第一章 四、 噂のシャーク 3
追ってこられては厄介なので、足早に階段を降りる。
下まで降りきった所で、ふっと視線を感じて前を見ると、帳場の前に既にシャークが来ていて、腕を組んままだらしなく壁に凭れかかっていた。
目が合った途端、シャークは陽気にウィンクした。
「随分、早いじゃないか」
サラは、驚いて彼の方へ急ぐ。
ようやく日が沈んだ時刻なのに、まさか彼が来ていようとは思いもしなかった。
ちょっとそこらをふらついて、適当な頃にまた戻って来ようと考えていたのが・・・。
「ちょいと、暇になってな。呼び出すのも面倒だし、ここで待ってりゃ来るだろうと思ってよ」
にやり、口の端を歪めて笑う。
「取り敢えず、酒場にでも行くか?」
サラが側まで来ると、シャークは目を細めて言った。
――――ふーん、こういう男臭さに女は騙されるのかしら。
シャークを観察しながら、心の中で思った。
「クレイルと言う酒場が、俺のお気に入りでね。結構いい女も沢山来るぜ」
「好きだな・・・・」
一緒に宿屋から出ながら、サラは呆れたように言った。
「ぼっちゃんには、少々刺激的すぎるかもな。気を付けろよ、酒場の女は色物だ」
サラの首に手を回し、引き寄せて耳元で囁く。多分男同士としての自然な仕種なのだろうが、彼女は一瞬かっとして、反射的に彼を突き飛ばしてしまった。
「何だ?」
「――――あっ、いや、俺は男に触られるのは、余り好きじゃないんだ」
びっくり顔になったシャークに、はっとして言う。
男に変装しているのを、つい忘れていた。
「餓鬼のくせに、そう言う所はいっちょ前だな。触られるのは、女の方がいいって事か?」
「そりゃ、男なら当たり前だろ」
取り敢えず、言葉を合わせる。
この男の前で男の振りをするのは、結構面倒かもしれない。
――――かと言って、女だとばれたら、もっと面倒な気がする。
サラは、心の中で溜め息を吐いた。
しかしそこはサラ、いつ何時でも好奇心が先に立つ。シャークの実体を探る方が、この場合一番興味深かった。
「それじゃ、早くクレイルってとこへ行こうぜ」
「変な奴だ、まあいいさ」
シャークは肩を竦めて、酒場へ向かって歩き始めた。
サラにとっては、初めての盛り場だ。色とりどりの看板を掲げる騒がしい通り、酒の臭いをぷんぷんさせて通り過ぎる人達を、別世界の出来事のように眺め回した。
盛り場とは、想像していた以上に賑やかな場所だ。
「お前、こういう場所は初めてか?」
きょろきょろ見回していると、上から苦笑を交えた言葉が降って来た。
顔を上げて、シャークの顔を見る。
やはり、かなりののっぽだ。すらっとしているが、それでいて逞しいので、背の高さとバランスが取れている。
「――――まぁ、な」
「それじゃあ俺が、正しい遊び方って奴を披露してやろう」
忙しい店の呼び込みを無視して、彼が自慢気に胸を張った。
「遊びに、正しいも糞もあるのか?」
モーンが聞いたら飛び上がりそうな、下品な言葉を使うサラ。
「まあ、先ずはクレイルにご案内だ」
賑やかな看板に挟まれた、石作りの古びた酒場に、シャークはサラを促した。
中に入ると、酷く薄暗い。
カウンターしかない狭い酒場で、隅では弦楽器を抱えた唄歌いが、何とも言えない陰気な唄を歌っていた。
「親父、クルトンを二つ」
カウンターの椅子に座って、シャークが酒を注文した。
「座れよ・・・・」
立っていたサラに、顎で椅子を示す。
サラは、何となく居心地の悪さを感じながら、それでもシャークの隣に腰かけた。
「おや、シャークじゃねぇか――――。何だ、何だ?今日は偉い別嬪さんを連れてるじゃねぇか」
カウンターの奥で、陰気な歌にリズムを合わせていたマスターが、シャークに気付いてぴょんと眉毛を上げた。
「冗談きついぜ、親父よく見ろよ。こいつは、男だ」
「男なのか?――――どうりで、いつも連れてる女とは気色が違うと思ったんだ。こいつは、いよいよシャークも年貢の収め時か、なんて勝手に思っちまったんだがな」
流石長年人と接してるだけあって、酒場の親父の目は鋭い。
サラは、ひやひやしながら、二人の遣り取りを聞いていた。
「いやに無口だな、さては盛り場の雰囲気にびびってるんだろ」
いきなり話題を振られて、ぎくっとする。それから、慌てて渋い顔を作った。
「何言ってるんだ、俺はびびってなんかいないぜ」
言い返す彼女の前に、親父が酒を置いた。
コルクほどの硝子のコップ、それに透明な液体が少し入っているだけのものだ。
一応ワインを少し飲んだ事のあるサラは、コップを手に取って繁々と眺めた。
こんなにちょっとで、酔っぱらうものなのだろうか?
