第一章 四、噂のシャーク 1
「――――ふう、ここまで来りゃいい」
人気の無い路地裏まで来ると、男はほっとしたようにサラを振り返った。
改めて見ても、長身ですらりとした体つき、目に鋭い輝きを持った中々二枚目風の男である。
が、その髭面は、やはりどうにもイヤらしい。
「痛いな、その馬鹿力、いい加減に緩めてくれないか」
サラは不機嫌に顔を顰め、男の手を乱暴に振りほどいた。
途端、じろりと逆に鋭い目で睨まれる。
「馬鹿野郎!誰のお蔭で助かったと思ってんだ!!あのまま公安の奴等にしょっぴかれてたら、お前だって面白くねえ思いをする筈だったぜ」
男はいきなり怒鳴り付けた後、大袈裟だと思うくらいに顔を顰めた。
「公安って・・・・、治安を守る役人だろ。なんで俺が、そいつに捕まるんだ?」
「馬鹿か、お前は!」
何故か、また怒鳴られる。
頭ごなしに馬鹿呼ばわりされる等、彼女にとっては初めての経験だった。
おまけに、身も知らぬこの薄汚れた男に、何故怒鳴られねばならないのかも理解に苦しむ。
「さっきから聞いてれば、馬鹿、馬鹿と・・・。そりゃ、俺は賢いなんて思ってないけど、あんたに言われる筋合いは無い!」
「―――あのなぁ、おい、よーく聞けよ。公安ってのが、治安を守る役人だって知ってたよな。町中でだな、何処ぞの誰かが、それもあんなド派手な乱闘騒ぎを起こしゃ、公安が来るのは当たり前だ。ああいう騒ぎを静めて、尚かつ騒ぎを起こした奴等をぶた箱にぶち込むのも、役人の仕事って訳さ。・・・・何処ぞの坊ちゃんか知らないが、それくらいも分からないなんて、馬鹿以外の何者でも無いだろ。ましてや、ぼさっと捕まえに来るのを待ってやがった」
――――なるほど、そう言う事か。
サラは、自分の無知さを知って、しばし言葉に詰まった。
サラには、城の外ではごく当たり前の事さえ、よく分かっていない事があった。
しかしまあ、それは彼女が城で育ったのだから当然で、知ってる方が逆に奇怪しいだろう。
サラは、一国の姫君なのだから。
サラ自身も、城を出るまで民の生活に興味を抱く事は無かった。
いや、興味を抱くほど知らなかったと言った方がいいか。今まで、城の生活が普通だと思っていたのだ。
旅に出た事で、サラは町の人々の暮らしを知るようになった。
そういう世界があるのだと知れば知るほど、サラは外の世界に大きな興味と憧れを抱くようになっていた。
まだ旅を始めて間も無いが、それなりに得た知識もある。だから、たかがあれくらいで公安に捕まるとは、まさか考えてもいなかった。
でも、だからって、何もこんなに乱暴にしなくても。
「そう言う事なら、取り敢えず礼を言う。俺は、これでも頑じゃ無い。世話になったようだし、それを認めるくらいの柔軟さは持っている。たとえ、頭ごなしの怒鳴り声だったとしても、な・・・・」
細い裏路地を男に付いて歩きながら、サラは彼女らしい皮肉を籠めて言った。
「そいつは、どうも。餓鬼にしちゃ、偉く気の利いた事を言ってくれるじゃねぇか。顔に似合わず、性格が悪そうだな」
男が、不機嫌な顔のままで答える。
この男、思った事をずばずば口にするタイプのようだ。
負けずに、サラも言い返す。
「生憎、俺の顔は生まれた時からこうでね。別に、選んだ訳じゃない。似合うも似合わないも、俺の知った事じゃないね」
と、男の顔が皮肉に歪んだ。助けてやったのに、あからさまにそれが分かるような表情だ。
「お前、生意気だな・・・・」
男の口から、その言葉が漏れる。途端、待ってましたとばかり、サラの顔に不敵な笑みが現れた。
「生意気?生意気だって?―――おい、髭男!自分の気に入らねぇ事があると、どうしてお前達みたいな奴は、そういう言葉で済まそうとするんだろうな。自分勝手な得手勝手野郎が使う逃げ言葉が、その生意気って奴さ。・・・・嫌だねぇ、生意気なんて言い出す奴は、ロクな奴じゃねぇ。思い通りにならないと、そういう言葉で逃げる癖に、俺は男だって偉そうにしてやがるんだ。威張り散らすだけが、男の仕事じゃねぇ。そんなに偉いんなら、それぐらいの事をして見せろってんだ。女一人口説く勇気もねぇ癖に、怒鳴り散らしてあたり散らして、余りの情け無さに涙が出るぜ!」
