第一章 一、じゃじゃ馬姫の旅立ち 5
一時ほどして、オーラント王の私室に、今度はモーンとレドルドが訪れていた。
何事かと戸惑ったような顔の二人に、彼は誠実な笑顔を向ける。
「お前達には、いつも苦労をかけてすまない。今度もまた、その苦労をかける事になりそうだ・・・」
オーラントは、二人に向かって、詫びるようにそう言った。
「そっ———、そのような事を、どうぞ仰らないで下さい。私どもは、その苦労を何よりも有り難く思っているのですから・・・・・」
オーラントの態度に感動して、目を潤ませるモーン。
これほど家臣を思ってくれる王の為なら、できるかぎりの事をしたいと心から思った。
そんなモーンを見て、オーラントは嬉しそうに微笑む。
「有り難う。————さっそくだが、今夜ダンドリアに向かって旅立って欲しい」
突然の言葉に、驚く二人。
しかしオーラントは、構わずそのまま言葉を進めた。
「急だとは思うが、一刻の猶予も許されぬのだ。相手の裏をかくには、このように突然の旅立ちでなくてはならないからな。お前達の任務は、ダンドリアの国王リドア様に文を渡す事と、サラを無事にそこまで連れて行く事だ。手紙は、サラに渡してある。その手紙さえ見れば、あの方なら、なんとか力添えをして下さるだろう」
ダンドリアへ————。
モーンとレドルドは、互いに顔を見合わせて首を傾げた。
何故ダンドリアへ行かねばならないのか、二人にはぴんとこなかったのだ。
「いったい、どう言う訳でございましょうか?」
レドルドは、恐ろしい物でも見たような顔で、情け無い声を出した。
「お前達には、知る権利があるだろう」
表情を暗くし、王。
その余りにも深刻な顔を見て、モーンとレドルドは何か大変な事態が起きつつあるのだと察した。
「実は、謀叛の兆しがある。私にもまだ、はっきりした事は分からない。が、一月ほど前、私の飲むワインに毒が盛られていた事があった。飲む前に発覚したのだが、危ない所だった・・・・・」
王の言葉に、二人は思わず息を飲んだ。
そういう噂は、あちこちで耳にはしていた。
だが、本気にはしていなかったのだ。
王も、はっきりと否定していた訳ではないが、まったく肯定もしていなかったのだから。
しかし今、王は本当だと言った。国王に毒を盛るなどとは、穏やかではない。
戦乱の時代ならともかく、今のオスリアは平和だった。
それも、フィリップス家が新しい王家となり、政治を担っているからであって、貴族達にしても、感謝こそすれまさか謀叛など・・・・。
それが、モーンとレドルドの正直な気持ちだ。
「誰が毒を盛ったのか、まったく見当が付かない。このままでは、またいつ毒を盛られるか分からない状態だ。故に宰相と相談し、ダンドリア王の助力を仰ぐ事にした。もしかするとこれは、カライマ派の謀略かもしれないのでな」
あまりの事に、二人は言葉を失って茫然とした。
東の大国カライマも、クーデターによって国王が失脚した。
その話は、有名すぎるほど有名だった。
しかしまさかこの平和な小国で、そのような騒ぎが起こるとは考えてもいなかったのだ。
オスリアは、南はダンドリア北はマリガラと、大国に挟まれた小さな国だ。
そんな他国の脅威から身を守るべく、王の姉カリアとラエラがそれぞれダンドリアの国王の弟と、マリガラの国王の兄へと嫁いでいる。
そしてオーラントは、現ダンドリア国王リドア四世の妹にあたる人を、王妃として迎えた。今は亡きサラの母、セルミアである。
そうして兄弟国となって、その脅威から逃れる事に成功したのだ。
それが今度は謀叛。
内乱が絶えず国が分散してしまったマリガラには、援助を頼もうにも頼めない。
ならば、ダンドリアに縋るしか方法はなかった。
これがもしカライマ国の帝王、ガリアド=ルカの手の者による謀略だったら・・・・。
考えただけで、恐ろしい事だ。
カライマは、ソニール大陸の中では一番の軍事力を持つ大国だ。
カライマの大艦隊、ゴーリアの飛行隊、ダンドリアの鉄砲隊は、大陸の三大軍事力として広く知れ渡っていた。
そのカライマ国とゴーリアは、現在戦をしている。それはカライマの、大陸制覇に向けての動きと囁かれていた。
だからカライマが、農作物は豊富だが軍事力の劣ったこのオスリアに目をつけたとしても、それは不思議ではなかった。
ゴーリアを落とし、オスリアを手中に収めれば、カライマからダンドリアに侵攻するためのラインができ上がるのだがら。
オスリアの貴族達の中には、最近カライマ派が急増している。城の中でも、カライマ派とダンドリア派は目に見えぬ争いをしているようだった。
オーラントは、ダンドリア派の王だ。カライマと手を結ぶなど考えていないし、カライマの脅威からもこの国を守らねばならない。
その為には、どうしてもダンドリアの協力が必要だ。
ダンドリアが関与すれば、戦中のカライマはおいそれとは手が出せない。
そして優秀なダンドリアの調査団なら、必ずや謀叛の中心人物を見つけだしてくれるだろう。
王の言葉に、二人は納得した。
そしてそんな重要な役目を王が与えてくれた事を、少なからず誇らしく思う。
「お前達は、サラを追手から守り、あれが無事ダンドリアに着けるよう協力してやって欲しい。サラに危険な旅をさせるのは心苦しいが、あれはこの国唯一の王位継承権者だ。この城にいれば、必ずや狙われるであろう」