「こいつは、中々いい酒なんだぜ。飲み方は簡単、こうやって一気にあおる」
シャークは、そう言うなりぐいっと一気に飲み干した。
「親父、もう一杯」
どんっと、コップの底をテーブルに叩きつけ一言。
サラは、しばらく思案していたが、思い切って彼に習う事にした。
成人した時飲んだワインは、これより少し多かった。多分、大丈夫だろう。
ごくっ、一息に飲み干す。途端、苦くて辛い物が口の中に広がった。
思わず、顔を顰める。
その後、げほげほと激しい咳に襲われた。
「はっははははっ、見ろよこいつの顔。お前、あんまり酒を飲んだ事ないだろ?だったら、最初から言えばいいんだ」
シャークの笑い声が、遠くに聞こえる。
ぼっと火が出るほど顔が熱くなり、視界もぐにゃりと歪んだ。
「これは、何なんだ?」
自分ではそう言っているつもりが、どうも呂律が回っていないようだった。
「坊や、そいつはクルトンっていってな、純度の高い酒なんだよ。普通一般で飲んでる酒より、かなりきつい奴さ」
「馬鹿だな、知ってたら俺だって、もっと優しい酒を頼んでやったのに」
笑いながら言うシャークを見て、本当だろうかと疑った。どう見ても、わざと飲ませたようにしか思えない。
シャークは立て続けに酒を三杯飲んで、親父にコインを渡した。
「リーヌは来てるか?」
椅子から立って、親父に尋ねる。
「さあな、最近見ないな。どっか他の町にでも行って、踊ってるんじゃないか。お前もつくづく罪作りな男だぜ」
「一人の女に縛られるなんざ、まっぴら御免だからな」
「彼女、泣いてたぜ。本気だったんじゃないのか?」
シャークは、苦く笑って肩を竦めた。親父の言葉を軽く受け流し、サラの方へ視線を落とす。
サラは姿勢よく座ったまま、ぼーとしている。しかし話しは聞いているようで、女が泣いたと聞いた所で、片眉がぴくっと動いた。
目が、少しばかり据わっているような気がする。
「おい、行くぜ」
シャークに言われ、サラは立ち上がろうとした。が、途中ですとんと腰が落ちる。
どうした事か、足が全然言う事を聞かないのだ。
―――お酒って、結構厄介だわ。
理性ではちゃんと思考をしているのに、何故か行動が伴わない。
ようやっと立ち上がったのはいいが、ふらりとよろけて倒れそうになった。
すかさず、シャークが手を回して支える。
「ったく、しょうがねぇな、フルコースで言やあ、まだ前菜をちょこっと食べたくらいだぜ。もっと楽しい事があるってのに、これじゃ、どうしようもねぇ」
「煩い!ひっ、一人で歩ける。放せ!」
後ろから抱き止められたまま、サラは激しくもがいた。
「本当か?これでも?」
すっと彼が手の力を緩めると、そのまま前倒れになりそうになった。
「見ろ、歩けねぇじゃねぇか」
溜め息を吐いて、彼はサラの腕を自分の首に回した。片方の手で脇を支える。
「―――親父、またな」
後ろ向きのまま声をかけ、そのまま店を出た。
店を出た途端、サラはばっと顔を上げ、シャークの腕を払い退けた。
しっかりした足どりで三歩前に進み、がばっと彼の方へ振り返る。
それから、人指し指を彼の顔に突きつけた。
いきなりなので、シャークはきょとんとなった。
それに随分機敏な動作だ、もう酔いが覚めたのかとも思う。
サラは、シャークに指を突きつけたまま、聞き取りにくい言葉でこう言った。
「お前は、悪い奴だ。女を泣かすのは、絶対に良くない。だからお前は、悪い奴だ」
やっぱり、酔っているのである。
シャークは、頭を抱えた。
「悪い奴は、俺が倒す!」
一応男言葉だ。酔っていても、それだけは忘れてないらしい。
サラの手が剣に伸びて、慌ててシャークは押さえ込んだ。
こんな場所で、剣なんか振り回されたら困る。ましてやサラは、達人並みの腕なのだ。
酔っていても、人は殺せるかもしれない。
「――――酒乱じゃねぇか」
シャークは呆れながら、ぼそりと口の中で呟いた。
しばらく揉み合っているうちに、やがてサラからくてっと力が抜けた。
「何だ、何だ?」
「どうも三角関係らしいぞ」
「男が女を泣かせて、その女の男が酔っぱらって男を刺しに来たらしい」
「違うだろ、男が女に乗り換えて、恋人だった男が恨みを晴らしに来たんだ」
「綺麗な男だもんなぁ、ああいう奴は男しか好きにならないんだ」
野次馬が集まって、ひそひそ勝手な話しを始めている。
シャークは舌打ちして、サラの体を抱え上げた。人込みを押し分け、一目散にその場から立ち去る。
「元の鞘に収まったんだな」
ちらりと耳に入って来た言葉に、嫌な顔をした。
勝手に話しを作るな、と思ったのだろう。
しばらくして、静かな場所まで辿り着くと、シャークはサラをベンチの上に下ろした。
そこは広場だった。円形の石畳の真ん中に、正方形の池が拵えてある。薄い衣を纏った女神像の周囲から、噴水が勢い良く吹き出していた。
ふと視線を下げると、サラはベンチの上で安らかに眠っている。
「――――なるほど、な」
その綺麗な寝顔を見つめながら、シャークは小さく溜め息を吐いた。
ベンチの傍らに片膝を付いて、そっとサラの顔にかかった髪を払い退けてやる。
「ちょいとからかい過ぎちまったかな、お坊ちゃん」
小さく呟いて、一人苦笑した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます