第一章 二、術者の娘  1

 「ほうっ・・・・。このじいには、徒歩の旅は応えるわい。馬の旅は人目に付くと言われれば、歩かぬ訳にはいかぬし・・・・。かと言って、城から次の宿場までは丸一日かかる。隣街までなんぞ、その上三日もかかるのですぞ。ようやくキーロッカの街に着いても、ヒーホル、ワラミ、ネフラ、そこでやっとダンドリア国境、ダラーラ、リヤムラ、カルアハ、ようやく首都リドリアです。いったい何日歩けば、目的地に着くのやら・・・・」

 城から出て一時間足らず、モーンが早々に音をあげた。


 人目につかない森道を選んだとは言え、比較的なだらかで歩きやすい道だ。

 歳を取ったとは言え、元騎士だった人物である。

 ダンドリアはまだまだ先、これくらいで音をあげられては、いささか頼りない。

 ずっと城の中で生活していた為、思った以上に足腰が弱くなっていたのだろう。


 「――――だらしない。常日頃から、体を動かしていないからよ。豚のようにぶくぶくと肉が付いて、ひ弱になった骨を圧迫してるのね。年寄りなんて、言い訳だわ。だって砂漠の方では、年寄りでも過酷な生活をしてるって言うじゃない。モーンも、余分な肉が落ちるよう、しっかりラーザに祈りながら歩くのね」

 年寄りを労わるどころか、けなす事しかしない姫に、モーンは大きく溜め息を吐いた。


 「・・・全く、相変わらずの毒舌ですな。姫にかかったら、きっと勇者もただの人になっておしまいでしょう」

 彼の嫌味っぽい言葉に、サラは少しだけ顔を顰める。


 「あら、そうよ。だいたい勇者なんて、世の中にはいやしないものだわ。一皮剥けばただの男。カライマでは、守人が大地の神の化身なんて言う迷信を信じているようだけど、そんなの嘘に決まってるじゃない。――――第一、どうして大地の化身が、赤い髪じゃないといけないの?ラーザの化身ならともかく、大地の神ラクレスの化身なら、髪が茶色い方が自然だと思うわ。・・・・・・わたくしは信じない。太陽には、燃え盛る炎しかなくて神など住む場所はないのだわ。何もないものにすがって生きるなんて、無意味だと思わなくて?世の中には、くだらない男とくだらない女が、なんって多いんだろう。神を信じる民も守人もその子供達も、きっと愚か者に違いないわ」

 モーンは、サラの言葉の恐ろしさに思わず身震いした。


 「いやはや、姫さまの考えなさる事は、私には分かりませんわい。では、そのように申される姫様は、いったい何なのでございましょう?」

 彼女は、高らかに笑ってモーンを見た。


 「――――モーン、お前は見れば見るほど阿呆面だわね。勿論、わたくしは人間よ。自分が愚かな人間の一人だって事が分かっているだけ、頭に黴の生えているお前達よりはマシと思ってちょうだい。くだらない事に頭を使うより、もっと違うものに頭を使った方がよくってよ。・・・・なによ、その顔は。わたくしの言葉が気に入らないなら、言い負かすくらいの男になりなさいよ。そうでなきゃ、張り合いがないってもの。どうしてこの国の男は、こんな薄のろばかりなのかしら?」

 とうとうモーンは、兜を脱いで黙り込んでしまった。


 レドルドと言えば、恐れをなして話に加わろうともしない。

 こんな恐ろしい姫に付いて行かなければならない自分の身の不運を、ただただ嘆くばかりだった。


 「おっと、そう言えば、俺はランドルだった。行くぞ、今度姫と呼んだらただじゃ済まさないからな!」

 ぎろりと二人を睨んだ後、サラはすごんだ調子で啖呵をきる。

 時々城に訪れる庭師の息子が使っているのを聞いて、一度使ってみたかったのだ。

 この危険な旅も、どうやらサラにとっては愉快な旅らしい。


モーンは渋い顔になり、レドルドは益々縮こまってしまった。


 暫く森道を歩いた後、今度はレドルドが恐る恐るサラに向かって言った。

 「ランドル様、恐れながら・・・・」

 「恐ろしいなら黙っていろ!」

 ぴしゃりと言われ、彼は一瞬言い淀んだ。が、勇気を奮い起こして後を続ける。


 「・・・しっ、しかし、宿場までは、まだ道のりがございます。やはり体を休めなければ、宿場まで辿り着くのに骨が折れる事でしょう。いざと言う時力が出ぬようでは、悪漢と戦う事もできますまい・・・・」

