第一章 一、じゃじゃ馬姫の旅立ち 4
さてそれから数日後、サラは父親に呼ばれて彼の私室に赴いた。
—————いったい何の用かしら?
怪訝に思いながらも、部屋の扉を開けようと手を伸ばす。
その瞬間、いきなり扉の方からすっと動いた。
ちょっとびっくりしたサラは、思わず数歩後ろへ下がる。
そこから、ぬっと現れる影。
青いマントにすっぽりと身を包み、フードを目深に覆った男が、半ば強引にサラの脇を通り過ぎた。ひ
男の左腕が、どんと彼女の肩に当たる。
しかし、男は謝りもしない。
サラに気付いてさえいないような足取りで、そのまま歩き去ってしまった。
「何よ、あれ。失礼な男ね」
しばらくサラは、不機嫌にその奇妙な人物の背中を眺めていたが、軽く肩を竦めて、思い直したように部屋の中へ入った。
机の前に座っていた父は、いつになく沈んだ様子で考え深げにしている。
何か深刻な悩みがあるのか、その顔には深い皺が刻まれていた。
「お父様、さっきの人は?」
怪訝そうな顔で尋ねた娘に、オーラントは疲れたような笑みを浮かべる。
「遠方から来た使者だが、たいした用事ではない」
王はそう言って、また表情を暗くした。
そんな顔をされれば、サラとて気にしない訳にはいかない。
本当は、何か嫌な報せだったのでは?・・・・と、そんな不安が生じた。
しかし彼は、その表情とは裏腹に、どうでもいいような事をサラに聞く。
「それより————、お前はよりによって、 太陽の剣を選んだそうだな。モーンが煩く騒いでおったぞ。・・・・・・まあいい、で、どうだ、剣の具合は?」
「どうだと聞かれるのですか?それなら、上等だと答えておきましょうかしら。この骨董品は、すっかりわたくしの手の中に収まっていますもの・・・・」
サラも敢えて何も聞かず、おどけた調子で引き抜いた剣を高々と差し上げて見せた。
オーラントは、相変わらずの娘の様子に苦笑する。
「なるほど、剣は人を選ぶと言うが、お前はもうその剣を手懐けた訳か」
オーンラントの顔は、至って真面目。冗談とも、そうでないとも取れる。
サラは肩を竦めて、剣を鞘に戻した。
「手懐けたのか手懐けられたのか・・・・・。ですが、確かにこの剣を使っている時、わたくしは夢中になって、つい他の悪さを忘れてしまうようですわ。愉快でもあり、不愉快でもある。今は、そんな気分ですわね」
こんな風にサラは、好んで奇妙な言い回しを使う癖があった。
誰もがそれを直そうとしたが、注意すればするほど余計使いたがった。
結局誰にも直す事ができず、今でもサラはその奇妙な言い回しを使っていた。
「・・・・・なるほど。————ところでサラ、実はお前には是非やって貰いたい事がある」
不意にオーラントは表情を引き締め、サラを呼び出した本題に入った。
どうでもいい事からいきなり大事な話題に振る話し方は、オーラントがよく使う手である。
相手に心の準備を与えず、それによって話の重要性をより強く感じさせる為の戦法だ。
余り深刻にならないサラゆえ、そういう方法を取ったに違いない。
「————これは、極秘の仕事なのだ。この仕事をする者は、腕が立ちその上絶対の信頼をおけるものでないといけない。本来なら、息子の仕事になるのだろうが、生憎私にはお前という娘しかいない。しかしお前は、私に与えられなかった息子以上に勇敢である事を、私が一番よく知っている」
父の思惑通り、サラは少し姿勢を正した。彼の並々ならぬ気配を感じて、これは只事ではないと思ったのだろう。
いつもならわざとおちゃらけたりするのだが、父親の厳しい表情を前にしては、さすがにそんな気にはなれないようだった。
「いったい、何を頼もうと思っていっらしゃるのですか?」
「この手紙を、ダンドリアの王の許まで届けてほしい。決して私の娘だと知られないように、また決して目立たぬよう内密にだ。馬は目立つから、なるべく使ってはいけない。————お前は男装し、遠方から来た旅人の振りをするのだ。どうだ、お前にできるか?」
じっと自分を見つめる、父親の厳しい顔。
冗談ではないらしい。父親がこんな顔をするとは、余程の事態。
少し沈黙した後、サラはにっこりと笑った。
「大丈夫ですわ、お父様。わたくしにお任せになって。きっと、役目を果たしてみせますわ」
オーラントは、余りにあっさりと娘が承諾したので、逆にびっくりしてしまった。
「本当に行ってくれるのか?」
「だって、行って欲しいのでしょう?」
サラは、澄ました顔で答える。
「しかし、普通は考えてから決めるものだろう?」
「あら、考えましたわ。・・・・少し」
「そう、僅か五秒ほどな」
思わず苦笑して、オーラントは大きく溜め息を吐いた。
「お前は、考えるより先に行動する。なのに、本当は考えていたのかも、と後で思わせるくらい上手くやってのける。私は、時々お前が分からんよ」
「悩む必要なんてありませんわ、わたくしは行動しながら考えているんですもの」
大層自慢そうに娘が言ったので、オーラントは声を出して笑った。
笑いながら、娘の手をそっと自分の大きな手で包み込む。
笑っていても、その顔から不安が消えた訳ではなかった。
サラは少し怪訝そうな顔をしたが、自分の方から聞き出そうとはしなかった。
尋ねても、父が答えるとは思えない。
口にしたくない事は、決して口にはしない父親だったのだ。
王は、握った手に一度強く力を入れ、そっと娘の手を離した。
「出発は、早い方がいい。そう、今夜だ、旅立ってくれるか?供には、モーンとレドルドを付ける。モーンはリドア国王とも顔を合わせているし、レドルドは新人ながら、なかなか優秀で頼れる若者だ」
椅子から立ち上がったオーラントは、書棚の方へ向かった。本の隙間から封筒らしき物を取り出し、またサラの方へ戻って来る。
そして、その封筒の蓋をしっかり糊で止め、王家の紋章で封印した。
「この手紙を、リドア様に渡して欲しい。危険な事なので、訳は聞いてくれるな。手紙の内容も、お前には教えない。その方が、万が一何かあった時に役立つのだ」
父親から渡された手紙は、それほど厚いものではなかった。
上質の紙で作られた白い封筒の表に、窓から差し込む光が反射して光沢を放つ。
しかし、そこには何一つ文字は書かれていなかった。
「頼むぞ、サラ」
「はい、お父様」
疑問は沢山あったが、やはり敢えて聞く事はしない。
サラは軽快な返事を返し、珍しく素直に部屋を出て行こうとした。————が、後に捨てぜりふを残すのを忘れはしなかった。
「————ただ、あの間抜けなモーンとレドルドでは、あまり役にはたたないでしょうけど・・・・」
王は、娘の毒舌に思わず笑った。しかし、扉が閉まると疲れたように再び椅子に身を沈め、大きく溜め息を吐いたのだった。
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