男は、しばらく唖然として、サラの顔を見つめていた。
とにかく凄い。それだけの事を、一気に捲し立てられたのだから。
怒ってでもなく、じめっとしてでもなく、からっと明るく言ってのけた。
これだけ言われれば普通は腹も立つだろうが、彼は怒らなかった。何故か逆に、可笑しくなってきたのである。
笑い出したい、そんな衝動に誘われた。
「はっはっはっはっ!・・・こいつはいい。はははっ!こいつはまた、そんな風に思いっきり言われりゃ、逆に気持ちいいくらいだぜ。おい坊主、何って名前だ?俺は、お前が気に入ったぜ・・・・」
笑い出した男を見て、サラの瞳が変わった。面白い奴かもしれない、そんな興味深い色を宿す。
「他人に聞く前に、先ず自分から名乗るのが筋だろ。全く、自己中心的な得手勝手野郎は、これだから嫌なんだ」
「そいつは、悪かったな。俺は、シャーク。ご覧の通り、自惚れ屋さ。俺に惚れない女はいないって、豪語してやってもいいぜ。口の悪さじゃ、お前に負けるがな」
サラは、驚いてシャークと名乗った男を見つめた。
このむさい男が、女垂らしと評判の、あの有名なシャークだろうか?
―――まさか、確かに男前ではあるが、それにしても柄が悪い。
第一、こんな薄汚れた髭男に、女が靡くとは信じられなかった。
それでも、相手が名乗ったのに名乗らない訳には行かない。サラは少し胸を張り、凛とした声で力強く名乗った。
「俺はランドル、貿易商だ。それに坊主じゃない、成人した一人前の男だ。あんたみたいに女垂らしじゃないが、剣の腕なら自信がある。それと、俺は少なくとも一人、絶対にあんたに惚れない女を知ってるぜ」
わたくしよ、と思ったが、口に出して言わなかった。
言えないのが、残念ではあったが・・・・・。
「そいつはどうかな、俺が口説いたら分からない。惚れた男がいる女でも、どんなに高貴なお姫さんでも、俺にかかれば簡単さ・・・・」
男の余りにも自信たっぷりの様子に、サラは思わず呆れた。
勘違いしているだけでは無いのだろうか?
「まさか。俺は、女垂らしと自信過剰の男は、どうも苦手でね」
「別に構わないさ、お前は男だしな」
シャークはそう言って、楽しそうに笑った。
ぎくっとする。
ついうっかり、女としての意見を口にしてしまったのだ。
気を付けないと、勘のいい男なら疑問を抱かせてしまうかもしれない。
「―――さてと、どうする?折角知り合ったんだ、どっかで飲まないか?」
サラの心配を余所に、狭い道から広い通りに出ると、シャークは呑気な調子で言った。
「悪いが、俺は宿に帰る。仲間が、俺の帰りを待ってるからな」
「なんだ、もしかして保護者付きか?・・・・仕方ねぇなぁ。まあ、そんなら俺は、しばらくぶらぶらしてみるか。お前、何処に泊まってるんだ?」
「メイン通りの、ガーベスって言う宿だ。今日一晩泊まって、明日の朝には旅立つ」
シャークは、しばらく何か思案していたようだったが、不意にくるりと背を向けた。それから、軽く手を振る。
「夜が更けたら、誘いに行く。立派な大人の男なんだろ、社会勉強になるぜ、俺は盛り場には詳しいんだ」
ふざけた調子で言うと、サラの返事も待たず、彼はそのまますたすたと行ってしまった。
――――勝手な奴。
こういう、相手の意思を無視したやり方は、彼女の好みでは無かった。
が、シャークと言う男には少し興味がある。
噂のシャークがどれほどの男なのか、この目で見極めてやろう。
何故あんなむさい男が女にもてるのか、観察してみる価値があるような気がした。
男装しているぶん、自分に危険が及ぶ心配は無い。その点、気が楽だった。
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