 「――――お前の言う事が本当なら、確かに骨が折れてはこまる。骨を接ぐ時間はないからな」


 「ランドル様、あまりレドルドを苛めてはいけませんぞ」

 レドルドが言葉を失ったのを見て、モーンが低い声で言った。

 しかし、モーンの言葉などお構いなしに、サラは得意な口でまくし立てる。


 「レドルド、お前はどうしてそう臆病なんだ?言いたい事があるなら、はっきりと言えばいい。回りくどく言わずに、休みたいと言えば一言で終わるではないか。その方が男らしいぞ。びくびくして、恐れながら――とくる。恐れながらなら、初めっから言うな。言いたいのなら、はっきり言え。だからお前は薄のろなのだ。王宮騎士が聞いてあきれる・・・・・まあ、お前はそういう男なのだから仕方がないか。それならせめて、物が分かる男になれ。臆病でつまらん男など、誰からも相手にされないぞ」

 とは言うものの、それでも彼に賛成なようで、サラは遠くに見える明かりを指差して見せる。


 「どうだ、あれは民家の明かりじゃないか?この国の民は、外国人には親切だそうだ。頼めば泊めてくれるだろう」

 「そうですな。いつかは野宿をせねばならないとしても、今日の所は屋根の下で休みたいものです」


 一時はどうなる事かと思ったが、ひとまず安堵の溜め息を吐いたモーン。先に立って、戸口から声をかけた。


 「――――すみませぬ、どうか、すみませぬ。旅の者ですが、一晩宿を借りるわけにはいかぬでしょうか。まだ起きておられるなら、どうか扉を開けていただきたい」

 ドンドンと戸を叩き、しばらく待つ。少しすると、扉が小さく開かれた。

 ほっとしたのも束の間、隙間から目だけ出した女の冷たい声が、無情な響きを伴って返って来た。


 「どなたか存じませんが、旅人を泊めるほど生活が楽ではないんです。悪いけど、他をあたって下さいな」

 「そこを何とか、寝る場所さえあればいいのです」

 モーンが必死で食い下がったが、女は動じない。


 「寝る場所さえないんです」

冷たくドアが閉じられようとした時、サラがモーンを押し退けて割って入った。


 「お嬢さん。俺達は怪しい者じゃない。納屋でもいいから、休む場所が欲しいだけなんだ。外はあいにくの空模様で、雨にうたれて凍えてしまうかもしれないからな。見たところ若そうなお嬢さんだから、男が三人も戸口に立てば怖がるのは分かるさ。・・・・・だが誓って、押し入り強盗じゃないぜ。証明してもいい。ゆとりがなくて泊まれないんだったら、金を払う。どうか、泊めてくれ」

 女の表情が、サラの顔を見て変わった。悪い変わり方ではない。


 彼女は、咄嗟に閃いた。

 少し驚いたように身を引いてから、娘の顔をまじまじと見つめる。


 「お嬢さん、あなたの瞳はなんて澄んでいるんだ、きっと美しい心の持ち主に違いない。俺は、その瞳を見て恥ずかしくなった。メセタの貴族とは言え、俺達はこんな不作法者だ。きっと、ひどく怖い思いをさせてしまったのだろう。あなたの言う通り、どこか他の寝床をさがそう。もっと、我々に似合った荒れ地を・・・・」

 城に出入りしていた二枚目のメセタ商人が、そんな口振りで侍女に物を買わせていたのを思い出したのだ。

 あの時の侍女の顔は、今のこの女の顔にそっくりだった。


 「――――あの、雨が振ってまいりましたわ・・・・」

 女は、戸を大きく開いて言った。よく見ると、確かに可愛らしい娘だった。


 金髪碧眼、透き通るほど色の白い華奢な姿。美人ではないが、目の大きな人好きする顔立ちをしていた。


 「こんなむさ苦しい男三人だ。雨ぐらい、どうって事はない」

 「いいえ、いけません。宿に困った旅人に風邪をひけと言うほど、私は薄情ではありませんわ。狭い所ですが、よろしければ中で休んで行って下さい」


 「――――いや、それでは悪い」

 しばらくこんなやりとりを続け、最後は娘に無理やり中へ入れられてしまった。


 「お願いでございます。――――さあ、早く暖炉へ。お体が凍えてしまいますわ」

 狐につままれたように唖然としている男達に向かって、サラはにやりと笑って見せた。

 それほど、娘の変化が突然だったのだ。


 「では、それほど言うのなら、ありがたく好意を受け取ろう」

 そうして三人は、暖かい寝倉を確保したのであった。

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