「何たる事————。姫様もおかわいそうに・・・・・」
「————いや、サラには何も告げていない。私は、あれが不憫でならないのだ。あれは、亡きセルミアに生き写し。その為に可愛がり過ぎて、あのような我がまま娘になってしまった。・・・・だが、親の欲目で言うのではないが、サラは口は悪いが心は真っ直ぐな娘だ。ただ、世間を知らないと言うに過ぎない。この試練を越えれば、きっと何かを学んでくれるのではないかと期待している・・・・」
「分かっております。でなければ、どうして今まで姫様に仕えて来ましょうか。姫には多くの宝が隠されております。きっと王妃様のような優しさが、あの方にも潜んでいる筈なのです。セルミア様は、それは美しく清らかなお方でしたから・・・・・」
セルミアを崇拝していたモーンは、そうあって欲しいと願って言った。
「————下手をすると、数日後には何か動きが出るかもしれない。そうなればサラには辛い事になるだろうが、それも試練だ。なに、サラにはラーザ神がついている。あれはラーザの如き容姿と謳われた、セルミアと瓜二つなのだからな。リドア様も、きっと快く力を貸して下さるだろう・・・・・」
「王のお気持ち、確かに受け取りました。姫様とて、伊達に男に混じって剣の稽古を積んだ訳ではありません。————どうぞ、私どもに全てお任せ下さい」
モーンは、意を決したように言って、手を胸にあて誓いの仕種をして見せた。レドルドもまた、彼に倣って同じように誓った。
「頼んだぞ。お前達が、最後の望みの綱となろう。その前に事が収まれば、それが一番なのだが・・・・・」
一抹の不安を残しながらも、オーラントは彼らを見送った。今できる事は、彼らを信じる事しかない。
オーラントの顔に、一時だけ悔やむような表情が過る。が、すぐさまそれを振り払った。
「これでいいのだ、私は何よりも、国を守らねばならない」
呟いた彼の顔は、一国を担う王の顔に戻っていた。
オーラントは、ただ単に甘いだけの父親ではなかった。必要となれば、その大事な娘を危険な旅に出す事さえ厭わない。
が、何より彼は信じていた。サラは、そこらの姫とは違う。
逆境に強い、戦士の如きしぶとさがあると。
その夜、身支度を調えたサラは、誰もが寝静まる真夜中に、モーンとレドルドを連れて城を出た。
「いや、これは驚きました」
サラを見て、モーンは低い唸り声をあげる。
「どう?どう見ても、メセタの貴族にしか見えないでしょ」
サラは、胸をさらしで巻いた上に、タータと言う白い衣装用の長い布を体に巻き付けていた。
腰の辺りを、色とりどりの糸で編んだ紐でゆるく結び、剥き出しになった肩の何方かに、金の刺繍を施した布をさらりと掛ける。
これが、一般的なメセタの衣装だ。
しかしそれだけでは、季節がら寒い。
そこでサラは、そうした衣装の上に、メセタ織りのマントを羽織る事にした。
そして頭には、最近メセタの男衆の間に流行っている、テーラーと呼ばれる黒い布を被る。
メセタの男は洒落ている。
と言うのが、大陸での評価である。
だからサラもそれらしく、細い腕に美しい模様の金の腕輪を付けて、足首にはトカゲをモチーフにした銀の飾り、そして首から美しい翠の石、フレスコスを数珠繋ぎにした首飾りをぶらさげていた。
あれほど美しかった髪もばっさりと切り落とし、どこからみてもメセタの男と言う感じだ。
メセタはダンドリアの北に位置する国で、商業と貿易が中心の大きな国である。商いの国特有の、すこし怪しげな危なさがあるが、ソニール大陸の若者がこぞって憧れるようなモダンで異国的な雰囲気が漂っている所だ。
港には、ソニール大陸唯一の他大陸行きの船が出ており、街は運ばれてきた珍しい物で埋め尽くされていると言う。
メセタは主に白色人種の国で、男でも線が細く華奢な者が多い。
その為、普通より大柄なサラなら、充分男で通せるのだ。
オーラントは、この為に何日か前からメセタの商人に頼んで、商業者用の通行手形を取り寄せていた。
今一番疑われずに国を回れる者は、商人と僧ぐらいなものだろうと思ったからだ。
取引の為に各国を訪れている貿易商、それが彼女の与えられた役柄だ。
ナムク、マリガラを回って、メセタに戻る途中と言う事になっている。
「姫様、確かに女性の姿でもあなた様は美しい、しかし男の姿でもまた美しい。まるで伝説の美少年の如く、清らかで神々しいくらいですな・・・・」
同じくメセタの服装をしたモーンとレドルドが、彼女の男振りを見て感嘆の溜め息を吐いた。
とても同じ服装とは思えない。
どちらかと言えば無骨な二人には、似合っているとは言いがたかった。
「やめて、————じゃない、やめろ!俺は、お世辞が嫌いだ。それに姫じゃない。今日からはしばらく、メセタ国王ザドに使える貿易商ランドルだ。お前達も、そのつもりでいて貰わねば困る」
元々男のように振る舞うのが得意なサラは、すっかり役になりきり、勇ましく剣を振り上げて叫んだ。
・・・・・と言っても、人目を気にした小さな叫びだったのだが。
「いざ、ダンドリアに向かって出発!」
連れの二人は、呆れたようにお互いの顔を見合わせ、やれやれと肩を竦めた。
それからどんどん先に歩いて行くサラの後を、慌てて追い掛けたのだった。
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