第一章 一、じゃじゃ馬姫の旅立ち 2
「お父様————」
そっと部屋に入って来たサラは、父親の背中にしずしずと呼びかけた。
ここは、王の私室。
質素好きで知られるオーラントの部屋ゆえ、豪奢と言うほどではなかったが、それでも広い部屋にはメセタ製の品の良い絨毯が敷かれ、芸術品と呼んでもいいような美しい細工が施された家具が置かれている。
部屋の中で一番日当たりの良い場所に机を置き、そこで先程から熱心にペンを走らせていた彼は、ふっと顔を上げて愛娘の方を見た。
「なんだ、サラ?」
彼女がそっと部屋に入って来るなど、大変珍しい事である。
おまけに、いやに低姿勢。
その場合、大抵頼み事がある時だと、娘をよく知る父はすぐに分かった。
「お願いがあるの・・・・」
案の定だ。
オーラントは苦笑して、手にしていたペンを金のペン立てへと戻した。
国王オーラント=フィリップスは、大陸で一、二を争う子煩悩さだと、世間でも噂されている。
故にあんな我がまま姫が育ったのだと、これも陰でひそひそと囁かれていた。
威厳のある風貌、細身だが逞しく均整の取れた体つき。全身から滲み出される風格は、まさしく王と呼ばれるに相応しい。
鼻の下に形良く伸ばされた髭が、実にぴっとりと似合っていた。
サラの存在さえなければ、オーラントは完璧な王であっただろうに。と言うのも、民の間でもっぱら語られている評価である。
「どんな願いだ?」
その大陸一の子煩悩王、オーラントは、扉の前に立つ娘ににっこりと笑いかけた。
すると、気難し気な王の顔が、途端に甘い父親の顔へと変貌する。
サラは、しめたとばかりに父の方へ近づき、にっこりと可愛らしく微笑んだ。
「新しい剣が欲しいの。前の剣は、刃が欠けてボロボロなんですもの。きっと、腕の悪い鍛冶屋が拵えたんですわ。わたくし、宝物庫にしまってあるのが欲しいの」
娘の願いに驚いて、オーラントは濃い眉を上げた。
「・・・・サラ、あの剣はこの間取り寄せたばかりではないか。それに宝物庫にある剣は全て、王家の家宝なのだぞ。お前のお遊びで使えるような代物ではない」
さすがの王も、娘の突拍子の無さに呆れ顔となる。
「でも、お父様———」
王は、くるりと体を回し、なおも駄々をこねようとする娘に向かって、諭すように言った。
「欲しがれば、何でも手に入るものではない。あれは、やがてお前と結婚し、この国の王となる者が持つべき物なのだよ・・・・」
ところが、それで納得するサラではない。
「あら、そんなの宝の持ち腐れってものですわ。わたくしは、お父様の自慢の王宮騎士達よりも腕が立つんですもの。どこかの御曹司のやわな手で握られるより、わたくしに握られた方があの剣も喜ぶでしょうよ。———ただ、それ以前に、わたくしが結婚するかどうかが問題でしょうけど・・・・・」
澄ました顔をして、当然そうするべきと言う調子で言ってのけたので、さすがのオーラントも言葉を失った。
可愛い可愛い娘ではあるが、何故こうも手に負えぬのか?
娘に甘い父親も、思わずその行く末を案じてしまう。
「まったくもって、お前は不幸な娘だ。男に生まれていれば、間違いなく英雄になっていただろうに・・・・。しかしお前は娘で、とんでもないじゃじゃ馬ときている」
「お言葉ですけど、娘だからこそこれぐらいですんでいるんですわ。わたくしが男ならきっと心おきなく放蕩息子になっていたでしょうよ。—————残念ですが、女では無理ですものね。一度でいいから、噂のシャーク殿のように、女たらしの浮名を立ててみたいもの。酒に女に喧嘩に博打、そんな物に時間を費やすのも楽しいに違いないわ」
オーラントは、恐れを知らない娘の言葉に、益々憂いを帯びた表情をして頭を振った。
いっそ姫に生まれてこなければ、この娘に取っては幸せだったのかもしれない。
「勝手にするがいい。それで怪我をしても、私は知らんぞ・・・・・」
どうせ駄目と言っても、聞かない頑固娘なのだ。
王は諦めて、サラに宝物庫の剣を持つ事を許した。
それに先祖伝来の剣と言えど、実際はどれも使っていない剣だった。
剣は新しいほど良いと言うのが定説であるし、名刀と言えど所詮は骨董品。
サラの遊び道具には、丁度いいだろう。
剣より学問の方が好きだったオーラントは、それほど深く考えずにそう思った。
許した途端、サラの顔がぱっと輝く。
「お父様、有り難う!」
父に飛びついてお礼のキスをすると、彼女は風のように消えてしまった。
ばたんと乱暴に閉じられた扉を見つめながら、オーラントは苦笑する。
「まったく———、慌ただしい娘だ。あの性格は、いったい誰に似たのか。セルミアは、おとなしい静かな女だったが・・・・・」
呟いて、思い出したように顔を引き締めた。
そうして、またペンを取り、途中だった手紙を書き始める。
彼は今、大きな問題を抱えていた。それは、オスリア全体にも影響を及ぼすかもしれない影。
染みにならぬうちに事前に防ぐ手立ては、今の所一つしか思いつかなかった。
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