらりと揺れている。


 時彦はそんなカヤンに断ってくれっと祈るような表情を見せるが、しかしそれは届かなかったらしい。


 カヤンは仁王立ちをして長い尻尾をビシッと時彦に向ける。


「きゅきゅきゅ!」

「は、なんで!?」

「きゅーきゅ!」


 どうやら、カヤン的には時彦は傘を受け取りに行くべきだと考えたらしい。断ってくれると信じていた時彦は愕然とした様子を見せ、逆ギレしたように紅華に言う。


「ぼ、僕は行きません。貸した本人が返さなくていいと言っているのです! 用事は済んだでしょう! さっさと帰ってください」


 時彦は紅華の手を掴み、引っ張って家を追い出そうとした。無理やり手を掴んで引っ張れば、流石に嫌がって帰ってくれるだろうと思ったのだ。


 しかし、


「天井さん、失礼します」

「ッ」


 紅華は時彦の両手首をクロスさせて片手で掴み、壁に押し付けた。身動きが取れない時彦の長い前髪を片手で上げる。


 紅華は真実を見逃さないと言わんばかりに鋭く光らせた蒼穹の眼で、時彦の黄金の瞳を見つめた。


 それからゆっくりと全身を見やった。


(私よりも細い腕。血色がない白い肌。それに、やっぱりその目。辛すぎるほど哀しい、死にたいのに生き藻掻いている目。見ているだけで苦しくなる)


 同じクラスの人というだけなら、知らないふりをした。紅華は積極的に人とかかわる性質たちではない。学校では上手くやっているだけだ。


 だけど、流石に時彦に関しては知らないふりはできなかった。深く関わろうとは思えないけど、無視はできない。少し・・でいいから、何かしたい。少なくとも、雨宿りをさせて貰ったお礼くらいはしたい。


 そんな想いが紅華の中にあった。


 そして今朝、司乃に言われた忠告もあり、自分を変えるきっかけにもなるかもしれないと紅華は考えたのだ。


 だから、紅華は少し・・だけ覚悟を決めた表情をして、時彦に言う。


「いいですか、天井さん。私はまだ・・、昨日の事は誰にも話していません」

「ッ」


 黄金の瞳が紅華を睨むように細められる。紅華はそれをしっかりと理解し、弱みを握って脅すような真似をしている事に罪悪感を感じながらも続ける。


「昨日、天井さんに黙ってくれと頼まれたので言っていません。純太くんにも話さないようにと言ってあります」


 しかし……と紅華は続ける。


「話すかどうかは、私の一存で決まるんですよ? 魔女でもない人間が魔法具のような物を操っている。しかも、純太くんの力を暴走させた疑いさえある」

「ッッ!!」

「言いたいこと、分かりますよね?」

「……」


 時彦は項垂れ、そして頷いた。


「分かった。行きますよ」

「ありがとうございます」


 ズキリと痛む心を押し殺しながら、紅華は微笑んだのだった。






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