第一章 二、術者の娘 3
アリナは、しばらくじっと目を瞑っていたが、不意に立ち上がると、暖炉からロウソクに火を取って鉢に移した。
・・・・すると、ぱっと勢いよく炎が上がる。
炎を透かして、鏡の中を覗くアリナ。三人は、その様子を緊張しながら見守った。
突然炎が激しく揺れ、ふっと一瞬にして消え去った。
娘は鏡から目を離すと、躊躇いがちに皆を見回す。
「何と出たのだ?」
娘の表情に不安を感じて、モーンは厳しく問い掛けた。
「はい、これはあくまでも占いですので、余り深刻にならず聞いて欲しいのですが」
「構わぬ、何と出たかはよう教えて貰えぬか?」
モーンは、アリナの占いの結果を、せかすように尋ねた。
「―――――あの、ランドル様には波瀾の炎が出ております。それは、己の運命の強さに翻弄される炎。・・・・・でも、心配はいりません。ランドル様には、強い覇者の光があります。信頼できる二つの光が、きっとランドル様を導いてくれるでしょう。それから、ランドル様をお守りする一際明るい光明が・・・・・。―――それは、美しい輝き。これから長く、ランドル様と共に輝いていく光です。そして、運命的な巡り合いを暗示する兆し・・・・・」
「して、その波瀾の炎とは?」
モーンの言葉に、アリナは悩ましげな顔を作った。
「私にも分からないのです。何時かという事も、何かという事も。――――それはランドル様の今を、大きく変えるうねりみたいなものだ、としか・・・・・。ただ、それによって多分、ランドル様自身の変化を求められます。それを良しとするも悪しきとするも、ランドル様次第」
アリナの占いは、抽象的過ぎてよく分からない。
三人は、顔を見合わせて低く唸った。
「あの、こう言う事ではないですか。ランドル様は普通とは違う特別な人ゆえ、色々大変な目にもお遭いになるのだと・・・・」
おずおずと、レドルドが言った。大きな体を縮こまらせ、窺うようにサラを見ている。
――――――鬱陶しい奴だ。
内心そう思いながら、やはりサラ。
「それは、俺が異常だと言う意味か?」
レドルドを、からかう調子で脅した。
「と、と、と、とっ、とんでもございません。その、なんと言いますか、優れた者は凡人と違って――――」
「お世辞は嫌いだと、何度も言っているだろ。別に、怒ったりなんかしないぜ。はっきり言えばいい」
そう言われ、素直に認める家来などいる筈もない。レドルドは益々小さくなって、口を閉ざしてしまった。
「なあ、これって占いだろ。占いってのは、それほどあてにはならないもんさ。信じておろおろする方が、大馬鹿だと思うぜ。どう出ようと、俺にはどうでもいい。俺は、俺の好きなように生きる」
サラとしては、別に毒舌を披露したつもりはなかった。ただ、自分の思った事を告げただけだ。
しかしアリナは、サラの言葉を聞いて、しゅんと俯いてしまった。
「私の占いが、お気に召さなかったのですね・・・・・」
ぽとぽと。涙の雫が、テーブルに零れ落ちる。
見ていたサラは、ぎょっとした。
「なっ、何だよ。俺、泣かすような事言ってないだろ?」
「アっ、アリナさんのせいではありません!ランドル様、何と言う事を言うのです!」
恋の力は強い。
たちまちレドルドが復活し、厳しい顔でサラに詰め寄った。
「そうですぞ、立派な紳士と言う者は、婦女子を泣かせるものではりません」
ここぞとばかり、モーンもレドルドに加勢する。
サラは、彼の厭味に顔を顰め、ぐしゃっと自分の前髪を掴んだ。
サラに苦手なものがあるのだとしたら、女の涙だ。男なら、泣いたって平気な顔で貶して見せる。
しかし、女の涙は駄目なのだ。幼い頃死んだ母が、泣き虫だったという理由もある。
いかにも儚気な母が、はらはらと涙を流す姿を見て、何度心を傷めた事か。それが多くは自分のせいだと知っていた為、余計に耐えられない思いだった。
女が泣くと、どうしても母親の記憶を呼び起こされる。
それは、彼女にとって苦痛以外の何物でもなかった。
「わっ、悪かったよ。俺が、悪かった。だから泣くなよ、なっ?」
アリナが、ふっと顔を上げた。潤んだ瞳を、じっとランドルことサラに注ぐ。
そこには、さっきまで覗いていた悲しみはなく、期待を込めた喜びの色が覗いていた。
――――厄介だ。
サラは、げんなりした気持ちになった。今更ながら、自分の取った行動を後悔させられる。
「あの、ランドル様はちっとも悪くありません。皆様、お疲れになったでしょ?お部屋の準備をしますので、しばらくお待ち下さい」
アリナは、涙を拭いて立ち上がった。それから、そそくさと奥の部屋に去って行く。
「・・・・健気だ」
複雑な表情で、切なそうにアリナの後ろ姿を見つめていたレドルドが、ぽつりと呟いた。
「誠に、ランドル様には、是非責任を取って貰わねば」
にやっ。モーン、またも厭味ったらしくサラに言う。
言葉を返そうと思い、止めるサラ。確かにこれは、自業自得以外の何物でもない。それが分かっているだけ、益々苦い気持ちになるのだった。
