第一章 四、噂のシャーク 2
・・・・さて、それからしばらくして宿に帰ると、案の定部屋の中は大騒ぎだった。
モーンは髪を掻きむしっているし、レドルドは悲壮な顔で今にも倒れそうだったし、アリナなどは泣き過ぎて目を腫らしていた。
彼女が帰った途端、そのどんよりと沈んだ空気が、歓喜の叫びに取って代わった。
「私は――――、―――で――本当――――ですぞ」
「わ―――――がら、――――――せん」
「――――様、―――アリナは――――した」
「ともかく、こんな――――――せず一言・・・・」
「ほ―――、―――ません」
「ああ、―――に―――った」
「煩い!」
サラは、耳を塞いで怒鳴った。
こう一度に言われたら、何を言っているのか分からない。
かと言って、ゆっくりみんなの言葉を聞く気もないのだが・・・・。
「申し訳ありません。あの後、ランドル様の助太刀に向かったのですが、既に事は終わった後でして・・・・」
「レドルド、お前が何故謝るのか、俺には理解出来ないね。あの場合、あれが一番正しい行動じゃなかったのか?」
「しかし、私は――――」
「俺は、これでも危険な旅をこなして来た、貿易商なんだぜ。いくらなんでも、喧嘩に不慣れな御婦人を巻き込んだりは出来ないさ」
はっとして、レドルドは口を噤んだ。
確かに今は、サラは男であり、長旅を続けている貿易商なのだ。アリナの手前、下手な事は言えない。
「ですがのぉ、ランドル様・・・・・」
「爺、ともかくこの件は、もう終わった事だ」
サラは珍しく厳しい表情で、モーンの言葉も遮った。
あの暴漢達が、自分達をターゲットにしていたのは間違いない。
男二人に女一人。ジェルマから来て、ダンドリアに向かう。それも、メセタの服装をしている連中、とボスらしき男が言っていたではないか。
こんな偶然が、ある筈無い。追手は、ちゃんと来ていたのだ。いや、もしかしたら、ずっと見張っていたのかもしれない。
―――――最初から。
苦い気持ちが広がった。
状況は、思った以上に悪いのではないのだろうか?
今日の出来事は、警告かもしれない。
ダンドリアに向かうのは、簡単な事では無いぞと言う・・・・・・。
「アリナ、君は部屋に戻りたまえ。そんなに目を腫らしてちゃ、騎士殿に嫌われるぜ。俺は無事だったんだから、もう大丈夫だろ?君の可愛い笑顔が見たい奴を、俺は一人知っている・・・・・」
サラは、言葉を改めてアリナに言った。
ちらっと、意味あり気にレドルドに視線を投げる。彼が、ぱっと顔を赤らめた。
それを見ていたアリナは、溜め息を吐いて目を伏せた。そのまま、無言で部屋を出て行く。
ちょっとの間を置いて、隣の部屋が閉まる音が響いた。
「少々、酷ではないですかな?」
「しょうがないじゃ無い、期待を持たせるよりマシでしょ?」
男言葉にも飽きて来たのか、彼等だけになると、サラは普通の喋り方に戻った。
「しかしですな―――」
「モーンが言いたい事も分かるわ、わたくしが悪かった。彼女を騙してしまった事は、本当に後悔しているの。でも、アリナを連れて来た事は間違いだったわ。考え無しだった、いくらお前達に乗せられたからとは言え・・・・・・」
ベッドに腰を下ろし、サラは二人の顔を交互に見た。
「今日わたくし達を襲ったのは、町のごろつき共だったわ。でも、彼等にその指示を出した人間がいる。わたくしの正体を知っていて、おまけに変装してるのさえ承知の人がね。どうやら、こっちの動きまで把握しているようだわ」
「どう言う事でしょう」
「漏れてるのよ。きっと、わたくし達がお父様の手紙を持ってるのを知ってるから、ああやって脅してきたんだわ」
モーンとレドルドは、顔を見合わせる。
「しかし、そう簡単に漏れるでしょうか?」
尋ねたのは、レドルドだった。
不安そうな顔で、じっとサラを見つめる。
「お父様の身近にいる人が、裏切っているのかもしれない。例えば、通行手形を取り寄せた人間。側近である、フランツとか・・・・。彼は、お父様からの信頼も厚いし、わたくし達の事を聞いていてもおかしく無いわ。それから、シーゼル叔父様。叔父様とお父様は、日頃から親密ですもの。疑いたくはないけど、可能性を否定出来ないわね。後、侍女のマルニア。彼女は、わたくしの旅支度をしてくれたのよ」
サラは疑わしい人物を、次々と脳裏に浮かべた。
そう言えば、オーラントに会いに来たという、青マントの男もいた。
遠方からの使者だと言っていたけれど、あれは誰だったんだろう?
