第一章 五、賑やかな旅路 2

 「ランドル様!」

 いきなりアリナが、ベッドに腰掛けていたサラの膝に顔を埋めて泣き出した。

 一瞬、サラの顔が引きつる。

 「・・・アっ、アリナ、わっ、・・・俺の話しを聞いてくれ」

 「嫌ですわ。私、嫌です。ランドル様が何と言おうと、貴方に付いて参ります」


 あれだけ言いたい事を言っておいて、アリナの涙を見た途端、しどろもどろになってしまうサラ。

 これも一種の、幼児期に受けた後遺症だろうか?女性が泣くと、反射的に硬直してしまうのである。


 「やはり、姫様の弱点はこれか・・・・」

 こちらは、独り言を呟くモーン。彼の顔が、異様なほどにやけていた。


 「アリナ、この旅は本当に危険なんだ。昨日だって、怖い思いをしただろ?あんな目に遭いたく無かったら、おとなしく家へお帰り」

 サラは、やっとこさ冷静になって、アリナを引き離す。彼女の両肩に手を乗せ、出来る限り誠実さを見せるよう努力した。


 「私、怖くありません」

 「アリナ、君が良くても俺達は困るんだ。———分かるだろ、君を守るのは大変だぜ。俺達の為を思うなら、帰ってくれ」

 うるるっ。今度は声を出さず、ぼろぼろ涙を零すアリナ。じっと、一途な目で見つめてられ、途方に暮れる。


 しかしサラは、心を鬼にしてアリナから手を離した。

 「————邪魔なんだ」


 「ランドル様!」

 「なんと言う、冷たいお言葉!」

 レドルドとモーンが、同時に叫ぶ。

 サラは思わずむっと顔を顰めたが、彼女が何か言うより先に、アリナが口を開いた。


 「・・・いえ、そうではありませんわ」

 二人の抗議に対し、泣きながら首を振るアリナ。

 「ランドル様は私の事を思って、わざとそう言って下さっているのです。私には、ランドル様の優しさが分かります。そう言う所を、アリナはお慕い申し上げております」

 口を噤んで、レドルドとモーンは顔を見合わせた。


 サラは、ほっと溜め息を吐く。これほど惚れられれば、男冥利に尽きるというものだろう。

 アリナは可愛い。さぞかし、いい奥さんになるに違いない。サラが男なら、身分の問題は措いておいて、もしかしたら好きになっていたかもしれない。

 しかし現実は、そうはいかないのである。


 勿論サラは、同性愛者では無い。いくらアリナが可愛くても、彼女の思いを受け入れる訳にはいかないのだ。

 自分が女だとばらせば、解決する事だとも知っている。

 今となっては、それを言い出す事にかなり勇気のいる状態だが・・・・。


 サラは後悔と共に、女であって良かったような、残念でもあったような、不思議な当惑を感じた。


 「————分かりました、帰ります」

 少し沈黙した後、アリナが言った。目の淵の涙を手で拭き、どうにか笑おうとする。その姿は、余りにも健気であった。

 レドルドは、胸を押さえて切なそうな顔になる。


 「・・・・それは、止めた方がいいな」


 突然、降って涌いたように誰かが言った。

 皮肉っぽい響きを帯びた、低い声。その声に、サラは聞き覚えがあった。


 ぱっと戸口に目をやる。そこには、いつの間にかシャークが立っており、口を歪めて笑っていた。

 扉が、全開になっている。なのに、彼が口を開くまで、誰も彼の存在に気が付かなかったのだ。


 「貴様、何者!」

 レドルドが、珍しく最初に動き出した。

 「俺は、シャーク。そこの坊やに頼まれて、用心棒を引き受けたのさ」

 シャークの言葉に、サラは目を見開いた。誰も、そんな事を頼んだ覚えは無い。


 「ランドル様、本当ですか?」

 振り返ったレドルドに向かって、サラは肩を竦めて見せた。

 「・・・・覚えが無い」

 「ランドル様は、そう申されているぞ」


 「参ったなぁ。ほらお前、酔っぱらってたからな。きっと、酒の勢いだったんだろう。けど俺も、それが商売みたいなもんでね。はいそうですか、とは引き下がれねぇ」

 サラは内心焦りながら、あれこれと思い出そうとした。が、やはり店から出た後の記憶は、ぷつっと途切れたまま。

 「確かにランドル様は、昨夜泥酔状態でしたが・・・・」


 「しょうがないだろ、覚えてないんだから。—————それより止めた方がいいとは、どう言う事だ?」

 サラの言葉ににやりと笑って、シャークは図々しくも部屋の中へ入って来た。


 「昨日お前等と一悶着あった奴等は、ここらでも有名なチンピラだ。そいつに、そこのお嬢さんは顔を覚えられた。一人でここに残すのは、ちょっとまずいと思うぜ」

 「それが本当なら、確かに危険だな」

 レドルドも、難しい顔で考え込んむ。


 「そのお嬢さんの身を案じるなら、一緒に行動した方がいい。まあ、俺にゃ関係無いがな。—————決めるのは、お前等だ」

 「さて、どうしたものか・・・。ランドル様、この者の言葉、信用していいのでございますか?」

 ソロソロと近づいて来たモーン、サラに顔を寄せてひそひそ尋ねる。


 一瞬、サラの面に迷いが浮かぶ。彼女は、無言のまましばらく考え込んだ。

 このシャークという男、とことん胡散臭い奴である。何か目的があって自分達に近づくスパイ、と言う事も充分考えられるのだ。


 が、せっかちなサラは、何時までも愚図愚図迷い続けたりはしない。どうにでもなれ、と言う思いでぱっと顔を上に向けた。

 その時にはもう、顔に迷いは微塵も見られなかった。


 「・・・・仕方無い、連れて行こう。人は多いにこした事ないからな、この男も雇おうじゃないか。本当に腕はたつんだろうな?」

 「てめぇ、誰に物を尋ねてんだ。シャークって聞きゃ、誰もがケツ捲くって逃げらぁ」

 モーンが、渋い顔で咳払いした。一国の姫に向かって言う言葉にしては、余りにも下品すぎたのだ。


 しかしサラの方は、別に何とも思っていないよう。にやっと笑って、からかうように言った。

 「それが本当ならいいんだがな・・・・・。あんたのそのむさい陰険顔を見ながら旅するのは、ちょっとばかり憂鬱な気分になるが、まあ我慢してやろうじゃ無いか」


 「けっ、てめぇの口の悪さにゃ、ほとほと呆れるばかりだぜ。そんなんじゃ、女とキスも出来やしねぇ。口汚い言葉ばっかり吐いてるから、臭くてしょうがねぇってな」

 シャークもそう応戦して、下品に馬鹿笑いした。そう言う彼の方も、随分口が悪い。


 「そいつはお互い様だ」

 怒りで顔を真っ赤にしたモーンを手で制し、サラは一緒になってがははっと笑った。

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