次の日、一行は早々旅立つ事になった。
アリナと別れたくないレドルドが渋ったが、サラに脅されて仕方なく承諾した結果だ。
サラとしては、誰が何と言おうと、早くここから立ち去りたかった。
「残念ですわ・・・・」
うるっと、テーブルに朝食を運ぶアリナの瞳が潤む。
彼女の好意から、一同は夕べと同じように食堂で、朝食を御馳走になっている所だった。
「いや、アリナ殿にはお世話になった」
焼き立てのパンを片手に、モーンが残念そうに言った。
「本当に、こんな美味しい食事は久し振りです。実に、アリナさんは料理上手だ。あなたを嫁さんにする奴が、私は憎らしいくらいです」
と、レドルド。勿論、まじりっけのないくらい本音だ。
「まあ、そう言って貰えると、私も嬉しいですわ」
それに言葉を返して微笑むが、アリナの視線は常にサラの方へ向けられている。
モーンが、サラの横腹をつっついた。
一応、別れの挨拶くらいはしてあげなさいという意味だ。
「あ―――――、アリナさん。色々、世話になったな。え――――、ここで別れると言うのは、非常に残念だが・・・・」
「まあ、私もですわ。きっと道中、色々大変な事もあるでしょうし――――。何かあった時、私の薬があればお役にたつでしょうに・・・・・」
「まあ、な。確かに薬があれば、我々も助かるだろう。なんせ、旅と言うのは危険がつきものでね。それに、体力がなければ苦労する」
きらり。アリナの瞳が輝いた。しかし、サラの方は全く気付いていない。泣かせずに別れの言葉を述べる方に、全神経を集中しているのだ。
「そうですわね。でも私なんか、その点いいですわ。薬を求めて、しょっちゅう旅なんかしてますし・・・・・」
「へぇ、一人旅か?あんた、結構度胸があるんだな。しかし、俺達の旅は危険をはらんでてね、普通の女には無理だろうな――――」
「そんな事はありませんわ」
「えっ?」
その時初めて、別れの言葉が変な方向に流れているのに気付いた。
「私、平気です。メセタへ戻られるんでしたわね。実は私も、薬を仕入れに行こうと思ってた所なんです。でもやっぱり、女の一人旅は結構勇気がいって・・・・。躊躇っていた所、貴方達が現れたと言う訳です。もしお邪魔じゃなかったら、一緒に連れて行って貰えませんか?」
「ちょっと待った。何だ、なんか変な流れじゃないか?」
サラは、慌ててモーンを振り返った。
「いえ、ごく普通の流れだと」
モーンは、当然のように言った。
今度は、レドルドを見る。
彼は、喜びに顔を輝かせ、アリナばかり見つめていた。
「しかし、俺達は本当に危険な旅をしてるんだ。そんな危ない中へ、若い娘さんを連れて行くのは・・・・」
脳天気な二人が知らん顔を決め込んでいる為、サラは仕方なく自分で交渉する事にした。
「連れて行っては貰えないのですか。では、私に一人でメセタまで行けと?それは、危険ではないのですか?」
「いや、そうじゃないけど・・・」
「ランドル様、それは酷い」
「お前な!」
がたんと椅子から立ち上がり、つい大声で怒鳴ってしまった。怒鳴った相手は、勿論レドルドだ。
「お嫌なのですね・・・・」
なのに、彼に代わってアリナが呟く。
じわじわ。瞳が膨らんで、大粒の涙が溢れ出して来た。
「ああっ!」
サラは、頭を抱えて椅子に座り込んだ。
――――私は泣いたりしないのに、なんで周りにはよく泣く女が多のかしら。
げんなりと、心の中で愚痴る。
「まあ、いいではないですか。薬は、旅に必要です」
「なら、買わせて貰おう」
モーンに、疲れた声で言った。
「あら、駄目です。うちの薬は秘薬ばかりで、私以外の人間には扱えません」
「では、やはり一緒に来て貰いましょう。何、危険な目には合わせません。私がいますし、ランドル様もいます!」
レドルドが、勢い込んで叫んだ。
「誰か忘れておらんか?」
モーンの小さい呟きは、見事に無視される。
レドルドは、がばっとアリナの両手を握り、恐ろしいほどの気迫を漲らせた。
「きっと守ります。絶対です、このレドルド命に換えて――――。そうですよね、ランドル様」
振り返ったレドルドに、サラは冷たい視線を投げた。
「・・・・馬鹿」
アリナに届かない声で、小さく呟く。
「まあ嬉しい、連れて行って下さるんですね。ランドル様、有り難うございます」
レドルドの手をすげなく振り払い、アリナはサラに満面の笑顔を見せた。
空になった手を見つめ、切なそうな顔をするレドルド。
そんな彼らの様子に、サラは低く呟いた。
「悪夢だ・・・」
「これに懲りたら、二度とご婦人を玩ぶような言葉は、慎む事ですな」
勝ち誇ったモーンの顔を見て、益々気が滅入ってくる。
「・・・・玩ぶって、人聞きの悪い」
ため息混じりに辛うじて繰り出した反論は、彼女にしては大分弱気なものだった。
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