部屋の前で擦れ違ったが、顔は見えなかった。目深にフードを被っており、背の高い男だったとしか覚えていない。
もしかして、今度の事と何か関係あるのかも―――――。
「こうなると、誰もが疑わしく思えて来ますな・・・・」
モーンの言葉で、ふっと我に返るサラ。
軽く首を振り、大きく溜め息を吐く。
「そうよ、誰も信用出来ないわ」
サラの瞳に、一瞬陽炎のような物が揺らめいた。
不安を感じたモーンは、ベッドから飛び下りて彼女の前に膝を付いた。膝の上にでしっかり握り締められていた姫の手に、そっと自分の手を重ねる。
「私がおりますぞ。レドルドもおります。だからそのような事を、なにとぞ言わないで貰いたいのです」
「―――馬鹿ね」
サラは、小さく微笑んだ。
「お前達に、お父様を裏切れる勇気があるとは思えないもの。呆れるほど、お父様に忠誠を誓ってるんでしょ?」
「私は、セルミア様に全ての忠誠を捧げて来ました。ですから、王にも忠誠を捧げております。あのお方が、心から愛したお方ですから・・・・。―――――そして、あなた様にも・・・・・。」
「私も、出来る限りの事は致します」
レドルドも、床に膝を付いて伏した。
「馬鹿ね・・・・」
サラは、同じ言葉を繰り返した。
それから、気持ちを吹っ切るように顔を上げ、そっとモーンの手を振りほどいた。
「わたくし達に出来るのは、この手紙をリドア様に渡す事だけ。お父様の力になれる、たった一つの仕事ですもの。大丈夫よ、きっと上手く行くわ。上手く行かせなきゃ」
「―――姫様」
サラは、次にレドルドに視線を落とした。
「お前には悪いけど、アリナとはここでお別れをしなくちゃね。これ以上、危険に巻き込むのは駄目よ。レドルド、お前もそう思うでしょ?」
「・・・はい」
「情け無い男だけど、お前は弱虫じゃない。わたくしは、情け無い男が悪いとも思ってないし、嫌いって訳でもないわ。ただ苛々するだけでね・・・・。優し過ぎるのは、お前の欠点よ。これは、女としての忠告。受け身ばかりじゃ駄目、戦と同じで。時には押してみたら?」
勿論、アリナの事である。
レドルドは、ぱっと顔を赤くしてもじもじと俯いた。
「――――ただ、お前にその欠点が無くなれば、もっと面白くない人間になると思うでしょうけど・・・」
サラの付け足した言葉に、今度は複雑な表情で首を竦める。
「――――と言う訳で、わたくしは刺激を求め、夜の街に繰り出す事にします。やっぱり世の中、楽しいのが一番よ。くよくよする前に、ぱっと発散させて、新たな気持ちで旅に出るとするわ。わたくしってこういう性格だから、モーンもいい加減に諦めてね」
最後はやはり、おちゃらけて終わる。
何処まで本気なのかと、老紳士は首をひねるばかりだった。
「レドルド、お前はアリナの側にいてあげなさい。卑怯なやりかただけど、こういう時誰かがいてくれるってのは、結構心強いものなのよ。気の利いた言葉の一つでも、かけてあげる事ね」
サラはベッドから立ち上がって、悪戯っぽくレドルドに囁いた。
彼の顔に、またもやぱっと血が昇る。
「なりませんぞ、姫様お一人で外に出られるなんて・・・」
モーンも慌てて立ち上がったが、痛たたと腰を押さえた。
ご老体には、この旅はかなりきついようだ。
「これは、命令。アリナを説得するのが、レドルドの仕事。頼んだわよ」
ひらひら手を振って、サラはモーンの反論を遮った。
「モーン、お前は養生する事ね。足手まといにならないよう、老体に鞭打って頑張ってちょうだい」
「しかし・・・・」
「大丈夫よ、連れはいるから。今日の乱闘騒ぎの時、わたくしを助けてくれた人よ」
公安の手から、とは言わない。
「そんな、見も知らない輩と・・・・」
「心配御無用、楽しんでくるわ」
話しは終わりとばかり、彼女はモーンのわめき声を無視して、さっさと部屋を後にした。
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